ちょっといい話と不死身話


アキラさんの人柄を表す「ちょっといい話」と「不死身のマイトガイ話」をお届けします。
この話は昭和36年の雑誌に掲載されたものです。
ですから内容は現在の世相に必ずしも合っているものではありませんが、
アキラさんの人柄を見事に表現したできごとだと思います。

ちょっといい話

 昭和36年当時、NTVの好評番組に『この人を』というのがありました。
感心な人の行為や、美しい人生の生き方を人々に知らせる番組でした。
 一人のアキラファンがいました。高知県に住むH・Kさん(※雑誌には実名掲載)で
17歳の高校生(※当時)。お父さんは既に亡くなり、お母さんは長い間、病床にある。
 そしてH子さんには一人の妹がいました。姉妹二人が、お母さんの面倒を見ながら、
苦しい生活を送っていました。しかし、彼女は決して生活にくじけなかった。
 昼間−彼女は電話の交換手をしながら夜間学校に通っていて、成績も優秀でした。
そうした彼女が大のアキラ・ファンなのでした。映画を欠かさず見に行く余裕はないが、
ラジオから流れるアキラの歌声に耳を傾けるのが愉しみだった。
 この感心な少女のことを聞いたアキラは、「それじゃ、ボクのできることで彼女を応援
しよう」と言い出した。そして、彼女の学業を助け、励ます意味で、数学・科学の辞典類
をプレゼントしました。
 十二月のクリスマスも近い日の夜、『この人を』が放送されました。喜びに満ちたH子
さんの顔がクローズアップで映り、その間をぬってアキラさんの元気な声が流れました。
「・・・アキラです。NTVからあなたのお話を聞きました。お父さんが亡くなられ、その
上、お母さんがご病気だそうで、たいへんなことだと思います。しかし、あなたは少しも
くじけず、勉強を続けられ、成績もよいそうですね。そして、あなたは大学へも行きたい
ということですが・・・。これからも頑張って、お母さんや、妹さんを励まし、立派に生
きて行ってください。ボクも蔭ながらあなたの明るい未来をお祈りしております」
 この励ましの言葉を聞いて、H子さんは感激に頬を紅潮させ、新たな決意を抱いた。
アキラさんは、本当ならば、テレビ・スタジオに駆けつけたいところだった。しかし、仕
事の都合で行けない。そこで、セットの合間を見て、この言葉を贈ったのだ。
 翌日---。H子さんはセットにアキラさんを訪ねた。
“夢のデイト”が実現したわけです。そして愉しい食事を共にしました。長い間の苦闘が
いっぺんにふっとんだ気持ちでした。

 渡り鳥・流れ者シリーズで人気絶頂であり、ラジオからは一日に何度もアキラ節が流れ、
雑誌の男性タレント人気投票でも一位を続けていた時代のアキラさんは、まさにスーパー
スターでした。そんなスターに支援してもらうというのは大変なことでもあったでしょう。
アキラさんの気さくな一面を表すエピソードではないでしょうか?

               (「不死身のマイトガイ話」イラストの下にあります)

 





  上のイラストは、BRUSE FITZGERALDさんに戴きました。 





 撮影を終えたアキラさんは午後2時頃に徹夜の撮影を終えた。その後、ホテルに戻り、
ぐっすりと眠り込んだ。夜の九時頃、目をさまし「さあ、街へ出かけようか・・・」
アキラさんは、大声で叫びながらベッド下のスリッパに足を入れようとして、体のバラン
スを崩して前につんのめりそうになった。目の前には、真っ赤に燃え上がったストーブ。
これを抱いたら、ひとたまりもなく黒こげになっていた。
 しかし、さすがはアクション・スタアのアキラさん。身の軽さが役立って、身体を別
の方向に泳がせてガラス扉に向かった。そして右手をつっ込むと危ないと即座に判断して、
右肩をガラス扉にぶつけた。
 「ガチャン!」ともの凄い音がして、右肩がガラスを突き破った。ザックリとジャンパ
ーの袖口が切れた。「やっちゃったぁー、ジャンパーが破けちゃったよ・・・」とアキラ
さんは平気な顔で淡々と言った。ところが右手の甲はパックリと口を開け、白い骨が見え
ていた。周りのスタッフが驚いて医者を呼んだという顛末。

この事件の後も、アキラさんは他にも撮影中に命を落とすような数々の事故も経験されて
います(『黒い賭博師』でのビルからビルへの飛び移りで落下事故、『俺たちの血が許さ
ない』の火薬爆破など)。そうした事故に比べると小さいことかも知れませんが、撮影中
以外のエピソードとして採り上げました。


上記内容は、昭和36年刊の「別冊近代映画」より引用しました。

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