アキラと歌アキラと歌アキラと歌アキラと歌アキラと歌アキラと歌アキラと歌アキラと歌
 


大瀧詠一プロデュース アルバム・アキラ1〜4発売記念!
2月21日発売 アキラ1〜3 日本コロムビア アキラ4 日本クラウン)
民謡・戯歌・童謡・映画主題歌など
 
昭和36年(1961)映画も歌も絶頂期のアキラさんの「歌」について
 
(当時の雑誌記事からの抜粋/*印以下カッコ内は、管理人が加えたもの) 


  日活のKプロデューサー(*児井英生氏)からの紹介を受けて、アキラ売り
  出しのキッカケを作り、アキラブーム育ての親、といわれるコロムビアのM
  プロデューサー(*馬淵玄三氏=映画『艶歌』のモデル)は、
  「とにかく『女を忘れろ』『ダイナマイトが150トン』で、アキラをデビ
  ューさせた時は、ちょっと冒険でしたねぇ。マイト・ガイのニックネームそ
  のまま、たたきつけるような彼の歌。つやもないし、今までの流行歌の感じ
  とは、あんまり違っていたもんですから・・・」

  ところが、この二曲は、非常なヒットとなった。

  「アキラが成功した原因は、まず、あの高い声の魅力。それから、いささか
  ぶっきらぼうな独特の節回し。全然飾りっけのないぶっつけたような感じ。
  それらが低音ムードになれていた(*当時のヒット歌手は低音を魅力として
  いた=フランク永井、石原裕次郎、白根一男など
)大衆の耳を新鮮に打った
  のですね。とにかく、今までの流行歌のふやけた感じを、完全に破った点が
  大きいと思います」と続けるMプロデューサーは、
  「しかし、本当の味が出るようになったのは、やっぱり“民謡ぶし”からで
  しょうね」という。
  たしかに、アキラの「ズンドコ節」「ノーチヨサン節」「デカンショ節」
  「ソーラン節」など、いわゆる“書生ぶし”といわれたもの。

  それから、映画の“渡り鳥”“流れ者”両シリーズのロケ地で拾った民謡の
  数々をアキラ流に編曲して聞かせた「おけさ数え唄」「鹿児島おはら節」
  「会津磐梯山」などの数々のヒットソングは、歌手小林旭の個性を100パー
  セント発揮した。
  喫茶店でも、パチンコ屋でも、理髪店でも、人の行くところ、アキラの歌が
  高らかに流れた(*今、そうしたことが想像できますか?パチンコ屋はとも
  かくも、喫茶店、理髪店でアキラさんのあの甲高い声が流れる。商店街のス
  ピーカーからも、♪♪街のみんながふりかえる〜♪♪と流れていたのです
)。

  地方ロケが多くなるにつれて、土地の民謡にふれる機会がふえたことも、そ
  の傾向に拍車をかけた。これも民謡が大好きで歌を早く覚える点では、旭よ
  り一枚上である名コンビ浅丘ルリ子の影の助力も見逃せぬ力となった。

  「さすらい」の大ヒット

  
「近代的にアレンジしたアキラの民謡は、古さと現代性がうまく結びついて
  アキラ・ブームを完全に確立したのです」
  と、Mプロデューサーも語っている。

  「民謡で成功したのが、まず第一期。それから『ギターを持った渡り鳥』で
  一度淋しい感じの歌を唄わせてみたら、これがなかなかいい。こういうヤツ
  をもっとやってみようじゃないか、というわけで、第二期は彼の哀愁面を生
  かしたものをやったわけです」
  それの最大ヒット作が、他でもない「さすらい」である。

  ♪♪夜がまた来る 思い出つれておれを泣かせに 足音もなく・・・

  ドライ、ドライといわれたアキラが、意外なほどしっとりと、人間の暗い陰
  影を唄いだしたのだ。だから、アキラが本当は淋しがり屋で、人なつっこい
  やさしい面のある男でることをよく知っている友人達は口をそろえてこうい
  ったものだ。
  「『さすらい』のような歌こそ、アキラに一番ぴったりなんだ
  実際、アキラは孤独家である。ひとりでいることが好きなくせに、急に淋し
  くなっては友人を求めることが多いという。
  その“さすらい・ムード”が、このところゾクゾクと映画化される彼のヒッ
  トソング「北帰行」や「黒い傷痕のブルース」にもつながってくる。
  「黒い傷痕のブルース」の原曲は、アメリカのポピュラーソング。これを唄
  うことも、アキラの哀愁面を強調しようとする企画の一環だった。
  「外国ものでも、いいものがあったらどんどん唄わせたい」とMプロデュー
  サーが語るまでもなく、アキラ自身も外国のポピュラー・ソングには大きな
  興味を抱いているという。
  そして「黒い・・・」は見事に成功した。暗い夜霧に包まれたような独特の
  ムードは、アキラの一面にピッタリ適していた。この映画化『黒い傷あとの
  ブルース』の成功ぶりは、早くから完全に約束されたものだったということ
  がいえよう。『黒い傷あとのブルース』に続いて「北帰行」と「さすらい」
  が映画化される。「北帰行」は、いうまでもなく『渡り鳥北へ帰る』。
  そして、「さすらい」は原曲の題名そのままで、二月のスクリーンに登場す
  る(*昭和37年2月3日封切)。
  アキラは、きっと歌の成功を映画の上にももたらすだろう“俳優としての旭”
  と“歌手としての旭”が常に表裏一体になっている以上、これは当然だ。
  中でも“さすらい”は、Mプロデューサーが「アキラのズンドコ節」「アキ
  ラのダンチョネ節」とならんで、アキラの代表作にあげる佳曲、ヒット曲だ
  けに、その物淋しいムードを背負い、松原智恵子や郷エイ治とともに銀幕に
  登場するアキラに、ひときわ大きな期待が持てるのだ。
  「これからは、アキラの歌も第三期に入るでしょう。最初は、素人っぽさが
  一つの魅力になっていた彼も、今では、あらゆるものをこなせる技巧を完全
  にそなえました。なんといっても日本のレコード界では超A級の歌手です。
  これからは、うんといい企画を練って、慎重にかつ大胆に、アキラの歌を生
  かしていきたいと思っています」
  Mプロデューサーは、こう結んでくれた。


 大瀧詠一氏プロデュースのアルバム アキラ1〜4 
 
大滝詠一氏による企画、構成、選曲です。 各¥1,575(税込み) 2月21日発売

 アルバムの内容は・・・ラジニ・タイラー会長主宰の

 「アキラ・ザ・グレート」にリストがあります