渡り鳥シリーズ5

 閉館の日、200席余の座席はほぼ満席だった。皆、感慨深げに銀幕を見詰めていた。

 赤い夕陽よ 燃えおちて 海を流れて どこへゆく…

 小林旭の歌声が響き、スクリーンに昔の函館の街並みが映し出される。市内松風町にあった「函館映劇」が最後の上映に選んだのは「ギターを持った渡り鳥」だった。

函館映劇があった場所に立ち、当時をふり返るH・SさんとS・Hさん。

ギターを持った渡り鳥
「ギターを持った渡り鳥」の函館山での1シーン。背景に函館の風景がくっきりと広がる

 「これで終わりか…、なんて思いながらフィルムをまわした」。函館映劇の映写技師だった市内に住むSHさん(50)は"最後の日"をしみじみと振り返る。2004年3月21日、まだ肌寒い初春の日だった。
 函館映劇は「大門日活館」から1955年に改称して開館した。84年に全面改装し、縦5.5メートル、横11メートルの大型スクリーンが売りだった。
 76年から函館映劇で働いていたOSさん(64)は、映画最盛期のころを鮮明に覚えている。「普段は洋画、夏休みや冬休みは子供向けの映画が人気で、朝から映画館前に人が並んだ。休む暇なんてなかった」という。

S.Hさん    フィルム回し銀幕に別れ

 カメラ関係の仕事に就いていた斎藤さんは、新聞広告の「映写技師募集」の文字に引かれて91年なーに転職した。入ってみると、映写技師は自分と技師長の2人だけ。機械の扱いをゼロから学び、時間交代で勤務に当たった。

 「『ボディガード』は半年ものロングラン上映、『ハリーポッター』は立ち見や入場制限も出るほど人気だった」。今では全てが懐かしい風景になった。


ギターを持った渡り鳥

 函館映劇は市内でも古いなじみの映画館として親しまれていたが、業績不振や土地の賃貸契約が切れることなどから閉館が決定した。赤やオレンジの派手な外観に改装した数年後だっただけに、驚き、惜しむ声も多かった。

 最後の2日間に企画した「さよなら上映会」のラインナップは「飢餓海峡」(64年、東映)「赤いハンカチ」(64年、日活)、そして「ギターを持った渡り鳥」。往年の映画ファンや市民サービスにと函館ゆかりの作品を集めた。年配客も多く訪れた。 
 消えゆく劇場で、往年の映画スターと、活気にあふれた故郷のかつての情景を見ながら、観客は何を思ったのだろう。 

 小林旭の歌は続く。 
  ギター抱えて あてもなく 
   夜にまぎれて 消えてゆく 
  俺と似てるよ 赤い夕陽…
 
 「随分人通りも少なくなった映画館跡地で、HSさんとSHさんは寂しげな表情を見せた。

《管理人のコメント》
かつて、「函館映劇」さんとは、日活映画ポスターの関係でリンクをつけさせてもらっていて、何かあれば情報を頂いていたりして、何年か後に閉館のお知らせを頂いてからリンクを外させて頂いたことがあったなと今頃気づきました。北海道の素朴な雰囲気の映画館の小屋を想像していましたが不思議な縁があったのですね。改めてしみじみと思い出されます。
「函館映劇」さんを紹介するウイキペディアにリンクを付けておきます。

2008年5月24日 函館新聞 掲載

ウイキペディア「函館映劇」

「函館新聞」新目七恵 様に感謝致します。