旭さんの一連の映画を「無国籍映画」という総称で呼ばれたことがあります。それは批判的な意味を込めた蔑称でもありました。確かにそう呼ばれるだけの内容ではありましたが、それを多くの人々が支持をして観客が映画館に入りきらない状態であったと言われます。ここに当時の雑誌(1961)に掲載された映画評論家の文章があります。以下に当時は映画評論家の雄であった南部僑一郎氏の弁を抜粋しました。

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●日活の試写会の後に宣伝部の友人たちと飲んでいた席で「ありゃ、国籍不明の映画じゃよ」と冗談をとばした。しかし、その映画が何であったかは憶えがない。そこへ通りかかった江守常務(当時の日活)が「なに、国籍不明だ・・・娯楽映画には、国籍があってもいいし、なくても不明でもいいんだ」と笑いながら言った。これを聞いて私は映画の内容の移り変わりについて考えた。
 戦前、映画観客が一年ごとに大幅にふえて行った時代、昭和二年から敗戦までの、ほぼ二十年間のことだが、全国で映画劇場の数は大小すべてで、ほぼ一千館だったし、一年間の観客動員数は一億人足らずでしかなかった。これが二十年で映画館は五倍に、観客数は六倍にふえたが、映画の内容は、ほとんど千篇一律のようなものだった。特に時代劇にいたっては、昭和初期のマキノ映画の新しい傾向、千恵蔵プロダクションで稲垣浩監督や伊丹万作監督のやったひとつの冒険、などなどから一歩も前進しなかった。(以下はポイントをまとめます)
  現代劇もそうである。主流をなす作品内容は、たいてい家庭悲劇。『愛染かつら』に代表される、身分違いの悲恋に泣くといったもの。これら一切が敗戦でご破算になり映画館も減った。
 昭和二十二、三年頃の各社の作品は『夜の女たち』『こんな女に誰がした』『肉体の門』など、夜の女性を主人公としたものが多かった。その後、若い女性の心と肉体の解放をテーマとした『乙女の性典』『十代の性典』『思春期』などへと移った。
(中略・無国籍についての文化的背景が述べられている)

 宍戸錠主演の『早射ち野郎』は、人々の間で日本版西部劇と呼ばれているらしい。(注:黒のテンガロンハットに黒革ベストに黒シャツ、全てが黒のスタイルの主人公、それに町の住民が全て西部劇スタイル)拳銃その他の銃器を持っていることで、無国籍的だということは当たらない。映画は、その根元状況を描くものだから、銃器取締の法律があってもいっこうに差し支えない。

小林旭の“渡り鳥”や“流れ者”または宍戸錠と二谷英明の“稼業シリーズ”の主人公たちは、ゆく雲のように自由である。われわれの日常では、こういう生き方は、その百分の一でも実行不可能である。日常の生活費などはどうしているのだろうなどと論理的に考えると、この劇的状況は成り立たない。しかし、現実のわれわれの生活が、あらゆる社会的な制約にがんじがらめに縛り付けられているのに、これらの主人公たちの自由奔放なこと。それは逞しく美しく、強く自由であった。しかも、われわれの周囲には、至る所に我々の力では何とも処理できないような一種の悪、ないし悪とみなされてよい条件がころがっている。(中略)
 現代はそのような時代である。いたるところに国籍 不明の社会的環境があり、四六時中、われわれはこの波しぶきの中に浸されている。このような中で、無国籍映画はそれ自身の栄養を吸い上げて成長して行くのだ。
 アメリカの西部劇が世界のいたるところでヒットしている理由も、こうした社会と心理をみればわかるだろうし、日本の西部劇的映画の滅びない理由もここにある。無国籍映画にも、ちゃんとこのような国籍があったといえるだろう。

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 この文章が書かれた数年後、無国籍映画は衰退して行った。しかし、そうした一連の映画があったことだけは記憶に止めたい。そして、そうした映画が後の映画、特に香港映画や一部のハリウッド映画に大なり小なり影響を及ぼした事実を。

近代映画 1961年 6月臨時増刊号より 2003.1.3  write

 

 

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