ダイヤモンドライン座談会


“日活ダイヤモンド・ライン”とは、昭和35年(1960)に結成された、当時の日活の人気俳優4名(石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎、和田浩治)で結成されたグループの名前だ。翌年、赤木の不幸な事故により、一角が崩れた。その後、ニュー・ダイヤモンドラインが結成され、宍戸錠と二谷英明が加わる。後には特に宍戸錠がめざましい活躍をすることとなる。 [敬称略]

 

日活が誇る四人男。名付けて「ダイヤモンド・ライン」と呼ばれる面々が珍しく顔を合わせての大放談―仕事のことから遊びの話と、まるでアクション・シーンのようにタイミングも呼吸もぴったり合って、男同士の友情と魅力あふれるひとときでした。

裕ちゃんは優等生?

ここは日活撮影所の社長室。数々のトロフィーや賞状が所狭しと並べられて、豪華な雰囲気を出しています。赤木さん、和田さんがトロフィー片手におしゃべりしてるところへ細ブチのサングラスをかけた小林旭さんが「みんな集まった?」と部屋に入って来ました。

小林 へぇーっ、すげぇな。わが社にこんなオタカラがあったのかいな。

赤木 きれいなもんだ、これだけ集まってると・・・(と、トロフィーを手にとって)こんなの一つや二つ欲しいな、自分の部屋に・・・

和田 そのうち、貰えるよ。力士や野球の選手の家には、いっぱいあるもん。

小林 よせやい、芝居と運動と一緒にする奴があるかよ。演技ってのはな・・・(照れて)ガラじゃねぇな(笑)

赤木 (真顔で)いや、そうでもないですよ。襟を正してご意見をうかがいましょう。マイト・ガイ小林旭さんどうぞ(笑)

小林 (背広の襟に手をやって胸を張り)ええと、ところでチャン裕遅いじゃねえか、まだ仕事やってんのかい。

和田 うまくソラすね。許してやろう、先輩に失礼にあたるからな。

小林 礼儀正しいところもあるんだな、見直すよ、涙が出てくるぜ(笑)

赤木 日活で何年になる?

小林 もう5年だよ。撮影所は隅から隅まで覚えたな。

赤木 じゃ四人くらい子供がいても、不思議じゃねえわけだ、普通の家庭なら・・・

小林 半年に一人ずつ産めるかよ、もっと科学的に考えてみろよ。(笑)ヒデ坊(和田浩治さんの呼び名)はどのくらいたった?

和田 四ヶ月。

小林 まだキーガ(ガキの反対言葉)だな。

和田 そうでもないよ。ちゃんと自分で洋服も着るし飯だって食えらぁ。

赤木 (和田さんが座り直したのを見て)ヒデ坊はいい子だよ、ほんとに純情で親孝行でウブで・・・(笑)

−−−その笑い声が流れるところへダーク・ブルーの背広をあざやかに着こなした石原裕次郎さんが人なつこい微笑を浮かべて入ってくるなり−−−

石原 悪いのが揃ったな。オレが一番マジメだよ、このメンバーだったら。表彰されてもいいところだ。

赤木 入ってくるなり、ご挨拶ですね。

石原 (笑いながら)やってんの、仕事。

赤木 今日は終わったんです。

石原 四月の空気はうまいんだぜ。これから一杯飲みに行くべぇか。

小林 また乱れた空気をまく・・・(笑)

他人の車は俺のもの

赤木 (裕次郎さんに)あの車、ゴキゲンですね。

石原 あ、ベンツ?(スポーツタイプ)うん、道路がいいと、威力も発揮できるんだけど、穴ぼこだらけだろう、車が夜泣きしてるよ。

和田 いい道だったら150キロは軽いでしょう。

石原 らしいけどね。まだブッとばしたことがねぇから・・・命が惜しいもんな。ちょっとゴキゲンなのはエンジンの音と、ドアの開閉だな。

赤木 あ、ドアが上に開くんでしたっけ・・・

石原 うん、そうなんだ。両側のドアを開けたままにしておくと、ジェット機のようなスタイルになって・・・

和田 乗ってみたいな。そんな車を自分で運転したら、天にも昇る気持ちだろうなぁ。

小林 ヒデ坊じゃ、そのまんま天国行きだよ。『天国への片道切符』で一巻の終わり・・・

和田 だからボクは車を買わないんだ。(声を落として)ほんとは買えないんだけどネ。はやく免許証をとれる年になりたいなぁ。

小林 十六歳? とれるようになったら、車には乗らなくても、早いとこいただいちゃったほうがいいぜ。

赤木 俺の車はね、(「持ってんのかい」と不思議そうな皆の視線に、ニッコリ笑ってみせて)ルノー、トヨペット、ダットサン、プリンス、まだあったかな・・・

小林 ほんとかい?

赤木 ええ。車の天井にマークをくっつけて走り回ってる。ときどきカチャッとメーターがが上がるのがイカさないけど・・・(爆笑)

和田 なぁーんだ、タクシーじゃないか。それならボクと同じだ。

小林 俺は、またシボレーからまた新型のシボレーを買って、今はオールズモービル98に乗ってる。

和田 この間、『やくざの詩』で横浜ロケに行ったとき、アキラさんに富岡射撃場へ連れてってもらって撃ったけど、10発やったら肩が痛くなっちゃった。

小林 ショックが凄いもんな、実弾だと。あのときちっとも当たらなかったじゃないか。

和田 ボクの鉄砲は「当たるも八卦、当たらぬも八卦」で、すべてタマしだい・・・

赤木 易者なみだな(笑)

猛獣狩りに行きたいナ

石原 この間、鴨撃ちに行ったんだ。動いてるのを撃つのはぜんぜんゴキゲンだぜ。(銃をかまえ、右から左に獲物を狙う格好を見せながら)鴨のスピードと、こっちの呼吸と合った瞬間に引き金を引くんだ。ダーン、ヒラヒラ(と手を振り)−ざっとこんなものサ。

小林 いいですよね、あれは。俺は仕事で伊豆へ行ったとき、野兎のこんな奴(と、両手で大きさを作って)を一発でやっつけた。

赤木 鉄砲がよかったんでしょ。

小林 まあね(笑)。照準のところについてる望遠鏡が凄いんだ。向こうの山のテッペンで動いている兎がはっきり見える。

和田 そんならボクだって・・・

小林 当たらないヨ。ガクンと肩にめりこむショックをこらえるだけでも、すごい体力がいるんだぜ。

和田 そうかなァ。内緒で聞いたんだけど、野兎のときは、散弾(弾丸が何十となく散らばるもの)を使ったから、当たらない方がどうかしてるって・・・

小林 誰から聞いた・・・チェッいやな奴。俺がせっかくいい気持ちで話してるのに、すぐバラす・・・(笑)

石原 俺も『世界を賭ける恋』のロケで行ったとき、一丁仕入れてきたんだ。

赤木 ものすごいスピードで弾丸が飛び出す、肩には発射の余韻が残る、獲物はバッタリだったら、こたえられないよな。

小林 とにかく撃ってるだけで気持ちがいいんだから。

和田 でも、ゼニがかかるでしょ、ゴルフとくらべてどうだろう。

小林 ゴルフなんか面白くねぇよ。スピードが違うもん・・・

赤木 猛獣狩りとゴルフじゃ勝負にならない?

石原 もっとも猛獣といったって、今のところ鴨や野兎だけど・・・(笑)ヒデ坊は運動何かやってんのか?

和田 うん。毎日三十分ナワトビをやって、暇があると、泳ぎに行ってる。

赤木 千駄ヶ谷の体育館に室内プールがあるだろ、あすこへよく一緒に行くんだ、なあヒデ坊。

和田 無茶苦茶に泳いで、シャワーをあびるとホッとするね。

石原 パンツはどうした、持ってなかったんだろ。

和田 パンツくらいあるよ。むかし、水戸にいたころはいてたヤツだから、ちょっと小さいけど・・・買ってくれる?

石原 もっといいもの買ってやるから、パンツくらい自分で買えよ。そのうち、ゴッソリかせがせてもらえるぜ。

小林 そのかわり、遊ぶヒマがなくなる。買ったころは、品物を見てるだけサ(笑)

音痴大学心臓科出身

小林 ヒデ坊の歌はどうなんだい?

和田 だめだめ。ぜんぜん上がっちゃって、夢中なんだ。ビューっと歌ってオシマイ。

赤木 題が『若い突風』ってんだから、無理もないよ(笑)

和田 ヨワイなぁ。それはいま言おうと思ってたのに・・・

石原 日活音痴大学の総長がひかえてるんだから、何でも相談するテだよ。

小林 それ、誰のこと? 総長って。

赤木 言い出したご本人・・・(笑)

石原 総長ってガラじゃねえよ。理事長は?

小林 (赤木さんを指して)おまえ、会長がヒデ坊で生徒がオレってところかな。

赤木 そりゃ、ヒドイよ(笑)もっとも、ただ音を入れたって感じだから、大きいことは言えないけれど。

石原 俺の声に似てるじゃねぇかよ。

赤木 曲が似てるんですよ。それにエコーを使ってるから・・・。とにかく、曲がいい感じだから歌い手がよけりゃウケルと思うんだけどな。だから、歌の方は“生徒さん”にやってもらって・・・

和田 ゼニだけこちらへいただく(笑)

石原 とにかく、俺が最初に吹き込んだときは、ロケ現場からテイチクへ行って、いきなり吹き込んで、またロケに帰ってきたんだ。

和田 そのときから、ビールをずらりならべてた?

石原 ああ、水のかわりにネ。ビールっていえば、間奏中にゴクゴクンて飲んでる音がはいっちゃってアワくったことがある(笑)

和田 ボクもビールを飲んで歌いたいな。少しは上手く聞こえるかもしれないから。

小林 コップ一杯で真っ赤になるくせに・・・まだ十六だろ、ダメだよ。俺は、吹き込みのとき、やたらにタバコをふかすらしい。

赤木 それでよくあんなに高い声が出るネ。

小林 素質の問題だよ。

石原 ツラの皮が厚いと思ったら、声帯も相当なもんだな(笑)

小林 (笑いながら)ドサまわりをやるといろいろ皮も厚くなってくるんだ。

赤木 俺は風邪をひいてて、吹き込みのときはサンザンだった。少し寝たいって言ったら吹き込んでからゆっくり医者にかかれってんだ、ひどいもんだ(笑)。だから「歌が上手い」なんて人に言われると、風邪をひけば俺くらいには歌えるってことにしてる。

小林 無責任だナ(笑)。まあ、俺も強いことはいえないけど・・・

和田 なにかあるの?

小林 歌手ってのはみんな頭がいいよナ

石原 そうだ、俺たちと出来がちがうところがあるよ(と、小林さんと顔を合わせてニヤニヤ)

赤木 どこのしかけがちがうんですか?

石原 歌詞ってのは、覚えにくいんだ。みんな同じようだろ、海と月、浜辺と涙・・・なんだかこんがらかっちゃう。

小林 自分の歌だって二番まで覚えているのがないんだから・・・

石原 アキラもそうかよ。俺もずいぶんレパートリーを持ってるけど、満足に覚えちゃいねえな。

小林 宝塚へ行ったときにね、舞台で歌ったんだ。『真夜中の街角』ってのをやるつもりで、カンニング・ペーパーを用意して出番を待ってた。「ほい、出番だ」ってわけで、幕のソデを歩き出そうと思ったら、伴奏が『口笛が流れる港町』をやってるんだ。あわてたね、側の人に「歌詞知ってるか」「自分の歌じゃねぇか、覚えておけ。俺も知らねえけど」・・・情けなかったね(笑)。仕方がねぇから、ノコノコ歩いてって、一番を二回繰り返して歌ってきた(爆笑)

赤木 ひどいもんだな。でも、いかにもラシイですよ。

立ち回りは消化に良い

和田 ボクにもそのくらいの心臓があるといいナ。うらやましいよ。

小林 大丈夫、保証する。そういうことを平気で言えるんだから・・・(笑)

赤木 芝居もその心臓でやってんだろ。

和田 まだ夢中だからわかんない。アクションだって、早く裕ちゃんくらいになればいいなって思ってるんだけど・・・

石原 どうってことない。反射神経さえマトモなら、平気だよ。

和田 まだ、型ばっかり気になってダメなんです。『六三制愚連隊』のときにも、監督さんが「自由に動いてもいいよ」て言ってくださったのだけどまるで子供のケンカになっちゃう。サマになんないんですよ。

小林 アクションも「慣れ」だから、そのうち上手くなるよ。

赤木 『鉄火場の風』のとき、銀座で裕ちゃんと立ち回りをやったでしょ。

石原 あっ、あれか。ひどかったな。工事場でやるシーンだったっけな。

赤木 あのときは、つくずく裕ちゃんは上手いなあって・・・

石原 お世辞いうなよ。相手がよかったからひきたって見えたんだ。みんな赤木圭一郎君のおかげです。

赤木 やんなっちゃうなぁ、テレるじゃないでスか(笑)

小林 カラミの人が慣れてると、ここで一発と、無意識にでもなぐりかかると、サッとかわす。そのタイミングは、やっぱり長年の経験とカンの良さがさせると思うな。

赤木 アクションの研究会が日活にもあるでしょう。東映にはチャンバラ研究会があるらしいけど、日活の現代的な立ち回りにだって研究することはいっぱいある。

石原 そうなんだ。チンピラには軽っぽくてムキな感じ、ボクサー上がりの人間はそれなりの構えがある。やくざは喧嘩なれしてなくちゃいけないし、それぞれ身についたアクションがあるんだよ。

和田 アキラさんの「旋風児」でみせる宙返りも、それなりに・・・

小林 なるたけ個性を出そうと思ってな。身をかわすかわりに、サッと宙返りして構えるわけだけど、シリーズものの主人公は、やっぱり決まり手が欲しいもんな。

赤木 個性っていえば、裕ちゃんのは、とってもノビがありますね。上からショート・フックでガツーン!(と、その格好をみせる)

石原 キャベツを食い過ぎて、背が伸びちゃったから、ああしないと空振りしちゃうんだ。

和田 裕ちゃんがストレートを使ったら、シネスコの画面からはみ出ちゃうもんね。

赤木 ケガもちょいちょいするネ。

小林 『やくざの詩』のとき、バーでコップを握って割り、敵に向かっうシーンがあったんだけど、本番ではほんとうに握りつぶしちゃってね、血がダラダラ流れるんだ。エーイ、ママヨってわけで、ひと暴れしちゃったけど、あとで五針ぬった。(と傷痕を見せる)

石原 痛いと感じないもんな、本番のときは。捻挫、軽い裂傷なんかよくあるよ。ま、こっちが本気でやっても、カラミの人と気が合ってると、大事件にもならないけど。

和田 自分でやらないとき、見学してるとものすごいですね。見てて、思わず握り拳を作っちゃう。ところが、自分だとどうしてもその迫力が出ない。

石原 そう思うだけだよ。ヒデ坊だってなかなか上手いよ。

和田 お世辞でもうれしいです。でも、立ち回りをやるとオナカがすくね(笑)

「M・M・K」のヒミツ

小林 ロケに行ったことある?

赤木 和田 まだ遠いところはない。たいてい東京の近くばかりで・・・

石原 意外にノンビリできねえこともある。好きなことをやっていればゴキゲンだよ。『白銀城の対決』のときはスキーで真っ黒になっちゃった。そいうロケばかりならいいんだよ。

和田 ボクは『六三制愚連隊』で伊東へ行ったんだけど、会社の人たちと外泊するのは初めてでしょう。だから寝ないでワイワイ騒いでたら、監督さんに叱られちゃった。

小林 「ママのオッパイがほしい」って寝言を言ったのはそのときか?

和田 冗談じゃないスよ。こう見えたって、もう平気なんだから・・・

石原 可愛いネ(笑)まあ親孝行をしておくにこしたことはないけど。

小林 俺はロケに行くと、その土地の名物をどっさり買い込むくせがあるらしい。九州の宮崎へ行ったときも、埴輪(古代日本でつくられていた土製の人形)を売ってる店に入ってね。「見せてくれ」「こんなものでいかがです」「もっとないか」ってわけで、十二個買っちゃった。それを東京の家へ送ってもらったんだけど、オフクロはびっくりしたらしいね。

赤木 そりゃそうだろ、十二個もデッカイ埴輪が出てきたらたいていの人は・・・

小林 帰ってきたら、「あれは何です!」ってサンザンだった。

和田 この間、紅茶をごちそうになったけど、ものすごく甘かった。

小林 うん、ロケにも魔法瓶に入れて行くことにしてる。ゴッテリ砂糖をブチこんで・・・みんなにご馳走してやろうと思うんだけど、誰も飲まない。

和田 甘すぎますよ、あれは。

小林 お菓子屋でもな、ゼリーをひとつずつ数えて145個買った。

石原 そうとう悪だな。店の人も驚いたろう。

小林 食べてたら、口の中がダルくなってきた・・・(笑)

赤木 糖尿病になっちゃう。

和田 でも、ボクシングなんか見ながら甘いもん食べるのはいいですよね、意外に。

赤木 ワァーワァー野次りながらね。宍戸錠さんや二谷英明さんたちと行っても、最初から終わりまで野次りっぱなし・・・この間、裕ちゃんと行ったときは意外におとなしかったですね。

石原 あのときは、演技の研究をしていたからね(笑)とにかくみんなガラが悪いよ。

赤木 だから女にモテない。

小林 ウソをつけ。おまえの顔には「M(も)テテ・M(も)テテ・K(こ)マル」って書いてあるそうだ。

和田 ひとりくらいモテル人がいてもいいでしょう。

石原 そうだな。

赤木 よしてくださいよ。俺だけ被害者になるのはイヤですよ。

石原 赤くなったゾ(笑)

赤木 いや、ウソでもモテルって言われると悪い気はしないですからね。とにかく、仕事が忙しいから、女のことは浮かんでこないな。

和田 そうらしいですね。

小林 なんだよ、その「らしい」ってのは・・・

赤木 ま、ヒマになったら南米へ遊びに行こうと思ってるから、そのときにでもゆっくり考えてみます。

小林 うまく逃げたな。俺も、インドへ行ってみたいんだ。

和田 なにかシカケがあるんでしょう?(笑)

石原 俺は仕事でヨーロッパもアメリカも回ったから、台湾へでも行こうかナ。意外にゴキゲンなんだってサ。

和田 ボクは銀座だ。 

赤木 どこの?

和田 東京のさ。一日一度は行かないと気持が悪いんですよ。ゼニがないときは歩いてでも行ってきたい。

石原 ま、みんな勝手なことをしてもいいけどさ。一生懸命仕事をして下さいよ。好きなことはオトッチャンになってからだって出きるんだから(とイスから立ち上がって三人に)ところで、どうだい一杯飲みに行くべぇか。


 売れっ子の4人が 顔を合わせることは特に珍しいことではなかったでしょうか。これは昭和35年の4月の初め頃に行われたものと思われます。この後は和田浩治さんも「小僧シリーズ」で、さらなる売れっ子となり、赤木さんは「拳銃無頼帖シリーズ」などで忙しく、翌年には裕次郎さんがスキー事故で入院となり、赤木さんの事故死となった状況から想像すると、後にも先にも、4人の顔あわせは、これっきりだったかも知れません。座談会からは、それぞれのパーソナリティが顕れているようにも思えます。また、元気だった頃の赤木さんらしい会話は珍しいものでしょう。

この文章は「平凡」(1960年6月号)からの転載です。文化的な面からも貴重な文章を掲載することにより、当時の文化的状況を伝えたい目的からのことです。著作権等を侵害する目的はありませんので支障がある場合はご一報下さい。削除をもって対応させていただきます。


  TOP | WHAT'S NEW | MOVIES | SONGS | OTHER | Legend of JOE | INFORMATION | BBS | LINK