渡り鳥シリーズ3

 七飯町大沼のほとり。草木が無雑作に生える荒れ地に、かつて地元の夢と希望が詰まった宿泊施設「大沼ヘルスセンター」はあった。「(センターの)大浴場での撮影はファンが取り巻いてすごかった」。幼なじみの大沼観光協会会長、Hさん(56)と共に跡地を訪れた同町のレストラン「ランバーハウス」経営、Tさん(52)は、「渡り鳥」シリーズ第8作「北帰行より 渡り鳥北へ帰る」の撮影をこう振り返る。

image
「当時の喧噪(けんそう)がよみがえる」「浴衣を着た酔っぱらいがよく歩いてたな」。センター跡地に立つHさんとTさんの思い出話は尽きない

 大沼を"第二の軽井沢"にー。1958年の国定公園指定で、大沼観光は一気に地域の注目を集めた。地元経済界の後押しもあり、同センターは観光事業の中核施設に位置づけられ、建設費1億5000万円を投じて61年に開業した。「北帰行より」の撮影はオープンの翌年。真新しい施設の雰囲気が今でもフィルムに残っている。

Hさん・TSさん     大沼での撮影 人だかり

 9歳だったHさんは、父の故・Yさんを通じて、スタッフから子役のエキストラ出演を依頼された。「おじさん大丈夫?」と小林旭に言うセリフまで用意され、練習した覚えもある。
 ところが撮影当日、現場に現れたのは当時5歳のTさんだった。撮影が学校の授業時間と重なることを知ったYさんが息子の出演を断り、「代役」に近所に住むTさんの手を引いたのだ。

inage
大沼ヘルスセンターで撮影された「北帰行より 渡り鳥北へ帰る」の1シーン

 「何だかよく分からなかったけど、(エキストラの)知らないおじさんと一緒にジュースとアイスを食べた」とTさん。事情を飲み込めぬまま、小林旭の左後ろのテーブルに座っている様子が一瞬スクリーンに映る。「あれは俺のはずだったんだぞ!」ー。家族でこの映画を観る度に、Hさんは決まってそう冗談まじりに笑い飛ばす。

 同センターの支配人を務めた同町大沼のMさん(77)は撮影時、見物人の整理係として駆り出された。控え室から出てきた小林旭の颯爽(さっそう)とした姿は忘れられない。「撮影はあっという間。職場がロケ地になったのがうれしかった」と目を細める。同センターは観光客や地元民から親しまれたが、建物の老朽化などで92年、解体を余儀なくされた。跡地にはセンター前のロータリーの痕地があるだけだ。

 Tさんは大沼の湖畔に店を構え、大沼牛のこだわりステーキを提供している。Hさんは今、大沼が誕生の地とされるヒット曲「千の風になって」での地域活性化に取り組む。一度は上京し、それぞれの事情から故郷に戻った2人の胸には、撮影当時のにぎわいが、せつないほど強く残っている。

《管理人のコメント》
この話もエキストラ出演で羨ましいですね。自分が出る筈だったHさんは残念だったでしょうね。今でも動画で観ることができるので思い出されることでしょう。私も出たかった・・・。他のページの思い出話も合わせてご覧ください。

2008年5月22日 函館新聞 掲載

「函館新聞」新目七恵 様に感謝致します。