"アキラの歌声"が聞こえる夕暮れ

「ギターを持った渡り鳥」 山に落ち行く赤い夕陽を見つめつつ口ずさんだ子供の頃
赤い夕陽よ 燃えおちて函館山を背景に荷車に揺られて登場し、タイトルが出て主題歌が流れる。ゾクゾクする一瞬だ。かつて普通のテレビ番組での放映は、この部分がほとんどカットされていた(「お昼の映画劇場」など、日活映画が頻繁に流されていた頃)。いきなりタイトルから始まって主題歌が流れる。やはり、アヴァンタイトル(プロローグシーン)は必要だ。その他、放送では放送時間の都合上カットシーンが多かった。それはさておき、主題歌「ギターを持った渡り鳥」は映画公開後にレコードが発売された。当時の芸能雑誌の記事から拾うと以下のようなことが掲載されている。<将来映画で人気スタアにのしあがるであろうという未知の魅力をコロムビアは旭に賭け、本職の歌手連と同等の扱いでレコード発売を続けた。しかし、コロムビアの方針も一年過ぎても一向にヒットらしいヒットを生み出さず、いささか期待の念もゆらいできたが後一押し、後一押しと中絶することなく吹き込みを重ねた甲斐あって一昨年十二月発売渡り鳥シリーズ「ギターを持った渡り鳥」主題歌が、映画の好評と平行してぐんぐん売れ行きを増し、担当者に会心の微笑をもたらせたのだった。(1961.12月上旬号「別冊・近代映画」)> この後、「ダンチョネ節」「ズンドコ節」とたてつづけにヒットが出て、歌声が街中にあふれた。
旭さんが歌をレコーディングしたきっかけとは?小林旭さんが歌をレコーディングするきっかけとなったエピソードは、よく語られていますが改めてここで記しましょう。昭和32年(1957)秋、西河克己監督『孤独の人』に出演した際に教室で掃除をするシーンがあった。モップで廊下を拭くというそのシーンで「黙って掃除していると、まるでお葬式みたいだね。鼻唄でも歌いながらやめのってないかね」と西河監督は言った。旭さんは流行歌は知らないが民謡ならということで「相馬盆歌(新相馬?)」を歌ってみせた。ちょうど、そのときコロムビアのディレクター目黒賢太郎氏がいて、その魅力的な声に興味を持った。昼休みに食堂で会って「レコードを出しませんか」と切り出した。一ヶ月後、コロムビア本社ビルのレッスン室で船村徹氏のピアノで「別れの一本杉(春日八郎)」「娘船頭歌(三橋美智也)」を歌う。この場に居たのは目黒ディレクターの他に後には旭さんとコンビで続々とヒットを飛ばす馬淵玄三氏がいた(後の「演歌の竜」)。馬淵氏が同席していたのは、別のルートから旭さんの売り込みを受けていたからだ(当時の日活常務・江守氏から)。馬淵氏は、声を聴くや背筋がゾクゾクとしたとか。なんて個性的な声なんだ、高音がキューンと伸びて、たまらなくチャーミングな声だ。「あんたには、こぶしもいらなきゃ、なんにもいらん。とにかくノンビブラートのストレートな声で押して押して押しまくれ」と旭さんに言った。・参考:「週刊大衆1994.3.14号 夢歌・恋歌・心歌 大下英治」より

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「銀座旋風児」 歌に酔い、映画のスタイルにあこがれた・・・
♪テクニカラーの人生を・・・映画の正式タイトルは『二階堂卓也銀座無頼帖・銀座旋風児』である。ポスターには「銀座旋風児」と大きくタイトルがあり、側に「ギンザマイトガイ」のルビがふってある。私は、この銀座旋風児に子供の頃に魂を奪われて以来、職業的にも憧れつづけてきました。子供の頃に将来どのような職業に就くかと問われた時には必ず「私立探偵」と答えてしまうほど夢中だった。帽子やハーフコートを兄から借りて、お手製ステッキも持って遊んでいた(後の旋風児はステッキを武器にした)。今でも憧れつづけて探偵ではないにしろ、近いスタイルの職業(マーケティング関連)だともいえる。レコード(CD)の歌詞と映画の中で登場する歌詞は一部が違っている。「風が呼んでる」だけではなく「雨が呼んでる」時もある・・・これに続く「テクニカラーの人生を」というくだりの歌詞が私は大好きだ。雨降りの時などは特に冬の風景の中で頭の中にこの歌詞が流れる。そして思わずコートの襟を立ててビルの谷間に消えていく(苦笑)。
シリーズ1:『二階堂卓也銀座無頼帖 銀座旋風児』(1959.9.20)
シリーズ2:『二階堂卓也銀座無頼帖 銀座旋風児 黒幕は誰だ』(1959.12.6)
シリーズ3:『二階堂卓也銀座無頼帖 銀座旋風児 目撃者は彼奴だ』(1960.3.26)
シリーズ4:『二階堂卓也銀座無頼帖 銀座旋風児 嵐が俺を呼んでいる』(1961.2.25)
シリーズ5:『二階堂卓也銀座無頼帖 帰ってきた旋風児』(1962.6.10)

「口笛が流れる港町」 明かりがぽつんと灯ってる、家路が遠い道だった。
♪夕やけよ寂しい顔でどこへ行く・・・昭和35年(1960)のお正月映画として、渡り鳥シリーズ第2弾『口笛が流れる港町』は公開された。当時、小学生だった私は映画ポスターを見て心を鷲づかみにされた。旭さんのファンであった長兄にねだって映画館に連れて行ってもらう。滝伸次のカッコよさはもとより、その印象をよりよくオーバーラップさせるのは主題歌の「口笛が流れる港町」だった。当時はラジオから毎日のように歌が流れていた。後には、もう一つの主題歌である「ギターを持った渡り鳥」よりも哀愁のある「口笛・・・」の歌詞に魅了されて行った。しかし、後にはこの歌が聴ける機会が少なく自分にとっては幻の曲となった。だが、今は殆どの曲が聴ける素晴らしい時代だ。

「落 日」 負けてたまるか・・・自分に言いきかせた日もある。
「落日」は男泣きする歌。映画『対決』『血斗』(1967)の主題歌である。以前から私はこの曲を自分の「送魂歌」として使いたいと言い続けてきた。この歌を初めて聴いた時は哀しすぎる歌だと思ったが、よくよく聴くと、一度は沈んでまた起ち上がる強い決意が強調されている。一番の歌詞の全てを無くしたから死のうと思う気持ち。二番のままならぬ世の中と知りつつも女に甘えて傷ついた自分がいる。三番では、身を包んでくれる落日の下で再び活きようと決意する・・・素晴らしく豪快でコンパクトにまとまった人生訓だと思える。困った時には思わず口をついて出るのが三番の歌詞だ。「この歌を聴く度に手放しで泣く人が何人もいる。もちろん男である」と書かれたのは「寺内貫太郎一家」「時間ですよ」などの昭和の名ドラマを作ってきたプロデューサー、故久世光彦(1935-2006)氏が書かれた「マイ・ラスト・ソング」(文春文庫)の中で「落日」を採り上げた一文からだ。「女といっしょには聴かない。歌わない」というのもうなづける。男泣きする歌には「あれから」もあるが、それよりも強烈なのはこの歌だ。(管理人のつぶやき 09.04.25)

「黒い傷痕のブルース」 この歌が似合う男になりたいと思った子供ごころ
映画「黒い傷あとのブルース」の主題歌として話題となった曲だ。J・シャハテル作曲のこの曲は、インストゥルメンタル(器楽曲)として、テナーサックスが咽び泣く洋楽のヒット曲として、1961年にアンリドバリ・オーケストラ盤が国内の年間ベストヒットの9位に位置している。旭さんが歌ったヴァージョンは、この曲のカヴァーだが、オリジナルを越えた魅力にあふれていて、水島哲氏による歌詞は霧の情景を活かしたムーディーな男の情感を描き出している。当時、ハナタレ小僧だった私は、こっそり映画館で見て、この歌を自分たち仲間のテーマソングにしてしまった記憶がある。電機屋でもらった宣伝用の手帳に私が先頭になり他の仲間に歌詞を書き取らせたものだった。当時、ラジオではコロムビアレコードの洋楽を流す番組があり(「L盤アワー」※)、その中で「黒い傷痕のブルース」がよく流された。洋楽番組には珍しく、オリジナル曲と交互に旭さんの歌も流された記憶がある。映画は過去に裏切られた経験を持つ主人公・渡三郎が刑期を終えて、裏切った男を求めてある街に現れる。目指す男は過去を隠して小市民の顔をして、現在は街の有力者となっている。一方、偶然知り合った美しい娘は、その男の娘であることを知る。苦悩する三郎・・・(※管理人のハンドルネームは、ここから頂いております)というくだりのストーリーなのですが、ファーストシーンがラストシーンへとつながる映画手法はタイトルにもピッタリの構成で全て回想場面で綴られます。ちなみに、クレージーケンバンドの「黒い傷跡のブルース」という歌があります。この曲とは全く関係ないものですが、ドラマチックな歌詞が楽しめます。(2009.04.27)※「L盤アワー」コロムビアレコードのポピュラーヒットラジオ番組。ビクターの「S盤アワー」に対抗して作られたとか。ヒット映画のサウンドトラックやポピュラーヒット曲が毎週流れた。「L(Limited)」から始まるレコード番号のものを使用したことからL盤とされる。


「ダンチョネ節」 街中に鳴り響いた哀愁の歌声
昭和30年代の街角にはさまざまな歌声があふれていた。大ヒットした「ダンチョネ節」は当時の街角のスピーカーからいつも流れていた。商店街のスピーカーからは当時のヒット曲が湯水のように流されていた。人々はその下を楽しげに歩く。また、それらに混じって宣伝用のアナウンスまでが流れる。まさに音の渦だった(都市部に限られているが)。現在では想像できないことだろう。昭和43年6月10日に施行された騒音規制法により、それらの歌声やサウンドが街角から消えた。昭和37年(1962)1月3日に公開された映画『メキシコ無宿』(日活)では、その様子を伺い知ることができる。タイトルが流れてから数分後、横浜の港のシーンで船員たちが屋台で飲んでいる姿のバックに「ダンチョネ節」が流れる。これは決して意識された演出ではなく当時の街中の自然な文化の姿だ。機会があれば確認して頂きたいです(他の作品にもありますが、現在は未確認)。昭和36年当時の話題として、「ダンチョネ節」「ズンドコ節」などの民謡歌謡路線が前年度のレコード大賞企画賞を受賞しました。また、コロムビア年間ヒット賞の内、3曲を旭さんの歌で占める。一位:ズンドコ節 二位:ダンチョネ節 三位:雨に咲く花(井上ひろし) 四位:僕は泣いちっち(守屋浩) 五位:さすらい本職の歌手を差し置いての堂々の三冠です。『海から来た流れ者』で流れる「ダンチョネ節」はレコード(CD)とは違っている。映画版はエコーがかかったような、より哀愁を帯びた歌となっている。「流れ者」というファンタスティックなキャラクターのムードに合わせたものかと思われる。一方、レコード盤は高音を強調した仕上がりで明らかに民謡的ムードを活かしたものとなっている。こちらの方がインパクトがあり一般ウケするという狙いがあったのかも知れない(コロムビアのオリジナル音源について)。2009.04.28
「おけさ数え唄」  佐渡は知らねど望郷の思いがつのる
渡り鳥が祭りの櫓で歌う哀愁のある数え歌映画「渡り鳥いつまた帰る」(1960)ラストシーンの祭りの群舞の中で櫓に昇って滝伸次がこまどり姉妹と共に歌う。歌の途中で姿を消す渡り鳥。渡り鳥を追うバンプ嬢。「お元気で」の一言を残して渡り鳥は去る。可憐な土地の娘も伸次の姿を追って踊り子が集う浜辺へと走る。少年と娘は沖に浮かぶ船をみつめ「おにいちゃん、きっと帰ってくるね」とつぶやく。主題歌の「ギターを持った渡り鳥」が流れて哀愁を誘う。映画は冒頭から抒情あふれた和製ウェスタンのムードにあふれている。佐渡ヶ島の海岸沿いを一輛の馬車を追うように一頭の馬が行く、馬上には背中にギターを背負った渡り鳥・伸次の姿。馬車を追い越すと馬車に乗った少年が同乗する娘に向かってたずねる。「おねえちゃん、あれ何?」馬上の渡り鳥が笑顔で振り返って「坊や、これかい。ギターっていうんだよ」今でこそギターは珍しくもないが、当時は一般家庭でギターなどを見る機会はまずなかった。当時の青年ファンは競って、渡り鳥が持つ同型の「ダイアナ」ギターを買って背中に背負ったものと想像できる。この歌を現在でも聴くことができたのはオドロキだった。現在展開中の55周年記念コンサートで旭さんの生の声で「おけさ数え唄」を聴くことができます。是非とも各会場で聴いてみて下さい。もしかすると最後の機会かも知れませんよ。2009.04.28