昭和36年(1961)の大晦日、小林旭さんは慌ただしく日本を発った。渡米の理由は当時、アメリカ在住の日本人や日系人にも大人気だった旭さんの現地でのレコード印税が貯まったことにある。当時の関税制度では一定額以上の金額は国外への持ち出しが禁止されていた。だから、アメリカで使わなければならない(羨ましいお話)。
 羽田空港(当時は本空港のみ) を発ち、ハワイを経由してロサンゼルスに到着。こちらへは年明け寸前にホテルに到着。明くる日、ロサンゼルスの東洋劇場では『高原児』が公開中だった。旭さんはファンの皆さんに舞台あいさつ。得意のツイストを披露しました。

 


東洋劇場


昭和36年12月の暮れといえば、『渡り鳥北へ帰る』の撮影が終わって、翌年のお正月公開に向けての編集が真っ最中の頃でしょうか? 大忙しの旭さんは、その頃のタイミングを見計らってアメリカ旅行に行かれたのでしょうね。10日間の旅には様々なことがあったようです。ハリウッドのスタジオ見学、ラスベガスでのギャンブル(この時のスナップを見ると、後のギャンブラースタイルを彷彿とさせます)など、さまざまに貴重な体験をされて日本に帰られたようです。後日談として語られたハリウッドでの主演映画の話もこの頃にあったものでしょうね。続きは随時、掲載の予定です。 管理人

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