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このページは、様々な事についての
管理者の雑感やアキラさんの 映画に
関する新たな発見やエピソードなど
を紹介するページへのゲートです。
右側には管理者の雑感を書きつらね
ます。
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★タイトルについて
『日々、さすらい』とありますが、かっこよく各地をさすらうという
意味ではなく、その全く反対の意味で日々、何かと思いが定まらず心
がさまよっている様を指します。 |
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★昭和35年は映画各社が現代劇を意識し始めた
この時代を今、振り返ってみると興行的には日活の一人勝ちと言った感がある。やはり、日活の救世主である石原裕次郎さんの存在が大きい。裕次郎さんに続くスターのアキラさん、第三の男トニー、そして、若さの弾丸・和田浩治さん。日活ダイヤモンド・ラインが結成されたのもこの春である。4月には現代劇を主体とする第二東映が誕生し、松竹も若返りを図った現代劇で勝負とばかりに人心を一新している。東宝も然りである。一方、外国テレビ映画が人気を得て映画へに対する大きな影響を及ぼしている。まだ、この頃は子供が中心のテレビ人気であったことから、若者達は同世代が活躍するこぞって日活映画を見たのかも知れない。(13/3 .03)
★原作者とプロデューサー
渡り鳥・流れ者シリーズの原作者とプロデューサーの対談がある。これは全盛期の昭和35年に語られたもの。原作者は本当の意味ではシリーズのベースとなった原案を出したということになるが、プロデューサーの友人であり、原作者が代議士であったことから、プロデューサーである児井氏の気遣いが大きい。これで議員の原氏は一躍有名人になった。しかし、この対談を読むと、旭さんご本人が怒り
だしそうな発言もある。(笑)
(9/12.02)
★アキラ&ジョーのコンビは欠かせなかった
後になって、よく云われることが、アキラさんとジョーさんのコンビをなくしたことが、渡り鳥・流れ者シリーズの低迷につながったということ。当時の会社の方針として、トニー亡き後、また裕次郎さんが入院中のローテーションを埋めるのに、既に主演級昇格が決まっていた錠さんが俄然、忙しくなって立て続けに主演映画を撮った。映画館主やファンからは、ジョーさんのいないシリーズに不満がつのった。やがてシリーズは終了。
主演クラスになって間もない忙しい錠さんとアキラさんが、やはり二人はコンビでないとと、お互いに確認し合った。そんな話を見つけました。
(昭和36年初夏の頃、日活撮影所にて)
★故・松田優作さんも「渡り鳥」を見て育った
松田優作さんが「太陽に吠えろ」で注目された頃、一部では、遅れてきた日活アクションスターという説があった。まさに日活の雰囲気を持つアクションスターだった。空手で鍛えられたアクションの動きをもっと長く見続けていたかったという思いがあったけど、果たせなかったのが残念。
しかし、氏の残された功績は大きい。先日、古いファッション雑誌を見ていたら、『人間の証明』の頃の記事が出ていて、そこには、かつて渡り鳥・小林旭さんのファンだったことが
書かれていました。(6/10.02)
★真剣に和製西部劇が企画されていた
かつて、映画館ではもちろんのこと、茶の間のテレビでも西部劇ばかりが流れていた時期がありました。現在では考えられないことですね。単純なものが飽きられたのでしょうね。単純だからデイティールの面白さが味わいになるとは思うのですが、ダメですか?西部劇の新作を見ることは皆無に近いですね。ある意味では日本の
時代劇の衰退に近いものがあるのでしょうか。でも、ウエスタン・テイストというのは、アクション映画には現在も生きていると思います。昭和30年代中盤に狂い咲きしたような「日活西部劇」があったことをお知らせします。(6/3
.02)
★よみがえったマイトガイ
1978年といえば24年前、この時には私も立派な大人(?)。アキラさん特集の上映があったものの、すべては見ることができなかった。これは未だにくやしい。一枚の真っ赤なチラシが未だに私に色々と語りかける。これらの企画をされた方々の苦労に改めて感謝!
(3/11 2002)
★まぼろしの企画がいっぱい
昭和36年の日活ダイヤモンド・ラインのメンバーの主演企画を発掘しました。タイトルが変更となり公開されたもの。出演者が変わったもの。オクラ入りになったものなど色々。 (12/22)
★当時の熱気が伝わる?
小林旭さんと日活についての雑誌記者の匿名座談会を見つけました。昭和35年の秋といえば、アキラさんの人気が上昇中の頃です。歌に映画に大人気の頃でした。(12/16)
★今では大したことではないけれど・・・
今は本物よりも本物らしいモデルガンや性能の良いエアガンが巷にあふれています。かつては本物の銃についての情報も少なかった時代にアクション映画には欠かせないピストルが日活で生まれました。それは他社に先がけて性能の高い精巧なものだった。「日活コルト」の名前で呼ばれるピストルは、日活アクションスターにとって欠かせない、もう一方のスターかも知れない。(12/14)
★1961年正月は、ダイヤモンドライン全盛?
この年の正月映画のラインナップは充実しきっています。ダイヤモンドライン4人がずらり。助演陣も充実。今思うと凄いですね。興行成績も『波濤を越える渡り鳥』を筆頭に好成績を収めています。夢よもう一度・・・といっても仕方なし・・・。(12/5)
★休日はビデオを流してありし日にひたる
かつて、地上波とBSの公共放送での番組を録画したものを久々に見た。3本分のテープで12分が2本、160分が1本。メモをとっていなかったので放送日は不明。一本はダイヤモンドラインの紹介。珍しい和田浩治の和製ウエスタンに改めて喜ぶ。他の方々のものは目にする機会は多いものの、この方のはずいぶん以前に日活映画が頻繁に流れていた頃にしか憶えがない。しかし、この手の内容を地上波のテレビでも特集した番組があったとは今更ながらに驚く。今も深夜の時間帯に流し
て欲しいもの。(10/9)
★すっかり,アキラ!
いや、すっかり秋です。哀愁を帯びたアキラの歌声が似合う季節。ただ今、SONGSの古い時代の歌詞を物色中、2〜3は歌詞の更新ができるでしょう。それと、こんな計画があります。映画ポスターに使われていた惹句を作品ごとに紹介します。東映では、その手の本が出てましたね惹句集。
MOOVIEの作品紹介のところに掲載の予定です。ただ今、鋭意作業中!左にある予告の小林旭さんの履歴書ですが、写真が使えない現在、どのよう
に興味深いものにしようかと迷っています。もしかすると、ボツネタかも?
ご意見を下さい。掲示板の方にでもお願いします。(10/4)
★ふらふらとまとまらず・・・BGM代わりのビデオ
アキラさんのビデオを整理中です。テレビ録画を含めてかなりありました。
最近は放映の機会も減ったようなので残念。仕方なく、レンタル落ちのビデオを物色中。遅れ気味のストーリー公開もなかなか進まず、ただ映画のビデオを回しているだけ。そろそろ、ストーリー制作にとりかからねば…思いつつ過ぎゆく日々。昨日は『波濤を越える渡り鳥』を流してました。
兄を追いかける伸次(あれ、渡り鳥が追う立場に)、「どこへ行くんだい兄さん…」ややあって「人の恋路を邪魔すんなよ」というラオスのセリフが頭に残って…。(9/15)
★「滝伸次」と「沓掛時次郎」の関係
渡り鳥シリーズが生まれた背景には、プロデューサーの児井英生氏の発想が元になったことが色々とありますが、その中の一つに「長谷川伸」の世界を現代劇でと考えられていました。代表作である「瞼の母」を筆頭にした数々の股旅小説は何本も映画化されヒットしました。市川雷蔵さんが演じた映画の『沓掛時次郎』
(1961大映)は渡り鳥の要素が一杯詰まっています(…と管理者は思う)。
■一宿一飯の渡世の義理から何の恨みもない人を切らねばならなくなった時次郎 は、相手の腕に一太刀あびせただけで立ち去る。しかし、その後男は頼んだ親分に殺される。実は親分が男の女房おきぬ(新珠三千代)に横恋慕したことから始まったこと。
時次郎は男に頼まれたことを果たすために、おきぬと太郎坊を故郷に送り届け るために旅に出る(*1)。夫を時次郎に殺されたと思いこんでいるおきぬは恨み
つつも旅を続ける。一方、時次郎に恨みを抱く親分は旅先に回状を出し、時次郎 の行方を追う。おきぬの故郷につき、単身で父親に会うが、頑固に引き受けを拒
む。その後、おきぬが身重であることを知り、かたぎになって自分一人で親子の面 倒をみると心に決める時次郎。おきぬは、元来の体の弱さを隠しつつ時次郎と夜の町を流す
(*2)。そんなおり、悪い親分に見つかる三人。やがて、その土地の縄張り争いまでに発展。生まれてくる子供のために金が必要になった時次郎は、一方の親分の助っ人の依頼に承諾する。
喧嘩は時次郎の活躍で一方的な勝利を得た。しかし、悪巧みの親分はおきぬと太郎坊がいる旅籠を襲っておきぬを殺す。そして時次郎の怒りが爆発。
太郎坊をおきぬの郷に送り届けて、その後を太郎坊が「おじちゃーん」と叫ぶ 中を去って行く。やがて、その言葉は「おとっちゃーん」に変わる。
このラストシーンに当時の人気歌手、橋幸夫の主題歌が流れる(*3)。
映画評論家の西脇英夫氏は「時代劇版シェーン」と称している(*4)。
[3 SEP.01]
<脚注>
*1=子供を故郷に送り届けるはめになる(『赤い夕陽の渡り鳥』)
*2= 町を流す流し(『渡り鳥北へ帰る』他はキャバレー内)
*3= ラストシーンに主題歌がかぶる
*4= 渡り鳥シリーズも『シェーン』の影響が大きい
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