日本中がオリンピックムードで湧く頃、
孤独な旅を続ける、さすらいのギャンブラー・氷室浩次

 『黒いダイスが俺を呼ぶ』が公開されたのは、1964年(昭和39)10月30日、東京オリンピックが終了した後のこと(東京オリンピックは10月10日〜24日まで)。まだ、日本中がオリンピックムードに湧く頃だった。新たな「ギャンブラー・シリーズ」の2作目の作品。先の作品は『さすらいの賭博師(ギャンブラー)』(1964.8.5公開)である。その前に、シリーズ原型となる『波止場の賭博師』(1963.2.17公開)もある。渡り鳥・流れ者シリーズのアクションと哀愁感に『南国土佐を後にして』で見せた見事なダイスさばきをそのまま引き継いだ新シリーズは残念なことに白黒作品としてのスタートだった。


 当時、諸事情により不遇な扱いを受けていた旭さんは、このシリーズでさらに復活の狼煙をあげる。その当時の雑誌から抜粋して当時の状況をご紹介します。この時期、白黒作品が続いたとはいえ、演技派でもある旭さんには、さらに魅力が増したといえよう。この後、ギャンブラーシリーズは「黒い賭博師シリーズ」も含め全8作となった。

二度目の命拾い。壮絶アクション!



 旭さんはアクションシーンでは、スタントマンを使わない。また、この頃にはアクションシーンは旭さん自身がアクション監督をしていた。『黒いダイスが俺を呼ぶ』の圧巻アクションシーンでは、2度目の命拾いをすることとなる。
 一度目は、作品題名は不明だが、ガソリンスタンドが爆発するシーンで悪の一味のトラックに飛び乗ろうとするシーンで、スタッフが火薬の量とタイミングを間違えて旭さんが吹き飛ばされたというエピソード。


『黒いダイスが俺を呼ぶ』では、ギャング同士の争いに巻き込まれた氷室は、世話になっている医者の息子をギャングの世界から足抜けさせるために努力する。やがて、ギャングの銃撃戦に巻き込まれ給水塔のてっぺんへと追い込まれる氷室。上と下とで激しい銃撃戦が続く、ギャングが給水塔の足下にガソリンをまいて火をつけた。火の手のあがるのを見て、氷室は高圧線にぶらさがって脱出を試みる・・・。
 このシーンは調布撮影所のオープンセットで撮影された。ここからは「みんな日活アクションが好きだった」(大下英治著)から抜粋する。


 陽は、とっくに落ち、夜間撮影用のサーチライトが旭を照らし出す。長ロング、中ロング、アップなど、つごう五台のカメラが旭のハードアクションを捕らえようとまちかまえている。
 助監督が、叫んだ。
 「はーい! 本番いきまぁす!」
 そのまま、スタート合図のカチンコを鳴らそうとした。
 「おーい、ちょっと待ったぁ!
 突然、旭がストップをかけた。
 「なんだぁ? 旭!」
 「おーい! なんだか、ヤケに臭えぞぉ!ガソリンまき過ぎじゃねぇのかぁ!」
 小道具係が、叫んだ。
 「だぁいじょうぶでぇす!」
 旭は、不吉な予感がした。
 <だって、塔の下にガソリンがダブダブ溜まってたぞ、いいのかな>
 旭は、首をかしげた。
 が、スタントを使わない俳優ということで自他ともに認める小林旭がひびった、とあっては末代までの恥だ。旭は平然とした顔で承諾した。
助監督が、あらためて声をはりあげた。
 「本番、いきまぁす!」
 旭は、井田監督に代わって、塔の上から指示を出した。
「準備オーケィ?」
「オーケイでぇす!」(中略)
 漆黒の暗闇に向かって松明が勢いよく飛んだ。
 旭は、そこまでは、ギャング団の動きが見えていた。
 次の瞬間—。
 「ボンッ!」
 凄まじい音響を発しながら、ガソリンが爆発した。あたりは、またたく間に火の海と化した。紅蓮の炎が、旭の体を焼きつくさんばかりの勢いで迫ってくる。旭には撮影班のいる方向がまったくわからない。
 <野郎、ガソリンの量を間違えやがった。だから、俺が、やけに臭ぇぞ。ガソリンの撒きすぎじゃないのか、といったんだ>
 もう、後の祭りだ。炎は、紅い凶器と化した。旭の頭上十メートルまで、炎が立ち上がった。旭の姿は、炎の中にすっぽり隠れた。影すらも見えない。
 「うわっ、大変だ!」
  (以下につづく)







 大道具が泡を喰った。思わず、塔の足に連なる紐を引っ張ってしまった。塔が、ぐらりと傾いた。旭の足元が、揺れた。バランスを崩し、体が地面めがけて落下しそうになった。もともと塔を倒す仕掛けになっていたのだが、火の勢いに驚き、大道具が、ひっぱってしまったのだ。火を見ると、人間は冷静でいられなくなる。
 旭は死ぬ思いで、飛び移る方向を探した

 火の壁に遮られ、高圧線のある方向がわからない。
が、一刻を争う。モタモタしていると、丸焦げになってしまう。(中略)
旭は、不思議に冷静だった。飛んだ方向に、かならず高圧線がある。旭は、みずからの第六感だけを信じた。
 旭の両腕と胸の間に高圧線があった。高圧線のぶっとい厚みが脇に感じられた。旭は、腕で高圧線をつかみ直した。その瞬間、ドドドッと塔が倒れた。体が燃えるように熱い。
 旭の眼に、ガランとした撮影所の空間があった。漆黒の闇の中には、誰の姿も見えなかった。
<カメラはどっちだ・・・>
 旭は、すぐカメラの位置を眼で追った。
 旭の体は、高圧線に宙ぶらりんになったままだ。下から、炎が旭の体をなめまわしてくる。足元が、ジリジリと燃えてくる。(中略)
 旭は、宙ぶらりんになったまま進んだ。
<それに、あっちに行けば、カメラもまわってんだろ。しゃあねえや、小屋の方まで進むか>
 旭は、こんなときまで、自分の体の位置を確かめていた。(中略)
架設小屋の上方まで、進んだ。
<よしっ、飛び下りようか>
 旭は、パッと手を離した。その瞬間、体が、上に引っ張られた。弓の弦と同じである。ぶら下がっていた位置から、三メートルほど撥ね上げられた。体が、回転した。
<このまま落ちたら、それこそあの世だ・・・>
 旭は、ぐっと頭を起こして、眼をこらした。すると不思議にも、見た方向へ体が傾く。つまり、頭が、落ちる方向に向いたのである。足を下に向けようにも、向けられない。かといって、落ちる方向を見ていなくてはならない。
 旭は、中途半端な体制のまま、落っこちて行った。
 いよいよ眼の前に小屋の屋根が見える。
 とっさに息を吸った。しかも、思いっきり。

(右上に続く↗)

 (左下から続く)
<落っこちたと同時に息を吐きゃ、腹の中が、空気のあんこになっているので、衝撃がやわらぐに違いない>
 体が、小屋を直撃した。ふうっと、息を吐いた。すさまじい衝撃が、旭の胸を襲った。 
 旭は、その瞬間、気を失った。
 十分ほど、意識が朦朧としていた。小屋は、旭が落ちると同時に、旭の体重で崩れるように作ってはあった。しかし、旭がとっさの判断で、腹をあんこにしていなければ、衝撃は、もっとすさまじかったろう。
 やがて、旭は、起き上がることが出来た。
 「旭ぁ! 大丈夫かぁ!」
 スタッフが、駆け寄ってきた。(中略)
カメラマンは、申し訳なさそうに顔の前に片手を持ってきて拝むようにした。
「すまん。旭ちゃん。大ロングの一台が、回ってただけなんだ」
「ええっ!? じゃ、他のやつは」
「・・・・・・・」
カメラマンは、無言で首を横に振った。
「なんだ、そうなの・・・」
旭は、がっくりと肩を落とした。悔しくてたまらなかった。
 ラッシュで、そのシーンを観た。大ロングが捕らえた映像だけが映っていたに過ぎなかった。なにか黒い影が、火の海の中をチョロチョロ動いているだけだ。肝心のシーンでも、黒い影が、ちょこっと動いて火柱の中を飛び出す。高圧線を伝い、小屋に飛び降りて、ちょこっと砂ぼこりが上がっただけであった。
 その黒い影が旭かどうか、まるで判別がつかない。それこそ、スタントマンが動いていると見えるだけだ。
<なんのために、俺が吹き替えを使わず自分でスタントをやるのか、これじゃ、まったく意味がないじゃないか。大ロングのフィックス(固定)の映像なんて、全然迫力がないよ>
 旭は、死にかけるほどの危険をおかしたのに、悔しくてならなかった。

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しかし、この後、もっと死線を彷徨う状態になることになる。『黒い賭博師』の撮影中にヒロインの体を抱えてビルからビル飛び移る際に、ヒロインの代役である人形の重さを読み違えて着地の際にバランスを崩し墜落し、そのまま気絶して昏睡状態が続いた出来事である。
まさに、不死身のマイトガイ、未だに現役バリバリである。


(2013.11.10)

東京オリンピックの頃は、撮影絶好調。

『黒いダイスが俺を呼ぶ』は、東京オリンピック開催中に撮影された作品なので、それらについての旭さんの感想が書かれた文章がある。


 がむしゃらに突っ走るだけが能ではない、勉強が必要だ・・・。
息の長い俳優となるためには、絶えざる勉強が必要であり、身体を充分に鍛えておかねばならぬ・・・ということを知った。
 自分のためにも、自分を支持してくれるファンのためにも、それが必要だということがわかったのである。それを知らせてくれたのが結婚生活だったのである。
(管理人注:美空ひばりさんとの離婚後の頃)


 健全な精神は、健全な身体に宿るものであろう。
 ぼくが今の仕事を続けてゆくためには、健全な精神と健康な身体が絶対に必要だと痛感した。
 いま、東京ではオリンピックが開催中である。全世界から集まった若人が、あらん限りの力を発揮して、その若さと力を競い合っている。
 昼間、ぼくは仕事に追われている関係上、競技を見に行く時間がない、テレビもみられない。
 だが、幸いなことに、夜になると、オリンピックのダイジェストを放映している。それをみるのが、非常に愉しい。
 重量挙げで、三宅選手が(管理人注:ロンドンオリンピックで、重量挙げで銀メダル獲得の三宅宏美選手の叔父にあたる)、見事に初の金メダルを獲得した。嬉しかった。
 実は、最近、ぼくも重量挙げに熱中しているのである。おかげで、ぐんぐん胸幅がふえてゆく感じだ。
 アクション映画には、立ちまわりがつきものだが、最近では立派な立ちまわりができる自信が生まれた。充実した渡り鳥映画を大いに生み出したい。
 (以上、別冊近代映画12月号・1964「スタア随想 小林 旭」より抜粋)


 このように、当時の旭さんは「ギャンブラーシリーズ」も渡り鳥映画のひとつとして考えていた。この後のシリーズのひとつ『ギター抱えたひとり旅』などは、ズバリそのものである。