「人生BBS」に書き込まれた、HNアキラさんがご自身の小林旭さんへのこだわりを綴られた文章を再編集して再録致します。アキラさんのアキラさんへの熱い想いが伝わることと思います。本来は書き込まれたものを全て収載したかったのですが、既に無くなったデータもあります。現状のもののみを掲載しました。日活アクション全盛時を体験なさったファンの一人の声として掲載させて頂きました。御意見・ご感想をお待ちしております。

 

管理人 渡三郎

 

帰ってきたあいつ

松岡さん、渡さん、お元気ですか?さすらいから久しぶりに帰ってきた アキラです。

日活のホームページを開くと、あるわあるわ裕次郎、旭 以下日活作品データベース。今入手できる販売ビデオ、DVDを幾つかネット注文して、観てました。チャンネルNECOでは、日活未発売の作品を録画できるので、嬉しい限りです(「マカオの竜」とか「やくざ渡り鳥・悪党稼業」とか)が、日活に不満なのは、裕次郎作品は殆ど販売されているのに、旭作品は非常に少ないということ(例えば「あいつシリーズ」は一本も売られていません。)。いつもの私のグチ、日活は旭に冷たい。まあ気を取り直して、3月の特番は「縄張はもらった」や「あらくれ」など長谷部安春監督ものなので、チャンネルNECOを楽しみにしている今日この頃です。?昭和34年、中3の私は、文化祭公演にオリジナル脚本「波止場の渡り鳥」で監督、出演(金子信雄さんを意識した役)を敢行し、夢をかなえました。主演のS君以下クラスのみんなが私の思い入れを理解し、協力してくれました。滝 伸次をしっかり好演してくれたS君も今は鬼籍に入ってしまいましたが、「赤い夕陽の渡り鳥」を観ていて、あのころの目を輝かせて日活無国籍映画の世界に浸っていた私やS君のことを、思い出しています。
せちがらく、夢をなくした今の社会を寂しく思いますし、邦画よ、新たな夢世界を創造せよ、と祈念しております。
あ、そうそう、渡り鳥、流れ者の世界を旭の名曲で再現するCDの案、大賛成です。通販で全集とか裕次郎、赤木とのセットは手に入りますが
イマイチです。なんとか実現させたい企画ですね。
では、また旭の世界を鑑賞します。     
アキラの独白でした。

 

なつかしいなあ。あの頃の想い。


嬉しいなあ。昭和30年代後半、日本が高度成長に突入しようとするとき、中学から高校生になっていった私にとって、当時の大人達が夢中になっていた松竹ではなく、時代劇専門みたいな東映でもなく、ダイヤモンドラインの日活に、それこそ夢中になったのでした。実際の年齢でそれほど大きな隔たりのない日活スターに、憧れや親しみを感じていたのです。また、まだまだ東京の山の手と田舎の僕らの風景の差はとてつもなく大きいものがあり、都会風のしゃれた作風をみせてくれた日活作品は、僕を含めた当時の若者を強く惹きつけてくれたのです。「風速40米」で颯爽と登場する裕次郎の眩しいこと、「銀座旋風児」のあのメロディーとともにキザに、でもカッコよく登場する二階堂卓也に憧れ、銀座を歩きたい一心で、東京の大学ばかり受験し(私は関西出身、在住です)、M大で4年の東京暮らし、新宿日活は私の「通学館」になっていました。まさに時流に乗り、若者の圧倒的支持を受け、日活黄金時代が築かれたのです。なぜ20代そこそこにすぎない裕次郎、旭がうけたのか?社会の支配者、指導者が中高年世代であった、若者は「若輩」として子供扱いされていたとき、その大人の「悪人」「支配者」を、痛快にやっつけてくれるヒーローとして、拍手喝采で迎えたのですね。特に因習の強い地方のボスをみごとなアクションでやっつけ、美人のお嬢さんの思慕をふりきって、男は去っていく、渡り鳥が全国的大ヒットを続けた背景が、ここにあるのですね。旭の他の誰も追随できないアクションのみごとさが、若者の心情を映像でかなえてくれたのです。ライバルの殺し屋と対立しつつ、最後はボス金子信雄を倒して、江木俊夫坊や(可愛いねえ)もふりきり、浅丘ルリ子もふりきって去る旭・・・「大草原の渡り鳥」大ヒットは、当時の日活路線のみごとさを顕現していたと、思い出します。だから、私は還暦直前の今でも、日活映画を観ると、血潮が踊るのです。そして、実質赤木の遺作となった「紅の拳銃」を観たときの衝撃を忘れません。新たな日活路線を開くのはこの男だ!本当にそう感じました。彼の魅力が凝縮された傑作で、旭にも裕次郎にもマネできない男の魅力が溢れています。本当に惜しい逝去でした。おまけ、ですが、私はさいとうたかお原作の「ゴルゴ13」をシリーズ化してぜひ40代の旭に撮ってほしかったと思っています。東映で健さんや千葉チャンで映画化されましたが、原作に最もふさわしい俳優は、小林 旭だ、と信じて疑いません。   
アキラの独白2でした。

 

私の独白3


雪さん。裕次郎の「風速40米」は1958年の製作です。すでに裕次郎は1957年に「嵐を呼ぶ男」「俺は待ってるぜ」で大ブレイクしていて、1958年にはあの旭との共演「錆びたナイフ」も作られています。「錆びた・・」は主題歌がヒットしていて♪砂山のを〜砂を〜掘ってみていたらあ〜・・・と、裕次郎のキザを真似ながら我々ワルがきどもは歌っていました。ついでに、当時の中学PTAは、裕次郎の歌を「低俗歌謡」といって、我々中学生に歌うことを禁止していたのですぞ。すごいでしょう!確か禁止第一号の歌は「黒い花びら」でした。そういう時代に、前述したように、隣が日活映画館だった私は、学校をさぼっても、定期試験中でも、せっせと通い、裕次郎、旭、トニーの「抜き打ちの竜」を観に行ったのです。新宿日活に通い始めたのは上京して笹塚に下宿してからで、1963年でした。裕次郎の「夜霧のブルース」旭の「風が呼んでる旋風児」からかな。小百合さんの(実は彼女と私は同い年で、私も「サユリスト」です。)「愛と死をみつめて」などは3回も同館で観て泣きました。でも貧乏学生だった私には、新宿西口を下った日活2番館がお気に入りで、少々前の映画もここで楽しむことができました。雪さんとのニアミスが実現しなかったのは、本当に残念です。
渡さん。私の意見の意義を評価していただき、本当に嬉しく、有難うございます。私は10代よりこのかた、率直にあれほど興行収入に貢献してくれる旭に対する日活の「冷たさ」を抗議してきたのです。そして数十年にわたる私の気持ちをこのサイトで披瀝させて頂いている次第です。どうぞ私の意見が活用できますなら、自由にご利用下さい。小林 旭という日本映画界に傑出するアクションスターを不当に低俗判定しかしない「盲目の」自称インテリどもは、美空ひばりとの離婚騒動のときも、口汚く彼をののしりました。彼は一切の「弁解」をしませんでした。高校生だった私は、いたく感動したものです。彼ほどの「男らしい男」がいましたか?本当の人物評価は難しいものです。ではでは。


 

皆さん熱いですね。


皆さんの熱い想いを読ませて頂いてると、私もまた「ダンチョネ節」のトラウマに陥ったあの頃に帰ります。裕次郎作品より2〜3割少予算を我慢させられ、明らかに「俺の血が騒ぐ」「錆びた鎖」という優れた脚本でバックアップされ出した赤木の追い上げに焦りを感じていた旭は、文字通り体当たりの真剣勝負で、映画俳優を敢行していたのだ、とリアルタイムで作品を通して私は印象を持っていました。この辺の旭の心情は、彼の著作「さすらい」で述べている通りです。日活がすごいテコ入れで赤木の売り出しを図った、「紅の拳銃」が遺作となったのは残念でもありますが、この作品でのわきを固めた俳優陣を見てください。垂水吾郎、小沢昭一、草薙幸二郎、藤村有弘、芦田伸介、小沢栄太郎、わが国の当時の「新劇俳優」を動員したような壮観さですよ。むろんこれらベテランに伍して堂々と秘密捜査官・中田克己を熱演している赤木の素晴らしさを決して否定しませんが、「流れ者シリーズ」最終作「風に逆らう流れ者」のいいかげんな作り方と比較したとき、正直はらがたちます。(この作品、未見の方はぜひ観てください。孤軍奮闘、旭は素晴らしいアクションシーンを演じています。涙がでますよ。)
私は、皆さんと同じく、旭と赤木の共演が一本もないことを惜しむ者です。高橋英樹とは幾つも共演し、少なからず英樹の売り出しに旭は貢献していますが。で、夢の共演アイディア。「俺にまかせろ旋風児」・・
二階堂卓也が暗黒街の悪徳ボスに挑戦するとき、謎の用心棒が対立しつつ、最後は旋風児を助ける。男と男の物語。用心棒はその世界の有名人「抜き打ちの竜」であった。これにコルトのジョーが絡み、ルリ子と笹森が姉妹として絡む。監督は旋風児と拳銃無頼帖両方をてがけていた野口晴康氏で決まり。旭、赤木、錠、浅丘、笹森、この豪華キャストに新劇界の大物(滝沢 修ならベスト)を加えて、正月作品として撮ってほしかったなあ。・・・・かなわぬ春の夢です。赤木がもう少し先まで活躍していたら、彼の主演作か、旭のか、いずれかで実現していた。そして、彼赤木の台頭に奮起した旭が、全くの新境地で映画を作っていた、と信じているのです。  
アキラの独白4でした。

 

黄昏のダイヤモンドライン


松岡さん。 確かに言われる通り1961年の旭作品は本数も猛烈でしたが、内容は多彩でしたね。シリーズものが平凡だった代わり、「太陽海を染めるとき」「大森林に向かって立つ」「嵐を突っ切るジェット機」「黒い傷あとのブルース」(サユリストの私はひとつで2度おいしい、完璧な2枚目旭ということで、年末封切りなのに何回も観に行きました。)等などまさに窮地にあった日活を旭一人背負って立つ、という状況でした。むろんダイヤモンドラインに急遽加わった錠さん、二谷英明さんもすごい主演作の連続で、一見日活の全盛再現を思わせるのですが、裕次郎にかっての勢いはなく、和田浩治は明らかに力不足で、ダイヤモンドラインは黄昏を迎えていたと想うのです。その後「ムードアクション」路線で(なんと!)浅丘ルリ子を引き入れて成功を収めた裕次郎に比べ、旭は渡り鳥からの転換に失敗したのではないでしょうか。でも、誰にもひけをとらないアクションの魅力で、旭人気は続いたと思います。
初期の裕次郎は、彗星のごとく登場した「長身の」「湘南ボーイで」「保守的価値観を打破する若者」として、実際は男性達の大きな支持を集めたと思います。地方の映画館の入口扉が閉まらないほど観客がつめかけた、というのは私も何度も体験した本当の話です。痛快な裕次郎の映画はストレートに若者を惹きつけ、私も裕次郎ファンからスタートしたのです。「日活青春路線」の初期の旭は、演技も固く、ストーリーもやっぱり固かったので、正直それほど熱くはなれませんでした。でも、
1959年「女を忘れろ」でのストレートな演技は、「オヤッ」と思わせるものがあり、この年はご存知のように「南国土佐を・・・」がブレークして、「旋風児」第一作で旭の魅力にのめりこみました。後世いかにも女性ファンの多さで裕次郎、旭がスターになったといわれますが、私の追想によれば、やはり2人とも世の男達の熱い支持でスターダムに登壇したと、思いますよ。裕次郎の「嵐を呼ぶ男」はドラム、旭の「南国土佐・・」はやくざなダイス使い、と男臭い世界のヒーローですもん。映画館を満員にした主流は、男でした。
私は歌でますます旭に入れこみ(初期の「十字路」は、名曲ですぞ。)、裕次郎のアクションは、胴から上、鉄建だけのアクションで、飽きて、つまらなくなった私は、アクロバチックとやゆされながら、身体全体で表現する、スタント抜きの旭に惚れて、今日までファンを続けているのです。赤木や裕次郎も、若くして逝去したのは、本当に残念ですが、全国的なファン層では断然旭がトップですし、「東京へギターを持って行けば、小林 旭に出会える」と信じた武田鉄矢のように、多くの青年に夢を与えてくれたのも、旭でした。確かにリアルタイムで裕次郎、旭、赤木を観れたのは幸せですが、今ビデオ等で観ますと、それなりに新しい魅力を発見します。若い方、決して落胆しなくていいです。それだから、日活はもっと旭作品をビデオ化、DVD化しろ!と声を大に言いたいのです。こんなところでよかったでしょうか。

 

 

アクション考 アキラ


日活アクションの面白さは、裕次郎の勇壮、旭の軽快、赤木の静黙というそれぞれの個性を生かしたドラマ造りにあると思います。だから、裕次郎は立ち姿、脚からの登場、に「美学」があって、当時のファンも彼の登場シーンで大半満足していました。従ってアクション映画としての裕次郎人気は、今から思うと意外に短命だったと思います。「西部警察」のボスは、まさに彼の美学を最もよく表現していたのですね。(さすが、裕次郎を最もよく知る渡 哲也のアイディアです。)
一方赤木(トニー)の静かで寡黙なスタイルに(その淋しげなダイヤモンドライン唯一の独自性)、彼の魅力が輝いていましたね。彼の唯一のシリーズで,第1作「抜き打ちの竜」にそれが凝縮されてますが、正直トニーの作品のアクションシーンは、私のように旭を観慣れた者には、少々もの足りません。彼の体型では、旭のようなアクションをやらせてもダメでしょうね。淋しげにつっ立って一瞬のガンさばきを見せるスタイルを考えた人に、敬服します。その集大成が「紅の拳銃」でした。
高橋英樹に長ドスをもたせて、殺陣をやらせたアイデアも、秀逸ですね。「男の紋章」は、英樹が日活に残した素晴らしいシリーズです。のち、「桃太郎侍」等テレビで時代劇で活躍する彼の土台は、まぎれもなく、日活のこのシリーズで、旭とも共演した「任侠もの」は、あまりよかったとはおもいませんでした。
さて、真打小林 旭ですが、彼があきれるほどのシリーズを持ったスターだということは、むろん居並ぶ他社のスターと比べても、他の追随を許しません。(わずかに、勝 新太郎くらいですね。)それは、どんな危険で困難なシーンもこなしてしまう抜群の運動能力と、それに伴う
確かな演技力(セリフの表現力は、裕次郎、赤木と比較すれば、その高さに驚きます。)があいまって、作品を面白く、豊かにしていると思います。人はシリーズの類型化を「批判」しますが、細かく計算され、工夫されていて、その批判は当たらないという事実を、このサイトの皆さん、渡さん、松岡さん、ナオヤさん、は、おわかりのことと思います。
旭のシネスコ画面を縦横に活用して我々を堪能させてくれるアクションは、文句なく月光仮面、仮面ライダー、ゴレンジャー等などに連なる「勧善懲悪」を徹底させた爽快感を味あわせてくれます。とてもテレビの小さな画面にはおさまらない、「映画スター」ですから、テレビ全盛時代に入って彼の出番は減少しましたけれど、理屈ぬきで痛快感を、これからも楽しみましょうぜ。
最後に、これらスターをひきたたせてくれた「殺し屋」宍戸 錠さんの存在の大きさを再確認させて頂きます。
前にも書きましたが、日活映画は、私のような中高年でも、観ればみるほど、あたらしい発見をしますよ。  

 

まさにその通りです

>松岡さん
まさにあなたの仰る通りですね。鋭いところを指摘されたと欣快の至りです。「渡り鳥シリーズ」は、東京の封切り館で「行列ができる」ほど大ヒットを連発した映画で、そのパターンを拝借して「寅さん」や「若大将」シリーズが続いたのだ、今でも私もそう思います。
若大将と青大将の奇妙な友情とライバル関係、ルリ子に対応する星由里子の存在。なんや旭、錠、ルリ子のトリオを東宝に移しただけやんか、と言いたくもなります。しかし華麗な(!)アクションが無い!!これは若大将の設定が滝 伸次と違うというよりも、加山雄三に同じようなアクションを求めることがそもそも不可能だったと言わざるをえません。でもあとはまるで「渡り鳥」の「都会版」世界じゃん。一方寅さんが日本を放浪して、各地の問題を「解決」し、マドンナに出会いながら決して結ばれず、(浅丘ルリ子扮するリリーさんと結ばれそうになる展開は,監督の遊び心を感じて、大いに気にいりましたが。)シリーズが続いた点で、日本人のふるさと郷愁と人情大好き性をうまくくみあげた作品でした。さすが山田洋次氏は、必ず寅が帰ってくる拠点として柴又の「とらや」を置いたこと、物語を徹底して喜劇と人情劇で通した着想で、日本一のシリーズ作品数を達成しましたね。
で、確かに寅さんほどの長期シリーズにはなりませんでしたが、「座頭市」は渡り鳥・時代劇版ですし、「釣りバカ日誌」シリーズは、渡り鳥の「変型」と言えなくもない、と少々強引に主張して、要は「渡り鳥・流れ者」は永遠に不滅デス、と言いたいわけです。寅さんものや、座頭市ものを観たあとで、無性に旭ものを観ようと想うのも、旭の傑出したアクションが観たいだけではない私です。そうですよね?松岡さん。

 

 

男の哀愁がそこに・・・・

>ナオヤさん、松岡さん
旭作品のエキスを語るおしゃべりの楽しい輪に、私もひとつ入れさせてください。
「銀座の次郎長」シリーズの面白さは、日活調喜劇の中にも、旭の鮮やかなアクションが展開され、ギュッと引き締まったつくりになっていましたね。普通「2枚目スター」がコミカル演技をやると、どこかに「照れ」がみられて、どうもいけません。その点旭はケレン味のないすっきりした演技で、これもダイヤモンドラインNO.1だったと思います。
でなければ、第1作で失敗をして、シリーズとはならなかったでしょう。
男の哀愁が漂う旭作品の持ち味は、女性ファンのハートに響かせようとする製作の意図があったと思いますが,男性ファンも実はぐいと惹きつける要素だったのですね。「女を忘れろ」で受話器の向うに一言も語らず、金子信雄の出すライターでたばこに火をつけるあの姿で、若き日の(笑い)私は、すっかり旭に嵌まってしまいました。来月のチャンネルネコ「大森林に向かって立つ」のラストは、彼の哀愁の典型作ですし、私も今から楽しみにしているのです。

 

大離れのラスト


>ナオヤさん 旭映画の土台に関するご造詣の深さに敬意を表します。
中学生のときからリアルタイムで旭作品とつきあってきましたが、なんせ私も気まぐれ者でして、見落としている作品も数々あります。チャンネルNECOのおかげで、改めて「見逃し新作」的に鑑賞し、旭の魅力を再発見している今日この頃です。ローカルに、私の周辺では、還暦直前の私が、旭と同じキーで高音を出して旭の歌を唄っているおっさんで通っています(「女房きどり」の高さはたまりませんなあ〜)が、40年来の親友が裕次郎命の奴で、こいつに旭の魅力を知らしめることが、今の私の生きがいなのです。
さて、私の好きな旭映画の「ラストの別離」ベスト3です。(定番の渡り鳥、流れ者シリーズを除きます。)?黒い傷あとのブルース ?マカオの竜 ?惜別の唄 次点・大森林に向かって立つ
いや〜、吉永小百合の可憐さ、十朱幸代の辛さ、笹森礼子のひたむきさ、いずれもいいですねぇ〜。如何でしょうか?

 

 

いままた全編みちゃいました


>松岡さん、確認のつもりが、つい全編観てしまいました。
「高原児」です。なるほど、いつものようにルリ子のもとから去って行くときに、二人が交互に「宇目の唄げんか」という民謡を口ずさむシーンは、新鮮でしたね。郷 エイ治が(ジャック・パランスみたいな黒ずくめスタイルがいいですね。)共に去る二人に、夕焼けと主題歌が被さるいいラストシーンでした。そこを確認するだけのつもりが、結局頭から鑑賞してしまいました。牧場の銃撃戦、大屋根から飛び降りるアクション等、また楽しめました(デビューした高橋英樹も度肝を抜いたと思います。)し、この銃撃戦は「大草原の渡り鳥」に並ぶシーンだと、唸らされました。
久しぶりに脂ののっていた時期の旭の痛快アクションを再見する機会を持たせて頂き、松岡さんにお礼申し上げます。

 

映画館哀歌

>アンズさん
幸せにも日活ダイアモンドライン全盛期に、裕次郎,旭、トニーらを映画館で観ることの出来た世代の、通称アキラという者です。
お目当ての本編は当然として、実は始めに上映される次週予告編がこれまた絶品でして、中学高校生だった私は、ワクワクしながらみたものです。旭の予告編は「旋風児もの」が面白くて、みるたびに東京の、銀座にすごく憧れたものです。
私の住む町でも、私が高校時代に4つあった映画館が、今たったひとつですもんね。当時ビデオもDVDもないわけで、「日活スコープ」の「大画面」に展開する渡り鳥の大自然、女優の「美しき大アップ」にうっとりしたものです。旭のアクションは、この大画面では(今あなたが想像しておられる以上の)迫力があり、だから松岡さんはやはり映画館のスクリーンでの鑑賞に惹かれておられるのでしょう、女性以上に当時の男性ファンを獲得したと、追想します。映画館の減少は時代の流れですから、前にもこのサイトで述べたのですが、殆ど裕次郎作品がビデオ等で販売されているのですから、旭作品もどしどし商品化してほしいのです。それを家電メーカーが「ホームシアター」の格安化に努力して、少しでも「大画面」に近づいた鑑賞をしたいなあと、夢想するおっさんであります。
俳優50周年の今年、渡り鳥・流れ者全作品のDVDを売り出してほしいですね。最近東映の「修羅の群れ」をビデオで観ました。画面に登場する旭を観て、強くそう思いましたね。    
私の独白です。

 

 

放浪のうたが聞える


>松岡さん
言われるように旋風児シリーズでは「風がよんでる旋風児」がビデオ未発売ですね。というわけで、以前収録していた同作を改めて観ました。そこで感じたこと。?助手役の高品 格はグッドですが、他の役者,特に敵役が不十分で作品のオモシロさを低下している。?題材の「ダイヤ密輸」と少年誘拐がうまくかみあわず、従って「旋風児」らしい内容に届かず、旭の魅力も中途半端である。・・・要するに失敗作だったということです。日活がこの作品だけビデオ化しなかったのは、そういうことではないでしょうか。しかし、やっぱり第1作が一番ワクワクさせられますね。・・・という私の感想です。
放浪のうた・・・・他の人に遅れること1ケ月、ようやくあの素晴らしい哀愁に満ちた主題歌を味わいながら、おとこ気がギュッと詰まった2枚目旭を楽しみました。むろん年齢的なこともありますが、自分の気持ちを抑えて、好きな女のために身体を張って戦い、静に最後は女の幸せを祈って去って行く・・・・若い時の「渡り鳥」のパターンを踏みながら、しかし全く違う男の生き方を鮮烈に描いていますね。出所してから広瀬みさ演じる恋人を探し続ける冒頭からラストまで、女性にはたまらない魅力がつまったメロドラマではありませんか?日活は裕次郎と並ぶ「ムードアクション」の道を旭でも探っていたのでしょうか。しかし、旭は日活任侠路線のスターとして歩むこととなりますよね。旭の「ムードアクション」シリーズ・・・・いま少し幾つかの作品を作ってほしかったなあ。おまけ。監督の野村 孝は「黒い傷あとのブルース」でもいい味をだしていました。好きだなあ。そして、この「放浪のうた」や「マカオの竜」主題歌等など、クラウンの素晴らしい映画主題歌を集めたCD、リリースしてくれんかなあ。鑑賞後の余韻を楽しみつつ。

 

小林 旭らしさ


「美空ひばりを大衆に返したれや。」田岡組長の一言で離婚を決意した小林 旭は、その後(どれほどひばりサイドのとりまきから誹謗中傷されても)ずっと「沈黙」を通してきました。男らしいその姿勢に、改めて彼のファンであることの充実感をもちました。ひばりも、生涯唯一の「夫」である旭を個人的には愛し続けていたと推測します。(彼女は離婚後徹底的に歌手・美空ひばりであろうと努めていたように思います。)言われるようにひばり逝去で作られ「惚れた女が死んだ夜は」は、秘めた旭の心を唄っていて、私などはとてもカラオケで歌えません。生前「熱き心」が大ヒットしたとき、阿久 悠にひばりが「あちらばかり書かないで、私にも(作詞して)くださいな。」と言ったエピソードは有名で、ひばりが旭を想っていたことを如実に示すハナシですよね。
 
 昭和37年、過渡期に入っていた年、共演者は2本の浅丘ルリ子に対して、なんと4本も笹森礼子が撮っています。その中でも「惜別の歌」は私の大好きな作品で、後の「ムードアクション」的作風をとっていますが、やっぱり彼のアクションが前面に出ており、それが逆に今日なお楽しめる作になっているように思います。体操演技はむろん本人ですし(冒頭の字幕部分のシーンというのがいかにも残念!)、作品中のアクションはなんとジャッキー・チェンばりのカンフー、それも実にさまになっています。日活スターの中で旭の独壇場ですよ!最後の別れのシーンに涙しながら、女性の皆さん、ご鑑賞下さい。男性の皆さん、「縄張はもらった」などいかがでしょう。日活任侠映画(東映・高倉 健さんとも違う)を楽しむのも一興です。

 

 

アキラ節と馬渕氏


>ヒムロさん
長文のアキラ歌謡史を有難うございます。「乾杯!トークそんぐ」は私も大好きな番組でした。旭のそのトークは残念ながら未見で、ヒムロさんのカキコで多くのことを教えて頂き、感謝です。コロムビアで旭を日活・児井プロデューサーから紹介された馬渕氏は、「歌がちょっとウマいぐらいのことだろう。」と、殆どまともには考えなかったそうです。しかし、旭の歌声を聴いた氏はビビッとくるものがあり、突きぬける高音(当時フランク永井を代表とする、男の低音ブームがあり、逆に高音男性歌手が求められていた背景もあります。)に、馬渕氏の製作意欲が涌き出たといえましょう。「アキラの・・・」と冠をつけた民謡シリーズでヒットを連発させた氏のアイディアは、今から思っても秀逸です。(「ズンドコ節」といえば、氷川きよしではなく、我々の世代では♪「街のみんながふりかえる〜」という小林 旭のズンドコ節ですね。)

>久里子さん、雪さん
ご丁寧なご期待のお言葉、有難うございます。
ご期待に沿えるカキコができますか、どうか、私も心配です。昭和30年代後半、中、高校生であり、級友間で裕次郎、旭、赤木のファンを主張して各々張り合っていた、血気盛んな自分の想いを回想して、ここに書かせて頂いているだけです。(ここでの私のネームを「アキラ」とさせて頂いている事情です。)当時高校生の女子は誰に「お熱」をあげていたのか、我々男どもは、気にもとめず、日活アクションとスターに熱中していました。映画館から出ると裕次郎のあのやや足を引きずる歩き方を真似るし、確かに、(エレキギターがまだ一般化してない当時)ギターをマスターしようという若者が増えたのも、日活映画の影響です。今日、テレビやファッション雑誌等、多彩なマスメディアが若者文化を産み出していますが、映画、特に日活「青春スター」が世の中に与えた影響は到底今日再現できない巨大なものです。「無国籍映画」「アクションだけの軽薄映画」・・・いわゆる松竹、東宝調の「高級映画」に比べて、大人達は日活をボロクソにコキ降ろしました。しかし、若者文化を育てたのも、社会風俗に圧倒的影響を与えたのも、日活だったのです。石原慎太郎がその先見性を発揮してましたし、カラッと明るい作風の日活は、戦後の日本にようやく落ち着きが見えてきた社会で、大衆の大きな支持を獲得したのです。中でも、台湾、香港で絶大な支持を得た小林 旭こそ、不当な評価しか下してこなかった「映画業界」が、その歪みを深く恥じるべき大スターなのです。
「惜別の歌」と並ぶ、私のお薦め女性胸キュンの旭作品です。「意気に感ず」(浅丘ルリ子と十朱幸代のさやあてが愉快ですよ。旭にはめずらしい、サラリーマンものです。1965年)機会がありましたら、ぜひご覧下さい。

 


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