口笛が流れる港町

『口笛が流れる港町』は謎が多すぎるといえば大袈裟になりますが、単純な疑問はタイトルの「港」が何処なのか登場しない。渡り鳥シリーズ2作目とはいえ、後に全てのシリーズ映画またそれ以外の映画にも使われた、シリーズ主題歌の「ギターを持った渡り鳥」が登場しない。

『ギターを持った渡り鳥』のラストで滝伸次がつぶやく「佐渡にでも行ってみようと思って…」と死んだ女の墓参りは3作目となった。では、2作目の宮崎・えびの高原に行ったのは何故なのか。

本編主題歌の「口笛が流れる港町」は曲としても秀逸である。なのに後には一度も登場しない。こうした事を考える時、この作品は渡り鳥シリーズのプロット版だったのでは、つまりシリーズを固める前のステップだと考える。

そうしたことの疑問を考えていて改めて本棚を見ると、大下英治著「みんな日活アクションが好きだった」にその謎の一端があった。過去に読んでいるのに気づいていなかった。ここにそれを掲載し、皆様の判断を仰ぎたい。

★併せて見たい 『口笛が流れる港町』当時の新聞広告特集は、コチラ ▶

☆謎解きのポイントとなる箇所は「紫色の文字」としました。

小林旭の代表作、渡り鳥シリーズ誕生


『南国土佐を後にして』を撮り終えた斎藤武市監督は、小林旭の俳優としての才能が開花する確かな感触を掴んだ。
<旭には、裕次郎には決して出せない新しい魅力がある>
旭の魅力を分析した。(中略)
旭には、抜群の運動神経があった。
 斎藤は、確実に旭の時代を予感していた。と同時に、自分の監督の未来にも、予測もつかない嵐が吹き起こるような予感がしていた。なにより、スタッフの熱気が、むんむんと伝わって来る。
<なにかが起こる…>
 いっぽう、旭も、自分のこれまで培ってきた努力が、実りつつあることを感じずにはいられなかった。
 裕次郎の爆発的人気を冷静に見ながら、自分を見失わず、我が道を開拓してきた。
(中略)
『南国土佐を後にして』のヒットに気をよくした児井プロデューサーが、斎藤に、メモを渡した。あるシノプシス(あらすじ)であった。
「これを、撮っていただけますか」
書いたのは小川英である。
 小林旭が主演、相手役は 『南国土佐を後にして』でも恋人役だった浅丘ルリ子。旭が扮する主人公は、ギターを持って旅するアウトローである。
 旭は、窮地に陥った土地の娘役のルリ子を悪漢の手から救い出す。ルリ子はひそかに旭に好意を寄せるが、旭は、その恋心を背中で振り切り、また、あてどもない旅に旅立って行く……。



 脚本は、舛田利雄監督の『夜霧の第二国道』、『羽田発7時50分』、『女を忘れろ』、『今日に生きる』などを書いた山崎巌に決まった。
 第一稿では、三浦半島の浦賀港になっていた。鄙びた漁港の夕景をバックに、滝伸次扮する小林旭の歌う、主題曲『ギターを持った渡り鳥』が流れる。

赤い夕陽よ 燃え落ちて
海を流れて どこへ行く

 夕陽に浮かんだシルエットは、背中にギターを背負い船の甲板に佇んでいる滝伸次だ。
(中略)

 〔斎藤監督は制作中の他の文芸作品のダビング作業の立ち会いで、伊豆下田のロケハンは他のスタッフが先に行っていた。作業を終えた斎藤監督が先見隊に合流したのが夜中だった〕

「どうだい、感じは」
「台本に書いてあるような鄙びた港なんて、どこにもないんですよ」
 斎藤も、うなずいた。
「ないだろう。俺も、あると思ってなかったよ。しかし、ないとなると、脚本を書き直すか、ちがう場所に行くしかないな。どうだ、どこかあるか」
いろいろ意見が飛びかった。
なかなか適当な場所がない。 (中略)

〔斎藤監督は過去に撮った『白い悪魔』のロケ地である函館を提案した。この作品は旭さんも出演、スタッフも全員が『南国土佐を後にして』でも同じメンバーであった。斎藤監督は二人に函館へのロケハンを命じた〕

「いや、きみらの頭には、どのシーンは、どこで撮ったらいいか、なんていうことは、入ってる。だから先に行って、旅館や、その他画面に出てきそうな所を訪ねて、タイアップを取ってこい」
 斎藤には、第一稿の舞台が、なぜ三浦半島かの理由がわかっていた。撮影日数が、二十日しかない。だから東京から近い三浦半島を選んだに違いない。そこなら、時間もかからない。上層部の考えそうなことだ。
 斎藤は『南国土佐を後にして』の感触で、ヒット作を作るたしかな手応えを感じていた。
<俺もいま三十四歳、映画監督としては、一番脂の乗った時期だ。いまが、生涯最高のチャンスだ。さいわいスタッフも揃っている。ここは、会社に逆らってでも、自分の意見を通すべきだ。どうせ『南国土佐を後にして』で毒を食らったんだ。やるだけやってやろう>

『南国土佐を後にして』の企画は、当初、上映時間が一時間程度のSP企画だった。それまで斎藤は、まがりなりにも、SPではないきちんとした本編を撮っていた。本編を撮る監督にとって、SPをあてがわれるほど屈辱的なことはない。斎藤が、『南国土佐を後にして』をがむしゃらに撮ったのは、そういう屈辱に対する、最大限の抵抗でもあったのだ。
 さいわい『南国土佐を後にして』はヒットした。二度と、あんな屈辱は御免であった。そのためにも、今度の作品を、『南国土佐を後にして』よりももっと成功させて、上層部の鼻を明かしてやりたかった。 (中略)

〔斎藤監督は、三浦半島に見向きもせず引き上げ、会社を説得し函館行きを決めた。しかし、当時の交通事情では往復には二日を要し、その上、台風が襲い、雨のために二日間は撮影ができなかった。撮影期間は実質16日間のみ〕

 旭は函館に着いたとき、斎藤にいった。
「この主人公は、前の『南国土佐を後にして』のイメージを引きずっているように思うんですが」譲司が、避けようとしても避けられない過去の影を引きずりながら、アウトローの宿命を下降していく点に、今回の主人公滝伸次との共通点を見ていた。
 斎藤は旭に伝えた。
「きみがそう思うなら、それでもいいんだ。ただ、まったく役柄は違うよ」
 今回、旭が扮する滝伸次は、神戸市警の元刑事である。ひょんなことから追い詰めていた神戸のやくざ者を射殺してしまう。そのことがもとで、殺したやくざの組の弁護士の手で、警察をクビにさせられる。
 クビになった滝は、がギターを抱えて、あてもない旅に出た。流れ着いたところが函館である。
(中略)

〔『ギターを持った渡り鳥』のあらすじが語られ、重要な脇役が宍戸錠に決まる経緯が語られる。〕

 斎藤監督は、渡り鳥滝伸次のイメージを、設定した。渡り鳥は、女に惚れてはいけない。逆に惚れられることが大事である。男の美学として、人生の十字架を背負っていなければならない。訪れたその土地を、最後に寂しく去らなければいけない。
 斎藤から滝のイメージを確認した旭は、自分なりに、滝伸次像をふくらませた。
(中略)
 旭の眼には、それまでのギャング映画や、やくざ映画(股旅物)に出てくるヒーローのあり方は、誰が演じていても、じつにドタバタに映った。
<ああは、なりたくねぇな>
 旭は、過去のアウトローヒーローと、これから自分が作っていくヒーローをはっきり区別したかった。かつての主人公は、拳銃を撃つときでも、力んで、歯を食いしばる。人を刺すときでも、眼を剥いて刺す。
<あくまでも自然に、さりげなく、スッと、刺し、撃つ。なにげないふだんの動作の中から、そういう動作を出そう>(中略)

〔『ギターを持った渡り鳥』の主題歌の効果、西部劇映画『シェーン』や『OK牧場の決斗』などがヒントになったことがヒントになった事が書かれている〕

『ギターを持った渡り鳥』の成功で、日活首脳部はシリーズ化する事ことに決めた。
 第二作目も、斎藤武市監督、小林旭主演でいくことが、決まった。

〔『ギターを持った渡り鳥』のあらすじが語られ、重要な脇役が宍戸錠に決まる経緯が語られる。〕

 斎藤監督は、渡り鳥滝伸次のイメージを、設定した。渡り鳥は、女に惚れてはいけない。逆に惚れられることが大事である。男の美学として、人生の十字架を背負っていなければならない。訪れたその土地を、最後に寂しく去らなければいけない。
 斎藤から滝のイメージを確認した旭は、自分なりに、滝伸次像をふくらませた。
(中略)
 旭の眼には、それまでのギャング映画や、やくざ映画(股旅物)に出てくるヒーローのあり方は、誰が演じていても、じつにドタバタに映った。
<ああは、なりたくねぇな>
 旭は、過去のアウトローヒーローと、これから自分が作っていくヒーローをはっきり区別したかった。かつての主人公は、拳銃を撃つときでも、力んで、歯を食いしばる。人を刺すときでも、眼を剥いて刺す。
<あくまでも自然に、さりげなく、スッと、刺し、撃つ。なにげないふだんの動作の中から、そういう動作を出そう>(中略)

〔『ギターを持った渡り鳥』の主題歌の効果、西部劇映画『シェーン』や『OK牧場の決斗』などがヒントになったことがヒントになった事が書かれている〕

『ギターを持った渡り鳥』の成功で、日活首脳部はシリーズ化する事ことに決めた。
 第二作目も、斎藤武市監督、小林旭主演でいくことが、決まった。

口笛が流れる港町<地方版ポスター>

 『ギターを持った渡り鳥』は秋の映画だった。第二作は正月興行に格上げになった。シリーズ二作目のタイトルは『口笛が流れる港町』であった。脚本は、『ギターを持った渡り鳥』につづき、山崎巌に決まった。
 山崎は、じつは『ギターを持った渡り鳥』の脚本を書いて以来、舞台が三浦半島から、函館に変わったことも知らなかった。それゆえ、試写室でラッシュを観て、自分が想像していた映像とはまったく似ても似つかぬものが出来ていたことに驚愕した。
<こんなふうにおもしろい作りになっていたのか>
 もちろん、映画の出来ばえのよさにおどろいたのである。
 山崎は、『ギターを持った渡り鳥』の出来ばえに影響されすぎて、いっぺんに飛躍した。
 山崎が書いた『口笛が流れる港町』の初稿を見た斎藤監督は、のけぞった。
<まったく三流西部劇だ。俺の考えているイメージとは、まったくちがう>
 しかも、脚本が出来上がってきたのは、クランクイン直前であった。
渡り鳥シリーズは、はなから撮影日数が極端に少なかった。売れっ子脚本家の山崎は、速書きで有名だった。その山崎が書いても、脚本の上がりは締め切りギリギリであった。
 斎藤は、
弱り切った。
<いまから山崎さんに脚本を直してもらっても間に合わない>
 斎藤は、『口笛が流れる港町』の舞台を、山崎が脚本で設定していた場所ではなく、宮崎に移した。しかも宮崎にロケハンに行く前に、山崎以外の脚本家に修正してもらうことにした。ただ、代わりの脚本家も、あまりに突然で、泡をくう。斎藤はロケハンの前に、企画部長の大塚昇、プロデューサーの児井英生立会で、山崎の脚本に手を入れることにした。
 「箱」(大まかな構成)を決め、結局、代理の脚本家には、松浦健郎を立てた。松浦は、山崎の師匠格の人物である。山崎につながりのない脚本家だと、山崎の顔を潰す。松浦だと、山崎も納得する、との配慮だった。斎藤も、脚本の直しに関わった。『口笛が流れる港町』は、阿蘇山、宮崎、えびの高原が舞台である。

(中略)
〔この後は、撮影地に行く途中で大勢の人が集まりすぎて、警察の出動、宍戸錠さんとのライバルであり、バディな雰囲気のやりとりの関係を活かせるようなセリフの工夫、ロケ地の会社とのタイアップ話が登場します〕

斎藤は、渡り鳥シリーズを、ただの観光映画と捉えてほしくなかった。とくに、場所の設定にはこだわった。
 <現実には、ありそうにない場所であっても、あくまでも、映画的リアリティーを持たせるには、一番いい場所を設定してきたつもりだ>
 その信念は、一作目の 『ギターを持った渡り鳥』の設定場所を、三浦半島から函館に変えたときから、一貫していた。
 その意味で、『口笛が流れる港町』の舞台宮崎県のえびの高原は恰好の場所であった。
 斎藤は、渡り鳥シリーズの舞台となる場所を探すとき、スタッフに条件をつけた。
 まず、人口二十万人の都市が近くにあること。主人公滝伸次は、元刑事だが、いまは、流しのギター弾きである。流しは、生活の舞台として盛り場を必要とする。二十万人の都市なら、盛り場はかならずある。欲をいえば、その都市が、昔栄えていて、いまは斜陽になっていればもっといい。

二番目の条件は、近くに港があること、アクション映画をドラマチックに盛り上げるには、密輸がらみの話がよく使われる。密輸が行われるのは、港である。港は、ストーリーの必要からきていた。

三番目の条件は、都市から一時間以内に高原があること、渡り鳥は、馬をあやつる、港ばかりに限定してしまうと、渡り鳥が馬を使う面白さが出ない。そのためにも、馬を自由に走らせることが出来る高原が必要であった。

『ギターを持った渡り鳥』の函館h、条件にぴったりの場所であった。函館山からは、函館の町が一望に見渡せる。函館の夜景は、世界一美しい百万ドルの夜景といわれる。映画のシーンにはもってこいだ。
(以下、略)

《注:お願い》
これらの文章の扱いが不適切であれば、トップページの連絡フォームから管理人あてにご連絡下さい。
削除にて対応致します。 管理人:渡 三郎

トップページに戻る