「人生BBS」に書かれた、アキラさん、ジャンバールさん、マカオの竜さんの書き込みを編集し、まとめたものです。
 

乞う!ご期待! ・ジャンバール- 2005/06/15

 マカオの竜さん、日活映画が竜さんにとって・・多かれ少なかれ青春そのもので・・・人生の歩みに励みと影響を及ぼしてきたというとオーバーかもしれませんが印象深い忘れえぬものであることが思い入れと共に良く伝わってきます。
時代とともに生きてきた環境で触れ合った印象深い物や人は、いつまで経っても心に深く残るものです。
あの頃出合ったあんな人、あんなもの、あんな場所・・良し悪しは関係なく振り返る人生に欠かせぬものです。
私はよく渡さんに話すのですがこうして、このような場所で出会うことも又そういう一つになるんだろうなと思うんです。
ついでながら、30年代当時私はダイヤモンドトリオの映画に夢中になれた・・中でもアキラに執着してきた日活アクション映画ファンですので・・その範囲でしたら、なんらかの書き込みもできるかと思っておりますのでよろしく。

 

心のままに正直に  ・マカオの竜- 2005/06/15

 ジャンバールさん、渡さん、すぐに書いていただいて本当に有難うございます。実は色々迷っていて、掲示板への投稿は自分を曝け出さないとわかってもらえない、とのおもいがありましたのでなんか中途半端な状態でとどまっていました。それに区切りをつけるべく今日の文は、どうしてもすぐに投稿したいおもいにあふれ、時間に関係なく、かつ自分の気持ちを正直に書かせていただきました。
  持続できるよう気長にコツコツと書いていきます。でも書ける事は個々の作品の想い出、見た当時の年齢の感想が中心になります。大人の目からみたら、今の知識と感情からみたら、たわいのないものだと思います。しかし、それこそ青春とご理解ください。

 そしてもう一つ。渡さんの文のなかにあります。『「不良精神」は「他人の傷みを知る」にあります。殴られた時のくやしさ傷みは堪りません。』 掲示板で書く内容ではないと自問自答しながら、それでも書かないと先へ進めません。貧乏は人を歪めます。今と違って定時制高校にいくことは学力の問題ではなく、学費の問題でした。もうこれ以上書く必要はないと思います。歪もうとする心を日活映画が支えてくれたと思ってください。人の傷みを知ることをこの時代に学んだということだと思います。ただし屁理屈とひねくれも同時に学んでしまっています。群れることを嫌う、孤独な「狼の王子」が生き方の理想ということでこの話は終わっておきます。ジャンバールさん、『このような場所で出会うことも、振り返る人生に欠かせぬもの』のお言葉、心強くいただいておきます。どうぞ、アクションにかかわらず、いろいろなジャンル(あくまで私の分類です)に口を出してください。私の投稿の感想でも十分です。そして、アキラさんをはじめ、常連のみなさん、どうぞ個々の作品の感想をお聞かせください。渡さんからもこの掲示板はその内容を含んでいいとお言葉をいただいています。どうぞよろしくお願いします。

 

私の中のマイトガイ     アキラ- 2005/06/15

>マカオの竜さん。渡さん。ジャンバールさん。・・・・
 私は30代以降、一人悶々と、破産騒動に心痛め、ひょっと出すヒット曲に狂喜乱舞しつつ、ひそかに小林旭のファンを続けてきました。東映での旭に時代の違いとわかっていても、あの直線的で正義感溢れ、「醜い大人ども」を叩きのめす滝 伸次、野村、都築に猛烈な郷愁を抱き、欲求不満の歳月を過ごしてきました。そして「老境」を迎えたとき、全く偶然にこのサイトを見付けたのです。
 家内にだいぶ呆れられながら、このサイトの皆さん、とりわけ管理人の渡三郎氏(内心やられた!と悔しかったです。サユリストの私がずーっと憧れてきた小百合の「恋人」じゃーありませんか。く〜!)に大変お世話になり、のめり込んできた次第です。45年の私の想いをぶちまけたところ、渡さんのお力で特別枠 *を設定して頂き、もう感謝!感激でした。旭の全国的人気は人が思うほど遅くはありません。渡り鳥第2作「口笛が流れる港町」で既に私の住む田舎の上映館でも超満員、熱気とアクションに対する拍手と口笛で、「アキラワールド」と化していましたね。既に旭の人気は裕次郎を抜いてましたよ。(「アキラ、アキラを語る」)
  でも、その凄い人気の裏返しで、まるで旭を「マッチョなあほうタレント」扱いをする「業界人」や同調する一般人に、私は怒りと悲しみで本当に辛いときを体験してきました。今の若い人は、「裕次郎ファンは上流、旭ファンは低級」「東宝ファンは上流、東映・日活ファンはビンボー人」という「風潮」が一般化していたことを、想像すらできないでしょうね。昨年テレビで「兄弟」が評判をとったとき、反応のなかに私はかっての「裕次郎は一流」意識の残存をみました。
  旭が「熱き心に」で裕次郎通夜の石原プロの非人道的な対応をサラッと書いていますね。「一流」の虚像を守るプロダクションのみごとな姿勢です。でも、50年、旭は今多くの人々に愛されて、喝采を受けてます。私は単純に嬉しい。ひばり離婚騒動でも沈黙を通し、日活の酷使には「安くて丈夫なコバヤシアキラ」と自称し、それを逆にファンサービス徹底に代えていくバイタリティー、色々な世の中の不条理なことに耐えさせられてきた私や、多くの人々に、マイトガイは元気と生きる喜びを与えてくれてます。だから、50年たっても、否昔と同じ声援が続くんですよね。なんか旭には人生の底力が滲みでてませんか。  
  で、渡り鳥でも「マカオの竜」でも、「あいつ」でも氷室浩二も、よく観て下さい。錠や郷えい治や、平田大ちゃんが「悪人」を「殺す」ことがあっても旭は「殺し」ませんね。「渡り鳥故郷へ帰」っても笹森礼子ちゃんにまた別れを告げて故郷を出る如く、小林旭は永遠のさすらい人としていつも僕らの心に帰ってくれるんですね。旭が日活時代一貫して通したヒューマニズムの精神を、私は終生の信条として大切にするつもりです。皆さん、今後ともファン同士よろしくお願いします。渡さん、この素晴らしいファンの広場をこれからもよろしくお願い申し上げます。

 

女を忘れろ  マカオの竜- 2005/06/16

 「女を忘れろ」をみたのは小学校6年の頃です。当時日活の封切り館が一館だけあって、月に1回くらいの割合で旧作の5本立てをやっていました。5年生の後半の頃に始まり、6年生の年末ごろに、後期には4本立てになって、なくなりました。日活直営の封切り館が別に開館し、館自体が洋画の二番館になったからです。
  女を忘れろはその旧作の上映のときに見たのですが、同時にやっていたのが「二連銃の鉄」でした。封切り館という言葉そのものが懐かしいもので、現在のシネコンプレックス形態の映画館からはとても考えられない上映だったということでしょう。封切り館がロードショー館になり、二番館、三番館が名画座とよばれるようになったのはここ25年ぐらいのことでしょうか。
  映画館の今昔を訪ねることも楽しい映画研究かも知れません。ついでに「有楽町であいましょう」の歌に[今日のシネマはロードショー]の歌詞があります。子供のころロードショーなんて東京の繁華街で上映することを指す特別なものだとおもっていました。鼠が走り、トイレの匂いはあたりまえの映画館で育った世代です。今、考えれば映画館は興行場ですから保健所の管轄ですね。よく許可が出ていたものです。そんなことが昭和30年代には普通のことでした。この興行でみた映画を、上記の2本以外で憶えている一部を紹介しておきます。入場料は最初、40円、後、50円の子供料金でした。
 「嵐をよぶ男」「鉄火場の風」「風速40米」などの裕次郎の総天然色映画。「渡り鳥シリーズ」「流れ者シリーズ」「南国土佐を後にして」「銀座旋風児」などの旭の総天然色映画。赤木圭一郎の(このころはすでに死亡していた)「霧笛が俺を呼んでいる」「明日なき男」「抜き打ちの竜」などの総天然色映画と「ゆがんだ月」「拳銃0号」などのデビーまもない白黒映画。その他、「危険な女」「硫黄島」「われらの時代」などの白黒映画、等々、思い出すまま書きましたが、5本の組合せをはっきりとは憶えていません。主に昭和33・34年ごろの旧作を中心に上映していました。私の年齢からいうと渡り鳥や流れ者シリーズなど、初公開の時代では幼いころなのに見た事がはっきりしているのはこの理由、小学高学年の頃に各種再映時に見たことによるものです。
 「女を忘れろ」と「二連銃の鉄」が同時の組合せを憶えているのは、主題歌が寄与しています。女を忘れろは替え歌があって近所の中学生たちが「女ころがせ ○○○をぬがせ〜」と歌っていてわれわれ小学生にも口伝えで伝わっていました。一方、二連銃の鉄には「ダイナマイトが150トン」の歌が出てきます。変わった歌でしたから、へェー、この映画の主題歌だったのかとおもったのです。この理由から一緒にみたのをはっきりと記憶しているというわけです。二連銃の鉄はストーリーはよく憶えていません。なにかの猟のために鉄砲をもっていることと、ひたすら細かった旭と、先述の酒場で歌うシーンを憶えている程度です。(ラッコ討ちと知ったのは最近のことです)
 女を忘れろは旭に南田洋子が献身的につくす姿が目に焼き付いています。父親が死んでいませんでしたから、夫婦とはこんなものなのかと子供ごころに感じたのです。靴下を南田洋子に履かせてもらうシーンをみて、早く自分もそうしてもらえるようになりたい、と思ったことが記憶にありますので、なんとませた小学生だったのでしょう。男と女の関係もよくわからない年齢のころの話です。ラストで公衆電話で浅丘ルリ子にかけますが、声を聞くだけで一言も発しません。霙の降る中、タバコに火をつけ金子信雄と車は発進します。どこへいくのか、当時はよくわかりませんでしたが遠くへ行くことで再び会うことはないと感じさせる場面でした。大人になれば、自分もいつかそんな別れがあるような気がしたものです。映画的にはDVDも購入しましたので、今の目でみればいろいろありますが、本稿はあくまで記憶のなかにある日活映画を主体にしていきたいので割愛します。しかし、ここであげたシーンは50年近い、半世紀近く昔のことなのに昨日のことのようなできごとにおもえるのはどうしてでしょうか。あらためて小林旭の五十年におもいを馳せています。
 今回は日活映画鑑賞歴のことが主になりました。次回以降も作品を中心に据えてはいきますが、映画館のことも触れることがあろうとおもいます。暫くの間はおつきあいお願いします。

[おことわり] 女を忘れろの替え歌は決して女性や元歌を貶めるために書いたのではありません。私の記憶にある時代のことをありのままに書いたものです。不愉快におもわれることがありましたら趣旨をご理解いただくようお願いします。

 

これこそ運命の人生…   ・ジャンバール- 2005/06/17

>アキラさん、マカオの竜さん、渡さん
復興日活は裕次郎によって脚光を浴び、また邦画の世界も一個人のスター性が今まで以上に注目され人気を呼ぶこととなりました。見栄えのよい粋な若者の現代アクションとほとんどそれまで重視されなかった歌う銀幕スターというビッグなキャッチコピーも功をそうして一大ブームとなり一躍日活が日本全国の若者の心を捉えました。
 そのラインからのアキラのスターダムは幸運とも思えるし、又それにふさわしい個性と実力・・若者にアピールできる容姿と歌と演技のカッコよさ。なるべくしてスターになったとも思えるわけです。
 まず最初に大衆に衝撃を与えたイメージから常に第一人者として存在を認められていた裕次郎・・人気、実力とも迫り追いついたアキラだが常に二番手に甘んじながらも・・いつかきっとの根性で向かっていたことでしょう。ソフトな対応で相手への譲歩も考慮する裕次郎、対して常にシャープな危ない魅力と我の強さを主張するアキラ。マスコミからもファン受けからも安心できる裕次郎、ちょっと生意気で鼻っ柱の強いアキラ。年齢の差もあると思うが回りと仲良く輪になって楽しく上手に立ち振る舞う大人の裕次郎、回りに迎合しない常に自己を主張し誤解も受けるアキラ。でも裕次郎の存在を常に意識してきたアキラにとって同じでは常に二番煎じ・・承知で個性で意地を張り、振舞ってきた感が無きにしも非ずかと考えます。もちろん常に自分を信じ負けず嫌いの本来の性格もあったことでしょう。
 片やスターに偶然思いもよらずなってしまった人、方やスターを夢見て大きな志のもとに励んだ人。
 結果として共にビッグなスターとして大衆に大きな魅力を与えファンを得ましたが・・運命は皮肉で、常に包まれ大きな輪で存在を残しながらも裕次郎は薄命で終わり、スターという存在にありながら叩かれ、一歩落とされていたような立場ながらアキラは今、その存在が大きな歴史と知名度でクローズアップされ、何度か落ちてもまさに常に蘇る存在を見せ続けるという素晴らしさ。これこそ人生、これこそ運命・・アキラの生き様をつぶさに追って見て来ると不思議なくらいに自分の思い入れが現実に表れてきています。
  今やひばりファンも業界諸氏の方たちも当時の思いでアキラを見ていることは無いだろうし、アキラも本来の自分を築き上げてきた正に歴史の50年のように思われます。

 

黒い傷あとのブルース   ・マカオの竜- 2005/06/17

 男と女の暮らしがどんなものか実生活では体験できなかったことを、映画をとおして学んだのが「女を忘れろ」でした。男と女は哀しい別れも、ときには経なければならぬことを学んだのが「黒い傷あとのブルース」といえます。アクション映画ではありますが私には恋愛映画です。今のようなすぐ裸がでてくる映画ではありません。裸が悪いとは言いません。しかし心の交流を切なく描くほうが男と女の話はどれほどいいか。過去の恋愛名作映画といわれるものが今も心を打つのは、どんなに世界がうつろうと変わらぬ男と女のありようを物語っているとおもいます。霧の夜、ひとりレストランで待つ吉永小百合、入口までいきながら踏込めない小林旭、小牧洋子と渡三郎の哀しい話しのはじまりです。
 この映画をいくつのときにみたのか、はっきりとしません。日活セントラルという日活専門の三番館があって、中学生の頃の日活映画の大半はここでみています。赤木圭一郎の特集三本立てを繰返しやっていて、おかげでこの人の作品は全作品みている、それも特定の作品は三本立てにいつもくっついているものだから何回も同じ作品を見ています。「霧笛が俺を呼んでいる」はその典型作品です。DVDでも持っていますからもう一場面一場面すぐにうかんでくるほどです。この館は週一のラジオの30分番組をもっていて上映中の作品のダイジェストを放送していました。これでながれたのが黒い傷あとのブルースです。もう見たくて見たくてたまらなくなったんですが、悲しいかな、お金がありません。待つこと一年、三本立ての再々々ぐらいの上映でみたという記憶があります。この館で見た、想い出映画を何本かあげておきます。「星の瞳をもつ男」「ひとりぼっちの二人だが」「狼の王子」そして、期末試験の勉強をほったらかしにしてみた「その人は遠く」。芦川いづみの綺麗さ、映画の主人公、山内賢よりもっともっと憧れた映画のなかのひとです。機会があればとりあげたい作品です。あげてみればやっぱり不良少年映画になっているところが私のこだわりでしょうか…。
 回想のかたちで映画は描かれます。筋立てはここでは書きません。ただ、小林旭と吉永小百合の組合せはこれ1本で、二人の俳優の年齢からくるギャップというか、違和感を感じなかったといえば嘘になります。
 吉永小百合の若いときの少しつりあがった目が幼さを感じさせて、小林旭の恋人役はちょっとネといった感想は確かにありました。当時17歳では無理はないです。しかし、いま見ればその妙なアンバランス感がたまらなく魅力的にみえるのは、こちらが年をとったせいなのでしょうか。小牧洋子は敵の娘で、父親の大坂志郎を乱闘のなかで命を奪う(直接手をくだすわけではない)という負い目を渡三郎は背負ってしまいます。「私、待っています」のことばで三郎は迷いながらもレストランの前まできます。もう一歩踏み出せば洋子に会える。だが、と自問自答する。あの娘を本当に幸せにできるか、幸せにできる自分の過去か。黒い傷あとが疼く。背を向けた渡三郎の白いトレンチコートが霧の横浜にぼやけて、遠くへきえていく。

 ちぎれて消えたこの恋だけど さよならもいわないで あぁあの娘と別れてく 
 いつまでもこの胸にやきついて いつの日に消えるのか 黒い心の傷あと
 
  映画用の歌詞の主題歌がながれて終わります。この歌はタイトルにながれる歌詞も一部違います。日活映画の主題歌がレコードと違うのがあることを知ったのは、「不敵に笑う男」のときでした。
  今回、マイトガイトラックスの発売により、映画用に歌を収録していたことがはっきりとわかりました。演奏者も違うということで、その微妙な違いをこれからみつけていく楽しみも増えています。小林旭50年企画の恩恵に、小林旭ファン、そして日活ファンとして与かりたいとおもっています。「黒い傷あとのブルース」は愛や恋への憧れ、そして哀しさを、にきびが出始めた少年に教えてくれた数少ない日活映画でした。

 

私のなかのマイトガイ・パート?  ・アキラ- 2005/06/18

>ジャンバールさん。マカオの竜さん。渡さん。
 今「マイトガイトラックス」を聴きながらこれを書いています。
「不良」ジャンルといえば私は舟木一夫の『北国の街』をすぐ連想します。主演の舟木より県会議員の息子ながら「番」を張る山内賢のキャラクターに惹かれました。実は自分も和泉雅子演じる女学生が好きなくせに、舟木に譲り、かつ身体を張って別の番長グループから和泉らを守る山内に、典型的な日活的男気を見、とても好きになった映画です。旭の『南国土佐を・・・』もそうですが、日活の「歌謡曲映画」には、他社にみられぬポリシーがありますね。裕次郎の『夜霧よ今夜もありがとう』、旭の『黒い傷あとのブルース』『惜別の歌』はそういう日活魂の傑作だと思うのです。封切から遅れて昭和37年に実家の隣の「旭座(あさひざ)」で観た『黒い・・・』は、私は未だ失恋の痛手から立ち直れず、レストランでじっと待っていてくれる小百合を目前に、「別れの言葉もかけず」貨物船に向って去って行くラストのロングシーンを観ながらむしろイライラしてました。「何て勿体無い・・」これが当時の私の正直な想いでした。

 滝 伸次も野村浩二も、いつも身を引き去っていく、「渡よお前もか」少々私は荒れた心で観ていたように思います。DVDで再見したとき、大坂志郎の娘だと知ってからの旭の苦悩の演技に、改めて驚かされました。「歌謡映画」の枠を超えた男の忍ぶ愛の映画ですよ、これは。小百合の純愛がいつも言われますが、郷えい治に「心変わり」を詰問されるときの旭の耐える演技は絶品ですよ!私は『黒い・・・』は『放浪のうた』と並ぶ旭の真の男の生き方を鮮烈に主張する“男を泣かせる”傑作だと、言いたいのです。ファン歴46年目まで来た私は、この2作を、涙なくして観れません。ノー天気な「メロドラマ」が溢れる昨今、こういう男心に響く映画は、とても大事に思います。昔感じたもの、今感じるもの、それぞれでやはり小林旭の尽きぬ魅力を味わいましょう。あ、また思い出しました。『惜別の歌』で旭を助け、最後に金子信雄を刺殺するヤクザ幹部の男、あの平田大ちゃんもいい味を出してましたね。
 確かにひばり関係者も、日活関係者も、昭和30〜40年代のようには旭を見ていないでしょう。でも、先に逝った人は「美化」されます。どっこい生きている、生きる底力を発揮するマイトガイが、「しかし、でもね・・」と旭の昔の跳ねっ返りをぶりかえそうという連中を、黙らせる50周年の活動となることを予感します。過去のくだらない「評価」を霧消する実力を、今の旭は持ってますよ。

 

『心のBBS』・・ですね!  ・ジャンバール- 2005/06/18

  アキラさんの日活アキラ映画への視点、マカオの竜さんの心を反映させた観点・・とにかくお二人の作品内容の詳しさに感心しつつ読ませていただいてます。僕は関心度は強いですが子供の頃、自分が目にした時点から石原裕次郎・小林旭・赤木圭一郎・・それぞれの映像、歌唱、ビッグに持てはやされていく動きに興味と興奮を感じ惹き付けられてきました。単純に言えば当時は映画の内容で見に行くというよりも、アキラが出てる映画なら何でもよかったのです。「小林旭」が出る新しい映画やまだ見てないアキラ映画ならという感じで・・。
 アキラ映画の上映途中から入ることが多くて、暗闇の館内のスクリーンにアップでアキラの姿が・・キザな台詞でニコッと目に、BGMで聞き慣れたハイトーンが・・心地よく耳に。これだけで妙に印象深く、満足させられちゃうという感じでした。裕ちゃんやトニーの映画はいくらかストーリーを追っていたようにも思うんですが・・内容はほぼ勧善懲悪で主人公をカッコよく見せるものと子供ながらに感じていましたから、さほど拘りはありませんでした。しかし不思議に思いますがアキラには顔・声、他の二人と違って少し恥ずかしくなるようなキザな演技や台詞、アクションは図抜けていましたから一番目立ちましたが・・そんな部分に何故か含み笑いしたり、見とれたりでラストの歌を聞いて終わり、満足して映画館を後にし、歩きながらしばらく余韻に浸るという感じで、10分もかからないのですが家路までは見慣れた景色は目に入らず・・たった今見たアキラの映像の一部とか歌のフレーズを思い起こし、わずかながらも大人の雰囲気で歩いていたような感じにも思えます。
 今、TVでアキラの出演番組を見ますが・・事前に内容を知る、知らないは別にして・・とりあえず見るんです。つまらなそうだから見ないとか、良さそうだから見るとかいうのはなくて・・子供の時の気持ちとまったく変わってないんですね。
ただ現在は・・「ああ!変わらず元気だな!」というような気持ちが僕の心に付加されているのが変わったところですか。

予告編をどうぞ   ・マカオの竜- 2005/06/18

アキラさん。ジャンバールさん。渡さん。そしてきっとこの人生BBSを読んでいてくれている皆さん。
 つたない思い出話しを読んで頂き有難う御座います。今はお三方のみの反応でも続けていくうちに多くの方が自分なりの日活映画へのおもいを、自分の言葉で語ってくれることと信じています。
 「人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり。一度生をうけ滅せぬ者のあるべきか。これを菩提のたねと思い定めざらんはくちおしかりし次第ぞと・・・」信長が好んで謡ったといわれる「敦盛」です。50年以上生きてきますとだんだん人生の終着点が見えてきて、無常を感じるようになって来ました。そんなとき、このサイトを知って恐る恐る投稿を始めた新参ものです。無常とは、はかないからこそ美しく、そこに本質があるとの謡と聞き及んでいます。しかし、このサイト、特にこの人生BBSの掲示板は今までの皆さんの書き込み文から、仏教の教えによれば世の中のいっさいのものは常に変化し生滅して、永久不変なものはないという無常観とは無縁なものとの感想を抱きました。それが、小林旭映画であり、日活映画である。数多くある日活映画関連の掲示板の中から唯一ここを選んで、投稿し始めたのはいままでの皆さんの熱い文面にあります。そして、管理人である渡さんの掲示板運営についての基本態度、世の中には悪い作品はない、必ずどこかいい所があるとのおもいを感じたからにほかなりません。なんだか、えらそうな文になってきました。簡単にいうと真剣におもいを書ける場所と感じたからです?ジャンバールさんの「他にも負けず劣らずの方はいそうです」のとおりです。若い方は今の視点でみた日活映画の感想を、そしてオールドファンは昔みた視点でお話しください。ジャンバールさんの作品の話しもぜひ聞かせてください。渡さんの作品へのおもいも管理人の立場を離れた書き込みで聞かせてください。皆さん、文章のよしあしでなく、自分の言葉で素直なおもいを書いていけばいいというスタンスを守ってこの場所を大事にしていきたいものです。そして私も長く続くように微力ながら感想を書いていきます。
 最後になってしまいましたが、アキラさん、「北国の街」を山内賢の役柄で捉えていただけましたか。嬉しいです。この映画、青春映画であろうと不良少年映画であろうと舟木一夫映画のなかで「仲間たち」とともに語りたい作品です。いつかきっと取り上げます。それまでしばし、旭映画のなかで書きたい作品を先に投稿します。次回は「南国土佐を後にして」を考えています。私はこの作品を渡り鳥や流れ者の原点ではなく賭博師シリーズの前半5本の原点と捉えています。そのわけ等は本編にてということで今回の予告編は終わりにします。

南国土佐を後にして    ・マカオの竜- 2005/06/19

 日活アクション映画といわれるものの主人公の年齢は幾つ位だろう。話しの内容からすれば少なくとも、24歳以上、そう、大学をでて新聞記者の役として、卒業後二年ぐらい経過しているならそれぐらいか。この例は赤木圭一郎の「男の怒りをぶちまけろ」を例えにあげたのだが、実年齢より、4歳近く上の役を演じている。一般に実年齢よりは、筋立てからみると大分上の役どころを各スターは演じているのではないか。この作品の小林旭は実年齢でいくと21歳、役の年齢でいくと太平洋戦争の末期、兄の出撃を見送る時中学生としているから、昭和20年のこととして、映画は昭和34年の話とすればやはり24歳にはなっていると考えられる。この年になって振り返ればずいぶん背伸びした役どころを演じていたと思う。しかし、現代劇にもかかわらず少しも違和感を覚えなかったのはこのころこちらが子供すぎたのか。年齢にこだわったのは刑務所を出所する処から始まり、再起の道を歩く苦難が丁寧に描かれているからである。最後は再び罪を償うために警視庁に続く道を歩く、役名原田譲司、小林旭の後ろ姿の俯瞰で終わる。ここに伝統の日活不良少年映画の原形をみる。もし、実年齢の役の設定であったら少年院の退院後の話しとしても少しもおかしくないからである。少年院帰りの更正の姿としたら、私には西郷輝彦の「この虹の消える時にも」の姿とだぶってしまうから この「南国土佐を後にして」は忘れられない作品なのである。
 細かいストーリー、細部の描写はもちろん小学生のときにみたものだからおぼえていない。しかし、刑務所を出た人は「ムショ帰り」として世間の波にもまれるということは当時の私でもわかっていたと思う。それに、幼い頃から歌謡映画といわれるジャンルがあって五本立てに必ずといっていいほど、一本くっついていた。今にしてわかるのだが、それがいわゆるSPといわれた作品である。そのときの1本「北上夜曲」の題の作品をよく憶えているのは、大映で「北上川の初恋」新東宝で「北上川悲歌 エレジー」
として競作になったこと。今誰から聞いたか記憶にないのだが、新東宝の作品が一番よかったという話しだけ憶えているからである。ついでに大映の映画もみた記憶があるが日活作品ほど憶えていないのはやはり、おもいいれの違いだろうか。それはさておき、このことから「南国土佐を後にして」は、ペギー葉山の歌が異常なくらい流行したから、単なる歌謡映画の1本としてしかみていなかったのである。それがなんと違うことか、シリアスで生活に根ざした作品とおもったから、不良がでてくる作品とおもったから全然題名と違うことを今も鮮やかに覚えているのだ。
 そしてこの作品は、サイコロを巧みに操れることから、後の賭博師シリーズの前半5本の原形として印象に深いのである。これは先にも書いたが、渡り鳥、流れ者シリーズはほぼ同時代にみてはいるのだが、何分幼すぎてその良さを十分理解していたといいがたい。その点、「さすらいは俺の運命」のタイトルに代表される作品群は、学校でたらどこかの街に流れていって暮らし、また次の土地に流れていくという漠然とした将来を夢見た「洟垂れ小僧」のおもいを掻き立ててくれたシリーズなのである。「南国土佐を後にして」が基本にあって「投げたダイスが明日を呼ぶ」の世界があった14歳の頃の「さすらい」を聴くと今も涙がこぼれるのである。
 2本のタイトルはタイトルだけで泣けてくる代表として使いました。いずれ単独でとりあげたい作品です。

映画「対決」の頃…  ・ジャンバール- 2005/06/20

 そろそろ斜陽期の気配が・・日活でも裕次郎で何本、アキラで何本・・と製作企画がはかどらなくなってきた頃で裕次郎は独立プロ仲間にそろそろ気持ちが傾き始め、アキラは個人的な事業の推進に気持ちが移ってる頃で映画の興行収益も採算弱含みが顕著に見られてきた時期でしょうか。大映とともに危ぶまれ始めた厳しい経営に向かっていく気配が感じられ、いい企画もなく製作スタッフも行き詰まり、女性歌手や二流スターを使っての映画製作の頃でしたでしょうか。
裕次郎・アキラにあまり期待をかけられなくなって高橋英樹・渡哲也で何とか回そうと着流し物で高橋英樹再売出しにアキラが数本の参加をした一本が「対決」であって、今、本サイトの別コーナーで酷い論評を受けたり・・また別コーナーでは女性の観点から好評を得ていたり・・見る方さまざまでいいとは思いますが言えることは作る側はつまらないものを作るということは絶対にありえない。さらに出演する方もいい加減でいいなんて思っていることはまずないということです。
やはりそれなりに一生懸命にいいものを作ろうと仕事はしているのは間違いありません。
 心の温度差は多少人間ですからあるでしょうが・・脇に回ってもアキラはどうしても光っちゃう。英樹を何とか光らせようと演じてみても逆に目立ってしまう。後年の東映で菅原文太の前に、東宝で仲代達矢の前に堂々と存在を示してしまった、あの小林旭というスターの輝きはどうしようもないものであって・・過去とはいえ一斉を風靡したものの持つ輝きはどうにも消せないものなのです。それが本当のスターというものです。
 しばらくお茶を濁す程度の出演をこなし、自主制作「赤道を駈ける男」と同時期に再共演はもう無いだろうとの前提の10年振りの共演となる裕次郎との「鉄火の花道」の出演となるわけですが・・この2作品についてはアキラさんやマカオの竜さんのお話も是非、お聞きしたいと思っております。
機会があればよろしくお願い致します。

私のマイトガイパート3・旋風児 ・アキラ- 2005/06/21

 私が小林旭の大ファンになったのは、やっぱり『銀座旋風児』でした。昭和34年、記念すべき、多くのシリーズを送り出すこととなる、マイトガイのシリーズ第1作ですよね。原作者(川内康範)を反映して、これは正に“♪どこの誰かは知らないけれど、正義の人よ、良い人よ”月光仮面その人じゃあありませんか。豪華競演陣が旭の奮闘を支えています。
  マカオの竜さんが言われるように、実年齢21歳で「有名」デザイナーになれるわけもなく、銀座にデーンと事務所を構えることもできるわけない、二階堂卓也は、若くても25〜28歳の設定でしょう。でも、ベテラン脇役に伍して、21歳の旭は、しっかり演じてますね。この作品は渡り鳥と対極の、銀座という「日本の超有名地」に本拠を構えつつ、神出鬼没、キザでスマートなスーパーマンを、設定しています。女性に慕われながら「僕にもわからんですよ」とうそぶきながら逃れ、アクロバチックな見事なアクションを展開しつつ、悪を徹底的に叩く、その後のアキラワールドのヒーローを、既に我々に見せてくれているのです。田舎で「東京の銀座」に憧れた少年の心をいっぺんにわしづかみにしたカッコいい映画『銀座旋風児』・・・今観てもこのヒーローは旭にしかできないと、つくずく思います。
  そして、DVDで発売されたのを観ますと、カラーのトーンや、46年前の銀座の風景が、南風夕子の一杯呑み屋が、何ともいえぬレトロ感を醸しだしていることを発見しました。これは、あのバットマンの風景ですね。旋風児映画に出てくる悪党は、実にかわいいもんです。それが今日このシリーズを軽く見せているかもしれません。でも、それは現実の犯罪者が「小説」以上に凄まじいからで、ドラマの中のマイトガイの活躍を素直に楽しめばいいと思います。
 私はこのシリーズでは「帰ってきた旋風児」が、旭のダイナミックなアクションが堪能できて好きです。
 100本記念作品『赤道を駈ける男』につては、ヒロインに若林映子を配し、お得意のアクションを極力抑え、演技的にも小林旭の新機軸を狙った野心作だということ、「女を忘れろ」を逆バージョンでリメイクした構成で、旭が日本へ「帰国する」形にしたことが特徴であろう、などを「予告編」にして、また書きます。

 

黒い賭博師と中平康と闇の中の魑魅魍魎 第1回  
マカオの竜- 2005/06/21

 「泥だらけの純情」の監督がなぜ無国籍で荒唐無稽で奇想奇天烈な作品を演出したのだろうか。賭博師シリーズのそれまでのスタイルを全く引継がない作風に、なんだこれはとおもったのは事実である。「さすらいは俺の運命」の後「黒い賭博師」「黒い賭博師 ダイスで殺せ」「「黒い賭博師 悪魔の左手」と3本製作されたうち「ダイスで殺せ」を除く2本が中平康の監督作品である。正直、「ダイスで殺せ」の記憶はあまり無い。
  各解説、批評にあるように他の2作に比べれば旭の肉体を使ったアクションがあったことぐらいでここに書けるほどのものを持ち合わせていない。記憶の中の映画を原則にしているので、後年見た事を主軸におくことをご容赦願いたい。ただし、中平康の2作品だけは今回、他の解説、批評を先に確認している。というのは冒頭に書いたように当時中学生となっていたものの何でこんな映画を作らなければならないのかよく理解できなかったからである。
  そしてDVDでも発売作品に選ばれている悪魔の左手が、当時実際の劇場でどのような扱いを受けたかをはっきりと記憶していることにもよる。併映が「この虹の消える時にも」で、もう何度もこの作品については感動した作品と書かせてもらっているが、劇場の宣伝カー等の扱いは人気絶頂期を迎えていた西郷の作品がメインで悪魔の左手が副の扱いだったのだ。スター格からいえばとんでもない話しでそれこそ小林旭というスターのイメージダウンともなりかねない。だが興行は正直である。儲からなければそれで終わりである。日活本社からの宣材がどうなっていたか、悪魔の左手の大きなポス ターの記憶があって「この虹の〜」方が小さく貼ってあるのものが記憶にある。逆のパターンの記憶はない。だから本社のメインは悪魔の左手であったのだろうが、地方の館の思惑は別であったのではないかと考えている。 これはいつ聞いたのか、公開時のことか、終了後のことかはっきりしないのだが、日活首脳がとんでもない作品だと試写後にいったとか、いわなかったとかのスポーツ紙の記事を図書館でみたこともおぼえている。その後何かの再映時にもう一度劇場でみているものの、このことと、見た自分の評価のなかから長い間眠ってしまった作品となった。
  それが自分の中で再登場するのは、71年の「闇の中の魑魅魍魎」の公開までまたねばならない。ここで悪魔の左手の前後の作品に少し触れておく。65年11月公開の「結婚相談」 66年1月公開の「悪魔の左手」 66年5月公開の「赤いグラス」となる。その後は香港で監督するから日活では67年9月の作品(喜劇 大風呂敷)までない。悪魔の左手前後までまではコンスタンスに作品があることから、この悪魔の左手が何らかの影響を及ぼしていることは間違いないのである。「結婚相談」は芦川いづみの主演で当時の私の年齢からすれば大人の話しである。いわゆる成人映画を作り出したころで中平康の監督で「月曜日のユカ」「猟人日記」「砂の上の植物群」「おんなの渦と淵と流れ」と立て続けに公開されている。これらの作品は当然公開時には見ていない。後年、18才以上になってから再映時にかかさず見るようにしたものである。「結婚相談」は成人映画ではなかったから見れたのだが、芦川いづみがこんな映画にでているとおもったことと、濡場に「洟垂れ小僧」がどんなに興奮したか想像に難くないとおもう。今ならテレビドラマで日常的に出てくるシーンだが、こんなことでも時代と歳を感じている。
  さて、初公開時の状況などを俯瞰してきたが、ここから悪魔の左手を中心に最近入手した中平康に関する書物からの作品の紹介をかねて書いて行きたい。長くなると読みにくいと思うし、退屈にもなるとおもうので今回はこれで終わっておきます。ところで悪魔の左手とは誰の左手か。氷室浩次の手とすれば前半5本の手は右か、左か。南国土佐のときはどちらの手か。皆さんご存知であればぜひ教えてください。
 ジャンバールさんの期待に応えていないことお詫びします。今暫く時間を下さい。アキラさんつづきを楽しみにしています。

 

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