渡り鳥いつまた帰る

■はじめに

 いまさらながらに感じることですが、一般世間的には小林旭さんへの評価が低すぎることに義憤さえ感じます。一般的に話題となったのは経営していた会社の倒産や反社会組織とのゴルフだとか。かつては、日活映画で石原裕次郎さんと共に二枚看板、いや裕次郎さんより人気が高かった頃もあった。(※以下の雑誌「平凡」の人気投票参照) 裕次郎さんは死後も様々な出版が続いている。それにひきかえ、我らがマイトガイ・小林旭さんの出版物等が少ない。いや、深く捉えればその方が旭さんらしいともとれる。さすらい人は多くを語らずかも知れない…。

 しかし、さまざまな素晴らしい軌跡を埋もれさせるのは勿体ない。熱心な旭さんファンにとっては承知のことがらかもしれませんが、私の数少ない資料から抜粋し、エピソードごとにまとめたいと思います。なお、掲載については時系列にはなっておりません。管理人の思いつきでの掲載です。ご了承下さい。

☆海外ロケ地・バンコックの映画館で観客が「ギターを持った渡り鳥」を大合唱!

 『波濤を越える渡り鳥』(61年)はバンコック、香港にロケしたシャシンだけど、バンコックではすごかったんですよ。ちょうど映画館で「渡り鳥」上映してて、われわれも一緒にそれを見たわけ。そしたら主題歌、『ギターを持った渡り鳥』かな、そそれが流れてきたら観客が一緒になって歌うんだよ。あれはびっくりしちゃったな。そういうのって、日本ではあまり聞いたことないでしょ。
(「小林旭読本」高村倉太郎 バンコックの観客が「渡り鳥」を大合唱した!)より

大歓迎

大歓迎

    • 海外ロケ(香港、台湾、バンコック)の各地で歓迎をうける「渡り鳥」チーム

☆『ギターを持った渡り鳥』の歌は古さを感じない。

 一言でいうと小林旭の歌は最高なのだ。とにかくカッコいい。(中略)ならば小林旭がカッコ良い歌を歌えばカッコ良いか? 一番有名なのは映画の主題歌である『ギターを持った渡り鳥』。こrはウエスタン調の歌だ。(中略)この歌をCDなどで改めて聴くと、古さを感じないのだ。それは小林旭の歌い方が原因だ。当時の流行りの唄い方をしていない。あくまでも「俺は映画スター」という唄い方。だから自然なのだ。(中略)小林旭の場合は青春ではなく男そのものを歌っているからより古さを感じずカッコ良いのだ。
(「小林旭読本」立川志らく)より

☆「西鹿児島駅構内に3万人以上の人が溢れています」

 鹿児島のロケーションでの事だった。
撮影を終えるや、休む間もなくすぐに特急の夜行列車でロケ地に向かったんだ。さて、ぼちぼち終点の西鹿児島駅に到着するかというときだった。前日の撮影の疲れも抜けきらぬまま、一晩中走って昼過ぎにようやくという頃だから、もうみんなクタクタになっているわけだ。そこに追い討ちをかけるかのように列車が手前の川内(せんだい)駅で緊急の急停車をしたんだ。
「何だ?」
そしたら、車掌が言うことには、
「西鹿児島駅構内に三万人以上の人が溢れています」
要するに、『渡り鳥』が来るっていうんでそれを聞きつけてきた三万人ものファンが駅を占拠したというわけだよ。
(「さすらい」小林旭 新潮社刊)より

さすらい

左のベストテン投票結果の拡大




昭和36年(1961年)1月発行のお正月号の雑誌「平凡」誌上での「オール日本人気スター」のベストテン投票の結果が掲載されている。つまり、『大草原の渡り鳥』の公開後のお正月。この時期には、初の海外ロケとなる『波濤を越える渡り鳥』が、お正月映画として公開されている。
一位は、不動の地位を誇る女王・美空ひばりであるが、第2位に我らが「小林 旭」の名前がある。この翌年に二人は結婚することになる。また、当時は東映時代劇の人気も衰えつつある時代であったとはいえ、3位、4位に東映時代劇スターが存在。5位に石原裕次郎がつけて、9位に赤木圭一郎、10位に浅丘ルリ子となる。ちなみに、この後、約1月余り後に赤木圭一郎は、この世を去る。
第2位であること、他の方との投票数の違いをみて人気の凄さを実感していただきたい。

☆「そういう話を作るから、アキラ、お前がやれ」
(幻のマイトガイ・ハリウッド映画)

 昭和三十七年、海を渡って単身アメリカに行った。理由は印税の回収なんだ。
当時はMGM/日本コロムビアだったから在米日系人たちが買ってくれたアキラ節の印税が貯まっているというわけだよ。
 そんなのは送金してくれれば済む話なんだろうけど、当時はそうもいかない。
「こっちへ送ってくると年数かかりますよ。年間五百ドルずつぐらいしか送れないから十年や二十年はかかりますね」
担当者がそう言うもんだから、「そんなの待ってられねえよ!ならば遊びに行って使ってくるよ」
と俺もバカだから喜び勇んで向こうに行っちゃったわけだ。
その時にMGMの撮影所を訪れてジョー・パスタナックというプロデューサーに会った。

<プロデューサーからハリウッドで映画を撮らないかと誘われた話>
・オリエンタルマーケットで売れる可能性があるから、よければ俺と手を組んで一緒に仕事をしないか。俺に身柄を預けてみないか。

・<映画のプロット>自分の父親が将軍様から預かった献上刀を持って、アメリカの大統領を訪ねるために日本を出てきた。ところがアメリカに入った途端にその刀が行方不明になって、責任を感じた父親は切腹をしてしまう。
 その息子が俺の役柄だ。アメリカに乗り込んでその刀を探し出し、敵討ちの相手、盗んだヤツを突き詰める。そうやって最終的に刀を見つけ、最後は大統領に届けて万々歳!
「そういう話を作るから、アキラ、お前がやれ」

・<共演の俳優>「テレビドラマの出身だが日本でも放映されて人気のある役者がいるからお前とも合うとおもうよ」
「それは誰だ?」と聞いたら、『ララミー牧場』のロバート・フラーだった。

・そうこうするうちにスケッチブックに描かれた俺のコスチュームまで見せてくれた。黒ずくめのシャツとズボン、十字に襷がけにした刀をぶら下げて、頭には怪傑ゾロの被るペッタンコのスペイン帽みたいなのを被っている。

・<日活撮影所に電話した結果>
「すぐ帰れ、絶対にダメだ!新作の撮影が待っている」
そりゃそうだよね。昭和三十七年の真っ只中、こっちが一番華やかな頃だもん。日活としても、一番稼げるときに張本人がそんなことを言い出したんだから、そりゃあお話にならないよ。 
(「熱き心に」小林旭 双葉社刊)より

熱き心に



ジョー・パスタナックと