■あの頃の時代の鏡

青春時代を誇れる人は幸せである。日活アクション映画に青春を賭けた役者・小林旭は過去の栄光に誇りを持っている。アキラ映画で青春を過ごした者にとって、アキラは単なるスーパー・スターではない。あの日、あのころの時代の鏡でもある。小林旭に会うことは、自分自身のあのころに会うこと。そして、これからの人生に夢を持つこと。
(「シネマぱらだいす・ヒーロー渡り鳥 小林旭の世界」インタビュアー/高橋 聡)より

■二度と出現しそうにない大娯楽映画

歌や映画に一貫して流れているイメージが放浪(さすらい)だと言えよう。ごみごみした人の群れから逃れ、自由で孤独な渡り鳥に人はいつの時代にあっても憧れや夢を託すのである。当時、一部の映画評論家からは酷評されたが、大衆からは絶大な支持を受けた「渡り鳥シリーズ」はもう二度と日本映画には出現しそうにない大娯楽映画だった! 大人から子供まで胸をときめかせて我らのヒーロー旭を見に行き映画を見終わった帰り道には「ギターを持った渡り鳥」になったつもりで歌ったものだ。「渡り鳥シリーズ」は「夢」と「冒険」と「夕陽」そして数々の「歌」が見事に調和して人々の心に焼き付いている。(中略)できることならもう一度昔のように街角で旭の映画のポスターを見ながら「今度の日曜日には旭を見に行こう」などといってみたいものだ。
(「ザ・シングル盤50's~80's」小林旭編)より

■三年連続の主演作品本数は世界一

小林旭は、昭和三十四年には『南国土佐を後にして』『ギターを持った渡り鳥』『銀座旋風児』をふくめ、十三本という驚くべき本数の作品にすべて主演した。三十五年には、『口笛が流れる港町』『海から来た流れ者』『東京の暴れん坊』など十二本に主演した。翌三十六年には、『でかんしょ風来坊』など十二本に主演。主演作品の本数記録では、三十四年、三十五年、三十六年を通じて世界一である。しかもこの記録は、現在に至るまで破られていない。前人未踏の大記録である。
(「みんな日活アクションが好きだった」大下英治/1999年刊)より

■ヒーローは不滅!

小林旭の日本版西部劇である「渡り鳥」シリーズが大人気となる。さすらいの旅鴉、滝伸次がギターを持ってある街へ立ち寄る。そこでの悪どいボスとの戦い、可憐な娘浅丘ルリ子との淡い恋、そして別れというルーティンは、ルーツをたどると「シェーン」だとか。キザな会話、破天荒なストーリー、歌うスターとニューアクションの特色はこの作品あたりで確立したようだ。
(「ぼくらのヒーロー図鑑」アダルト・キッズ著<日活アクションを総括する!>ページ)より抜粋

■アキラの銀座旋風児(マイトガイ)

粋なスター、疾風に舞えば、行くぞ必殺飛燕の必殺拳! 決然正義の疾風を捲き起こすギンザマイトガイ!! 二階堂卓也が銀座の柳がソッポ向くほど夜の蝶だけにもてもてなのは、マイトガイのクールなマスクもさるものながら、その神出鬼没な行動力。
このシリーズ、世相と共に生きたっていうわけ。流れ者・渡り鳥両シリーズにくらべると、ちょいと印象が薄いのも、その時々の風景に溶け込んでいたからだろう。
(「ぼくらのヒーローが帰ってきた」上之二郎著)より抜粋



■地方ロケは熱烈ファンの嵐で撮影変更もしばしば

当時のファンの凄さは半端じゃありませんでした。"流れ者シリーズ"の第2作『海を渡る波止場の風』のロケ地・鹿児島へ電車で向かったとき「鹿児島駅がファンでパニック」という情報が入り大あわて。ひと駅手前で降りて、タクシーで現地入り。ロケの時もどんな山奥へいってもファンがぞろぞろ。
老若男女、町じゅうの人が集まっちゃうんです。まるで人がなっているようで、どこにカメラを据えてもファンが映っちゃう。しかたなく予定を変更、船をチャーターして沖で撮影するはめになりました。
(「日活アクション・ヒーローズの青春残影」切り抜き)より抜粋




<管理人コメント>
上記の一部には間違った内容も含まれています。誤解された内容もそのまま掲載しました。
(「ぼくらのヒーロー図鑑」のニューアクションのくだりは間違いですね)

シネマぱらだいす
ザ・シングル盤50-80s
みんな日活アクションが好きだった
ぼくらのヒーロー図鑑
ぼくらのヒーローが帰ってきた
アクションヒーローズ

■日本のアクション映画をしょってたつ逸材

小林旭は63年(1963)にいたるまでほとんど<アクション・コメディ>の中で闘いつづけてきた。当時、彼の身のこなし、身軽さに感動した私は、この役者こそ、日本のアクション映画をしょってたつ男だと本気で思っていた。地上五メートルの地点から飛び降り、なぐってくる二人の男の肩に手をかけ、一回転して三人目の男を蹴る。四人目を腰でかわして、一瞬のうちに二メートルほど飛び上がって五人目の男を蹴る。ほとんど息ぎれを見せずにクルクルと回転する身のこなしはほかのどんな俳優にも真似のできない技だった。日本にテレンス・ヤングのような監督(※注)がいたら、それこそ素晴らしいスパイ・アクションが見られたのにと、ひどく残念に思った。
(「日本のアクション映画」西脇英夫著)より
※注:「007シリーズ」(初期シリーズ)の監督

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