硝子のジョニー1

 「皆さん大穴が好きでしょう。今回の穴は3番、3番が堅そうな気がするよ。さあ、思い切って3番から買いなさい…」
軽妙な語り口が白壁の明るい場内に響く。いすに座り、新聞片手に思い思いにレースを考える常連客は、じっくりとその声に耳を傾ける。

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函館市内のU・Kさん(78)は、妻Yさん(65)とともに今も市営函館競輪場(函館市金堀町)で働く現役の「予想屋」。この道約60年のベテランだ。1962年の函館競輪場での撮影の際、同じ予想屋を演じた宍戸錠さんに役柄のコツを教えた。
「大きい声出して、ここぞという一本勝負に客を誘うんだよ」当時33歳だったU・Kさんは、せりふを練習する宍戸錠さんを見て思わずアドバイスした。宍戸さんは「真似はできないなぁ」と気さくに笑って答えながらもすぐにコツをつかんだという。

 U・Kさんは29年、臼尻村(現・市内南芽部)で生まれた。戦中は日本海軍の輸送船などで働き、戦後の混乱がまだ尾を引いていた20歳のころ、訪れた本州の競輪場で予想屋の職業に出合う。

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映画の一場面(右から宍戸錠、芦川いづみ、アイ・ジョージ)
硝子のジョニー 野獣のように見えて

U・Kさん・Yさん夫妻    ベテラン「予想屋」健在

 独自に収集した選手の情報などをもとにレース結果を予想する職業。48年に自転車競技法が制定され、新しいプロスポーツとして登場した競輪は、福岡県の小倉競輪場をはじめ瞬く間に全国に広がった。当時は予想1回につき10円。参考にしようと客が大勢集まり、レース前には決まって予想屋の周囲に人だかりができた。
 「当時の通常の日当240円に比べ、1日の儲けは3000円。これはいい商売だと思った」
 早速先輩に弟子入り。ノウハウを学びながら全国各地の競輪場を回る中、地元函館での競輪場オープンを聞き、50年に帰郷して独立した。62年当時の函館競輪場の年間入場者数は12万人超に上り、函館の予想屋も20人いた。ライバルがしのぎを削る中、U・Kさんはレース解説の面白ささで人気を集め、一時は予想待ちの客が100人いたこともあったという。
 妻Yさんは、産まれたばかりの長男を抱いて撮影を見学した。「芦川いづみさんは若くてきれいな印象、(ジョーの情婦役の)南田洋子さんもしゃきっとして明るい感じで、どちらもすてきだった」とふり返る。

 今、道内の予想屋はU・Kさん夫婦のみ。予想料は1回100円。最近は年のせいで、妻Yさんに主な仕事を任せているが、最終レースだけはマイク片手に自ら壇上に上る。「なじみ客が減って寂しいけど、今はこれが楽しみ」
 2003年に全面改装された函館競輪場に、撮影当時の面影はない。2人は「最近始めたナイター競輪は若いカップル客や家族連れに人気で、にぎわった昔を思い出すと目を細める。

硝子のジョニーより

『硝子のジョニー 野獣のように見えて』
(1962 モノクロ107分 日活 蔵原惟繕監督、南田洋子、平田大三郎ら共演)

<あらすじ>
 昆布採りの娘・深沢みふね(芦川いづみ)は貧困のため家族に売られ、人買いの秋本孝二(アイ・ジョージ)に連れていかれる。しかし、酌婦の職を嫌って逃亡、途中で競輪の予想屋をするジョー(宍戸錠)と出会い、ほかに頼る人のないままについて行く。
 ジョーは奪い返そうとする秋本からみふねを守るが、育てている若い競輪選手に金を用立てるため、今度は自分がみふねを売り飛ばしてしまう。その後、みふねは故郷の浜に帰るが、廃屋ばかりで家族の姿もない。そこへ、競輪選手に裏切られたジョーと、昔の女性に裏切られた秋本がやってくる…。
 ほぼ全編、函館市内で撮影され、地元の競輪客や住民も多数エキストラ出演した。

《管理人のコメント》
『硝子のジョニー 野獣のように見えて』は、イタリア映画『道』にインスパイアされて作られた作品と言われますが、私個人的にはこちらの作品を推します。何と言ってもヒロインの美しさは明らかにコチラでしょう。美しい芦川いづみさんの汚れ役も見物です。錠さんも錠さんらしい情と正義に溢れた役柄で未見の方には是非おすすめです。
 この記事のご夫婦は今もお元気でしょうか? さすがに商売はリタイアされているかと思います。

2008年1月10日 函館新聞 掲載

「函館新聞」新目七恵 様に感謝致します。