硝子のジョニー5

 「黒い面影 夜霧に濡れて ギターも泣いている 
 ジョニーよどこに いつかは消えてゆく 恋の夢よ」 
 映画のタイトルにもなったアイ・ジョージさんのヒット曲「硝子のジョニー」。
 「当時すごく流行ったよ。自分もあの歌は好きだったね」と話すのは函館市のK・Sさん(71)。撮影当時は市営函館競輪場(函館市金堀町)に準職員として勤めており、関係先に配られた招待券でしないの映画館に観に行ったという。

 Kさんは市立函館東高校(現・市立函館高)に在学中から市内の久野珠算教室に通い、将来はそろばんで生計を立てようと考えていた。しかし、周囲の勧めやそろばんが下火になったことなどから59年、23歳の時に函館競輪場い臨時職員として就職した。そろばん1級の腕を生かし、売上の集計や車券販売のパート職員のまとめ役として働いた。


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硝子のジョニー

「硝子のジョニー」のレコード発売の
初期盤は他の歌手とのカップリング盤のA面

 素人が参加する「足じまんレース」(57年)や女子競輪(64年に廃止)など、当時は華やかな催しも盛んで、場内は活気にあふれていた。
 「競輪人気が全国的に出始め、熱くなった客の争いや暴動も他の競輪場ではあったようだ。函館はそんな事例はなかったけれど、とにかく人は多かった」と振り返る。
 62年当時の函館競輪場の年間売上げは、場外車券発場などを含めて約12億円。
平日でも入場者は数千人に上り、仕事も多忙を極めた。
 「レースの確定順位が出る前に1レースごとの売上や配当金を計算しなければならず、仕事は時間との戦い。11月の最終日には、1日の売上げが3億円になったこともあった」と語る。

 K・Sさん  「華やかだった」充実の日々

 場内での撮影は仕事中で実際には見ることはできなかったが、職場でも主演の芦川いづみさんの美しさなどが評判になったという。
 スクリーンで鑑賞した時は、函館競輪場が何度か登場したことと、アイ・ジョージさんの歌声が印象に残っている。Kさんは「情緒のある歌い方が好きだった。カラオケで歌ったこともあるよ」笑顔を見せる。
撮影の翌年、Kさんは同じ職場で働いていたFさんと結婚。98年の定年退職まで市教委や市立函館保健所、市立函館病院などに勤めた。函館競輪場は勤続期間で最も長い約13年間を過ごした。

 撮影時の場内は、土の広場に木のベンチが並ぶ殺風景な場所。宍戸錠さんが競輪予想を披露したり、芦川さんが1人で広場に残されるシーンでも、当時の風景が背景に刻まれている。
 「雨をしのぐ屋根もなく、風が吹けば相当寒かったと思うが、お客さんは文句も言わずに通ってくれた。今振り返ると頭の下がる思い」。Kさんは懐かしそうに話した。

《管理人のコメント》
主題歌の「硝子のジョニー」は大ヒットしましたね。街中でもあちこちで流れていました。当時は私は子供だったので大人の歌という認識くらいで、あまり意識はしなかったですね。初期発売シングルが他の歌手とのカップリング盤ということは、あまり期待されずにリリースされた曲なのですね。それがヒットして映画にもなったという流れです。歌の内容やテーマと映画のストーリーは別ですね。

2008年1月14日 函館新聞 掲載

「函館新聞」新目七恵 様に感謝致します。