インターネット日活映画友の会」宍戸錠氏名誉理事就任・協賛企画
 *見出しと本文内容との関係は特にありません

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 6カットくらい出ると“役”といって五千円もらえるのね。「警察日記」もそうだったな。映画界入りのキッカケ? 日大芸術学部の演劇科なんですよ。あのころは、一穫千金ということでは、野球の選手か映画スターしかなかったのよ。そのへんが動機じゃないかな。(笑)一穫千金とはいかなかったけど、全然‥‥。(笑)ボクが日活ニューフェース一期で、二期に葉山良二、三期が小林旭、二谷英明、四期が赤木圭一郎、五期が高橋英樹、六期が山本陽子、七期が渡哲也ですね。ルリちゃんなんか29年くらいに入ってますね。ボクと一緒だったのは名和宏。学生時代は菅原文太さんとかいっしょの下宿にいた人ですよね。
 「俺、日活ニューフェイスを受けに行くんだけど、君も顔がいいから行かない?」とかいって・・‥‥。それで文太さんは劇団四季に入って、セリフが少しあったそうだが、それがへタで四季を追い出されたんだって…。それが70年代のスターを産んだ。(笑)そのころは50年代ですね。

 

 

宍戸錠は本名です。昭和8年ころにこんな名前をつけるのは親父もえらいね。(笑)鈴木清順さんの「影なき声」に出たころ? 清順さんは野口(博志)組のチーフをやってたのね。野口博志というのはプログラム・ピクチュアで一番多く撮ってましたね。彼にくっついとけば仕事があるのではないかと……。55年の「沙羅の花の峠」のころ、もう役者がイヤになっちゃったときがあった。山村聴監督からあんまり怒られるんで。(笑)そのころ一期の女の子と同棲していて、毎日、会社に行ってみんなにいわれるの。久松(静児)学校なんです、ポクは。「スターじゃないものに女がいるとはけしからん」と。

 


 整形したのは「川上哲治物語」のときですね。吉原というキャッチャーの役だったので、あんまリヤセていたのではと思って。そのへんが整形の動機ですね。初期のころは二枚目志向でしたね。ニューフェイス時代の記録を見ると「アクの強い役」という風に書いてありますけどね。三流ギャング映画が好きだったんです。ホサれてヒマなときによく見ました。「マシンガン・ケリー」とか。50円劇場で。(笑)役者がイヤになって滝沢修さんに相談したんですよ。「どんな役でもやんなさいよ」といわれたね。それで、ギャングの子分でもいいやと。リ−・マービンとかビンセント・エドワーズの映画なんてよく見ましたね。いろいろ研究しましたよ。くだらないギャング映画でも必要にやってる。それから、俳優は台本に書いてないことも考えとかないといけないと思ったですね。
 俳優というのはある種の異常性格というか、それは否めないですよ。常に女の子は四人くらい持ってないといけないみたいな‥‥‥。(笑)


 

 5月4日(*注:いつでした?管理人)にNET糸で「ザッツ日活エンターテイメント」を放送しますよ。旧日活スター総出演で。映画でやる予定もあるけど、まずテレビの特番で。台本をポクが書いてるのですけどね。小石合がピアノを弾いて渡哲也が「くちなしの花」を唄うとか。楽しいショー番組になりますよ。裏番組に「巨人=大洋」がありますけどね。(笑)日活の歴史は俺の歴史みたいなものだから‥‥‥。日活がポルノになる前のころ? 撮影所が売られたころはみんなすさんでましたね。給料日になるとみんなでポーカーをやったり。ひと勝負40万円くらいで。日活がつぶれようが俺たちはやるぞといった感しで、やけのやんばちというところがあった。ショックでね。日本が戦争に負けたという感じ。(笑)



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 「不良少女魔子」? まったく記憶にないんです。(笑)やけになってたのかな。
 ダイヤモンド・ラインのころ? うらやましかったね。彼らが。ポクはギャング映画ばかり見てたこともあって、助監督にもそんな人がいて・…‥野口博志の「畳下りの暴力」というのは傑作ですよ。山谷に住む殺し屋の役で、これが殺し屋の最初。そのころ、「南国土佐を後にして」が大ヒットした。それで「ギターを持った渡り鳥」で函館へ行くということになって、小林旭の相手役で殺し屋がいるということになって水島道太郎さんに決まってたのね。ところが道太郎さんが「何で俺が旭の相手役なんだ」ということになって、そのときキャメラマンの高村倉太郎さんが宍戸錠にしようといってくれて‥‥‥それがイイといわれて。
 小林旭、浅丘ルリ子、宍戸錠がひとつのトリオになって。赤木圭一郎も一人じゃおぼつかないから宍戸錠とやらせろみたいなことで。そのあたりから、ボクのイメージがかわってきましたね。
 ボクは館主の要望で主役になれたんです。「あの殺し屋を主役にしろ」というので。裕ちゃんが足の骨を折ったし、結局、ボクがその代役みたいで主役になった。その1作「ろくでなし稼業」が1日1館で六千人入ったんですよ。赤木圭一郎で四千五百で裕ちゃんのが1万だったですね。旭も五〜六千で。その年のギャランティが15万円から120万円になりましたよ。1年間で。裕ちゃんとトニーがいなくなったからね。裕ちゃんが足を折ったあと、日活スタアはスキーはやってはダメだということになった。だから、いまだにポクはスキーはすべれない。(


 


 
 「ろくでなし稼業」をやったとき、「ああ、もう宍戸錠は死んだな」と思いましたね。でも、けっこうそのあと、40本くらい主演をやりましたけどね。つまり俺が売れたのは殺し屋のイメージだったわけで、わざとらしい宍戸錠ができたみたいだったですね。
  喜劇のジャンルは、好きではあったけど。そのころは二谷英明さんがよかったですよ。それまでポクがやってた役を英明さんがやったんですよ。ポクのは主役の芝居じゃないのね。所詮、小林旭や赤木圭一郎がいて、俺なのね。
 「ゴッド・ファーザー」でアル・パシーノが素晴しいと日本では思うよね。アメリカではジェームス・カーンなのね。だから、ボクらはそのへんに準じていなければならない。それを主役だと思った日活がいけないの。主役だったらこんなのをやりたいというのを結局、やれずじまいで。
  ハードボイルドになって、「拳銃は俺のパスポート」「みな殺しの拳銃」なんかでやりましたけどね。それを最初からやりたかったね。 あれを「ろくでなし稼業」のときにやってればもっと英雄にしてくれたでしょうね。

 


 
 B級西部劇の部分はかなリイージーに作ってましたからね。「ろくでなし稼業」は台本があったけど、あとはなかったもの。二本日の「早射ち野郎」もあったけど、これは面白かった。完全にここは日本でないという意識を持たなくちゃ出来ないですよね。野村孝と論争しましたね。いまだにあの映画でケガしたところはアザになってますよ。野村孝とケンカして「もう一生お前と仕事しない」「俺も宍戸錠は二度と使わない」と。3年くらいたってまたやりますけどね。(笑)   あの人をポクは一番買ってますね。絵を大事にしますからね。「拳銃は俺のパスポート」は傑作ですよね。ボタにとっても一番いいシャシンですね。ラストの埋立地の移動のシーンは、ポクが考えたんですよ。絵コンテの構成能力はすごかったですね。野村孝は。95点のシナリオがあれば全部90点になりますね。50点のシナリオじゃ、どんな監督がとっても60〜70点が精一杯。だから、95点のシナリオを作れ、と。


 


 
 「拳銃は俺のパスポート」で杉良太郎がデビューしたね。冬の埋立地にハエが飛んできて、それが何故か飛べないというシーン。長谷部(安春)がB班で撮ったんだけど。
 「抜き射ちの竜」の最後の西村晃が射たれて豆がポロポロというのもアメリカ映画からのいただきだけど。あれは俺と柳瀬観の合作ですね。そういうのが好きなのね。「抜き射ちの竜」は70%は柳瀬観が撮ったんですよ。
 脚本を書いてた山崎厳が追いうちをかけてくるのでシンドかったな。シナリオにないようなアクションをするでしょ、それをライターが見てよかったからといって次の本にまた同じアクションが出てくる。こっちは同じじゃつまらないとまたアイデアを考える。「ここで、チッチッチッという」というは初めはなかったわけで、それをやると次の本にそういう指定が出てきましたね。

 


 参考ページ                「あの頃の錠さん・2」へ>>>
 
上記文章は昭和52年3月25日発行「シネマぱらだいす」6号からの2次使用です。日活映画ファンとしての立場からの引用であり、著作権等侵害等の
  意図はありません。差し支えがあれば、ご連絡を頂ければ削除を持って対応させて頂きます。 管理人


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