居酒屋兆治編 1

「いらっしゃい!」
 函館市宝来町の小路にあるラーメン店「青龍」。戸を開けると、厨房(ちゅうぼう)を囲むようにズラリと並ぶ20枚ほどの色紙が目に飛び込んでくる。その中には「五十八年夏 居酒屋兆治」と書かれた田中邦衛さんや高倉健さんのサインもある。店主のK・Tさん(68)は「健さんは10回以上来てくれたなあ」と笑顔を見せる。
 同店は1973年にオープン。函館生まれのKさんは東京で電気系の技術を学び、22歳のころに帰郷した。その後、テレビ修理の仕事を10年ほど続けていたが、ある日、札幌の「青龍」で食べたラーメンのおいしさにほれこんで転職を決意。経営者の家に押しかけて弟子入りし、3ヵ月の修行を経て33歳のとき、地元で開業した。札幌仕込みのみそ味は「とろみ」がこだわり。

居酒屋兆治編1

 当時は周辺にラーメン専門店も少なく、評判が広まって1日500人が訪れたこともあった。店に俳優や芸能人が訪れるようになったのは数年後。「きっかけはよく分からない。業界に友達がいるわけでもないんだけどね」。1人につき色紙3枚を渡してサインをもらい、記念に店内に飾るようになった。

居酒屋兆治

 1983年の映画「居酒屋兆治」の撮影時、高倉健さんは何度も来店した。共演の田中邦衛さん、小林稔侍さんと3人で訪れたこともある。
 「邦衛さんはテレビや映画と同じく明るかった。健さんもジョークを交えて話したり、テレビの話題で盛り上がったり、意外と気さくな感じだった」。Kさんの記憶は色あせない。
 店内に張っていた函館の観光ポスターを高倉健さんが気に入り、「良かったら、居酒屋の雰囲気を出すのに撮影で使いたい」と頼まれた。渡したポスターは本当にセットの一部として使われ、スクリーンに映った。

 K・Tさん  こだわりのラーメン 何度も

 前年の82年に撮影された東宝映画「海峡」を含め、数年にわたって同店を訪れた高倉健さんは、決まって玄関正面のカウンターに座った。
 「野球帽を深くかぶってほおづえをつくと、店の客は誰も健さんだと気づかないんだよ。邦衛さんはすぐにばれちゃうんだけどね」。Kさんは楽しそうに話す。高倉健さんが書いた「居酒屋兆治」のサイン色紙は、来店客に熱心なファンがいて3枚とも渡したという。
 カウンター7席に4人掛けテーブルが4つの店内は当時と同じ。Kさんは「しょう湯の製法が変わって、ラーメンも以前ほどのうまみが出せなくなった。先代の"うまさ” を目指し、試行錯誤の毎日だ」と話している。

 「網走番外地」や「日本侠客伝」「日本残侠伝」などのシリーズで人気を博し、その後も「幸福の黄色いハンカチ」「南極物語」「鉄道員」などに出演、日本を代表する映画スターとして知られる高倉健さんが主演した「居酒屋兆治」。 
 1983(昭和58)年当時、赤レンガ倉庫街や朝市、十字街など函館市内各所で撮影され、エキストラで参加した住民も多かった。「映画大好き」の記者が函館ロケの映画をめぐり、関係者や当時を知る人を訪ねる「映画と私の物語」。「硝子のジョニー」に続く第2弾は、この「居酒屋兆治」にスポットを当てた。

《管理人のコメント》
函館でのロケということで「居酒屋兆治」を掲載しました。高倉健さん(2014年11月10日没)主演の映画で1983年に公開されました。後にはテレビドラマとして1992年(渡辺謙)、2020年(遠藤憲一)でも作られています。今回知ったのは、この映画出演のために、高倉健さんは黒澤明監督の『乱』出演を断ったそうです。

2008年2月7日 函館新聞 掲載

「函館新聞」新目七恵 様に感謝致します。