ダイヤモンドラインを中心とした「日活アクション」の歴史研究

日活アクション映画の歴史を語る時、それぞれのスターの位置づけを知ることは大切です。
ここでは二谷英明さんを除いた「日活ダイヤモンドライン(1期・2期)」の5人のスターの歴史を鳥瞰してみました。
表の中の記号 ○=デビュー作品 ★=初主演作品

*完全に読み込まれるまでに少し時間が必要です*

 

 《補 足》
 渡哲也さんが1965年3月に『あばれ騎士道』でデビュー。その後、話題作『東京流れ者』を経て《ニュー・アクション》と
 呼ばれた「無頼・前科シリーズ」へとつながって行きます。“再興期”には渡さんや《ニュー・アクション》の監督の活躍が
 欠かせません。その他、高橋英樹さんの活躍がありますが、氏はどちらかというと今ではテレビのイメージが強いのでここで
 は採り上げません。

表は「日活アクションの華麗な世界・上」渡辺武信著 未来社刊から引用しました。 

 

【胎動期】 (1954〜1956)
 製作再開から石原裕次郎さんのデビューまでの期間。他社の監督、俳優を引き抜いたり、新国劇の役者などを中心に活動。
 日活生え抜きの監督、俳優は1956年頃になり、やっと補助的な役割を果たす。

【興隆期】 (1957〜1958)
 石原裕次郎さんがスターとして注目され独走体勢に入り、それまでの日活株式会社に大きく貢献した。
 小林旭さんは、一本立ちしているものの後年の活躍はまだ見られない。
 また、この時期に後に活躍する監督・俳優がデビューした。

【全盛期】 (1959〜1962)
 『南国土佐を後にして』の大ヒットによって、始まった「渡り鳥・流れ者シリーズ」に代表される興行的成功により無国籍
 アクション映画が量産された時期。ダイヤモンドの活躍が中心だったが、トニーの死によって第一期ダイヤモンドライン
 (石原裕次郎、小林旭、赤
木圭一郎、和田浩治)は崩壊した。
 その後、宍戸錠さん、二谷英明さんが加わり、第二期ダイヤモンドラインが始まった。また「渡り鳥シリーズ」がこの時期に
 終わった。

【爛熟期】 (1963〜1967)
 ムードアクションと呼ばれる石原裕次郎さんと浅丘ルリ子さん共演の一連の作品(『赤いハンカチ』『夕陽の丘』など)と、
 宍戸錠さんのハードボイルド・アクションが新たな日活らしさを発散していた。また、この時期、無国籍アクションに代わる
 スタイルを模索中であったために多様な作風が生まれた。一方、この時期東映任侠映画が登場し隆盛を迎えていた。

【再興期】 (1968〜1971)
 日活ニューアクションが次々に作られた時期。しかし、皮肉にも公開時には興行的評価が低く、話題になったのは後年に名画
 座などでの上映によるものだった。渡辺武信先生は『縄張はもらった』をニューアクションの先駆的作品と評価されている。
 
 管理者コメント『縄張はもらった』は小林旭さん主演の作品であり、共演者は宍戸錠さん、二谷英明さん。話のすじは新興
 都市の土地買収にからんだヤクザどうしの利権争い。これを当時、人気があった東映映画を敵である新興ヤクザにあてはめ、
 地元のヤクザを興行的に劣勢の日活とみた場合、東映軍団(高倉健、鶴田浩二の二大スターが人気を誇っていた)日活オール
 スター軍団(全盛期スターと後のニューアクションで活躍するスター)との戦いとして見ることもできる。
 (『縄張はもらった』はビデオを見て後に報告します−時期未定)


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