昭和34年(1959)10月11日に若者待望の映画が封切られた。公開映画館の周りには既に予告編を観た多くの若者たちが公開時間を待って列を作っていた。中には主人公の滝伸次のカッコウを真似て革ジャンを着た若者もいる。この2週前には同様にシリーズ化される「二階堂卓也 銀座無頼帖 銀座旋風児」が公開されていた(9/20公開)。また、この2ヵ月前には、渡り鳥シリーズの原点とされるヒット作品「南国土佐を後にして」が公開されていた(8/4公開)。

ギターを持った渡り鳥

「ギターを持った渡り鳥」のロケ地は、こうして決まった


以下は撮影担当の名匠・高村倉太郎氏へのインタビュー

高村 だいたい二ヶ月ぐらいですよね。
    
ークランクインから完成まで、二ヶ月というのが一つのローテーションですか。

高村 そうです。それで予算が極端に萎(しぼ)んだわけじゃないんだけど、製作日数が短縮される
っていうことは、それだけ製作予算も縮小されるということですからね。だから、そういう形でどんど
ん小さくなっていったのは事実ですね。

ー『渡り鳥』シリーズの頃に、もうそういう傾向が始まっているんですか。

高村 これはわれわれも思うんですけど、いちばん最初の『ギターを持った渡り鳥』(監督=斎藤武
市、昭和三十四年)のときに、ロケ地が下田か函館かっていうのでもめたでしょう。

ーロケ地をどっちにするかでもめたんですね。

高村 本当は下田だったんですよ。主人公の滝伸次(小林旭)っていうのは、元神戸署の刑事で、
ある事件で恋人を亡くしたんで刑事がいやになって辞めるんですよね。それで恋人の面影を
胸に抱きながら、いろんな港町をぶらりと回っていくうちに、かつての神戸に似た港町にたどり着い
たのが函館ってことになったわけです。それが最初、シナリオには函館じゃなくて下田って書いてあ
ったんです。だけど、下田でやるつもりはさらさらなかった。監督も一応下田を見なくちゃ仕方ない
から見たんでだけれど、こんなの下田でやれるわけがないと。ほかにどこかあるかなっていろいろ
考えてひらめいたのが函館なんですよ。函館は監督も以前にロケーションしたことがあるんです。
二人とも「そうだ。函館ならなんとかなるんじゃないか」って。
それじゃ予算はどうするんだ。函館ってことは、全員宿泊になっちゃうじゃないかと。
下田だったらバスで行けて、しんどいとき、一、二泊すればあとは通えるんですよ。そうい
うことだったんですけど、それじゃどうするかと。とても無理だ、予算が成り立つわけがないとなっ
てね。


意外や意外!!
『ギターを持った渡り鳥』は石原裕次郎さんの先行企画?!

ギターを持った渡り鳥
これは昭和33年6月頃に発行された「近代映画」の裏表紙広告の一部です。
原作・脚本・監督/井上梅次 とあります。
主演:石原裕次郎・北原三枝 
当時の会社の企画としてあったものでしょう。
後に、児井プロデューサーが井上監督からタイトルを譲り受けます。


↓↓ 広告の全体イメージ ↓↓
近代映画の裏広告
当時のお盆興行として企画されたのでしょうか?

■資料は「マトさん」から提供いただきました。感謝!

ー児井英生さんは、ほかのプロデューサーと比べてどうなんですか。

高村 ふつうですよ。わりあいのんきというか大まかな人で、埒があかなかったんです。
それで僕がちょっと口が滑っちゃったんですけど、下田の予算で函館でやったらいいと、
そういう提案をちょっとしたわけ。会社としては別に反対する理由もないよと。それじゃっていう
んで、斎藤武市さんとそう言った以上はある程度きちっとできるようにしなきゃしょうがないっていう
んで、シーンごとに一体これは何カットでどれくらい時間がかかると。

ーそこまでやったんですか。

高村 そう、それでだいたい二人は分かっているから、このシーンは函館のどこで撮ろう、このシー
はどこでやると。

ーそれだけの作業をやるということは、斎藤武市さんも高村さんも函館でやりたいという意志が強
ったわけですね。

高村 そういうことです。

ー函館へロケーションに行ったら、それだけ映画が豊かになるという確信があった。

高村 函館でやれば、絶対にイメージ的にはうまくいくよと。

ーそのときの『ギターを持った渡り鳥』は、『南国土佐を後にして』(監督=斎藤武市、昭和三十四年)
をヒットさせて、斎藤武市さんは会社の中で株が上がってきているという立場ですね。


高村 そういう立場でしたね。それで、二人で綿密にスケジュールを立てたんですよ。たと
えば、場所は同じなんだけど、午前中はこっち側に陽が当たって、午後はこっちに当たって
いる。そうすると、午前中のこのシーンはここで撮って、一回どこかへ行ってそこでやっ
て、また午後に戻ってきて今度こっち側を撮るというようなことまで考えましたね。そし
て、実際にそういうスケジュールを立てて、スタッフ全員を集めて、実は函館でやるために
は、こういうスケジュールでこなさないと予算的にはまらないんだと。だから、なんとか全
員の協力でやってほしいと。助監督にはとくにA点からB点へ移るといった場合には、あらか
じめB点へ先乗りして、人よけとかいろんな準備をやってくれ、ということを事細かに説明し
て、それでスタートしたんです。

ー本格的に一つの地方ロケをやっていくやり方、ノウハウを定着させるということですか。

高村 そういうことです。

ーいろんな失敗も生かしていきながら、次の作品につなげていったと。映画全盛期の昭和
三十四年ですね。


高村 今考えると、『ギターを持った渡り鳥』の撮影は夏だったんですよね(九月十四日ク
ランクイン、十月五日クランクアップ)。非常に天候に恵まれたのと、それから夏だから撮
影時間が長いでしょう。夕方五時、六時までやれるわけですよ。冬だったら五時でもう真っ
暗になっちゃいますからね。そういう意味で割とフルに使えたわけです。
それでこんなことも実際にありましたよ。海上保安庁の船が、実際には芝居にあんまり絡ん
でこないんだけど、現れるショットがあるんですよ。(※管理人注:アキラとジョーの船上
での対決シーン)監督と、こう撮ってこうなってって、いよいよ保安庁の船が入ってくると
すると、これが何時何分というところまで全部計算したわけ。それで保安庁に何時何分にど
こそこへ来てくれという話をして、こっちも撮影をやっていた。それですぐに本番回して、
二、三カットだったんだけれど、撮り終えて、それで保安庁に連絡したんです。
「もう結構です」と言ったら、向こうが逆にびっくりしちゃったんですね。さっと来て二十
分もたたないうちにOKっていうのは、初めてだって言うんですよ。「本当にそれでいいん
ですか」なんてね。ふつうだと半日ぐらい引っ張り回されるのにというわけです。こっちも
そういう段取りでやったから、そういうふうにすんなりできたんですけどね、それで見事に
時間通り上がったんですよ。

本記事の素材を頂いた「マトさん」に感謝致します。 
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