"渡り鳥・流れ者・旋風児"だったあの頃

シリーズ3つの顔・渡り鳥/流れ者/旋風児
昭和36年(1961)の春から夏にかけて、故障者の多かった日活撮影所で大活躍!日活にとり、この年は不運に見舞われた年でもある。トニーの事故死、裕次郎さんのスキー事故入院が続き、その穴を埋めるために小林旭さんは獅子奮迅の大活躍をすることとなる。そんな頃の週刊誌の記事がある。当時のファンがさまざまなコメントを寄せていたり、渡り鳥・流れ者・旋風児の3つのシリーズ、それぞれの監督の話が掲載されている。
■齋藤武市監督が語る『ギターを持った渡り鳥』制作ウラ話渡り鳥シリーズの第一作目のウラ話が記されている。脚本が遅れて撮影日数が20日間しかなくなった(当時の日活の常識ではカラー作品で25〜30日間)ところへもってきて、なかなか適当なロケ地が思いつかなかった。当初は、三浦岬から横須賀方面へロケ・ハンしてみたがダメ。ハタと困った監督の頭にひらめいたのは『白い悪魔』(旭さん出演)のときにロケした函館の風景だった。日本で西部劇をとるなら、港も高原もある北海道にかぎる・・・!」ロケ・ハンをする余裕はないから、すぐぶっつけ本番で出発したら、台風の歓迎をうけて2日間がパァッ。さらに往復の2日を引いて、実撮影日数16日間であげるという放れ業をやってのけたが北海道ロケの効果があがり作品は大成功。齋藤監督は、昭和33年1月公開の『白い悪魔』(原田康子原作)で初めて小林旭さんを使う。その後は『南国土佐を後にして』で、監督自身も初めてのアクション作品に取り組んだ。旭さんの運動神経に惚れ込んで無理なアクションも要求したとか。渡り鳥シリーズを何本か撮り終えた監督の弁、「そのうちテキサスへロケして、むこうのスタークラスを相手役にした西部劇をつくりたい。乗馬シーンはだけは別として、"渡り鳥"は本場作品に劣らぬ自信がありますからね」
■山崎徳次郎監督が語る「流れ者」シリーズの魅力「渡り鳥」と比較した「流れ者」の役づくりについて監督は「渡り鳥は日本各地へ目的もなくフラッと現れる。それに対して流れ者は、何か目的を持って現れる」スタイルは皮ジャンに半長靴という"渡り鳥"に対して、パリッとした背広スタイルも見せる。だがギターは持たせて、彼の歌の魅力は利用しすぎるほど利用すること・・・。『海から来た流れ者』では、トップとラストに哀愁を帯びた「ダンチョネ節」が流れる。大島ロケでは終始雨にたたられ、ついに土壇場でアラレまじりの冷雨をついて撮影、八丈島の上空には黒雲、三原山の方面には青空という光景で「実になんともいえぬ男性的なカメラ効果をあげることができた」そうだ。「とにかく彼の生地で暴れてもらうのが目的ですから、私はふだんからアキラ君のちょっとした言動にも注意して、その魅力を画面に活かすようにつとめています」道で会った時、彼がニッと笑う顔。撮影所を歩いてるときの若さにあふれた線。食堂で人待ち顔にしている時の眼の感じ、などなど・・・。「人間を描きたい」という齋藤監督の意見に全く同感という山崎監督は、「アキラ君は人情、友情、家族愛といったものを演ずるにふさわしい俳優です。そして、仕事がつらい時ほどニコニコして、ケガをしても頑張り通すあのファイト・・・」と手放しで流れ者・浩次をほめていた。
■野口博志監督が語る「旋風児」シリーズ野口監督は初期は時代劇アクションを撮っていたことから、『銀座旋風児』を撮影するにあたり「"旗本退屈男"に匹敵する現代劇シリーズをつくろう」と抱負を抱いた。「しかし今から反省してみると少しウソが目立ちすぎた。原作者の川内康範さんは、もっと違うものを狙っていたかも知れないのに・・・。主人公がいちおう美術デザイナーで"先生"と呼ばれる身分であることも、今のアキラ君の年齢ではちょっと無理があった。はじめから"旗本退屈男"よりも"銭形平次"を考えて、もっと徹底的に探偵で通した方がよかったような気がします」服装は英国紳士然としたスマートさを売り物にしたが「やはり"渡り鳥"のようなアキラ・スタイルのほうが・・・」とのファンからの注文もあった。「だが日活の俳優さんの中で、アキラ君のように"形の上での紳士スタイル"が似合う少ないんではないかと考えましてねえ・・・。セリフもわざとゆっくり言ってもらって、できるだけ紳士の感じを出すように苦心しています。だが、この和製アルセーヌ・ルパンの身のこなしの見事なことといったら・・・」と語る。
■自身が語る"渡り鳥"と"流れ者"の使い分け「渡り鳥」と「流れ者」は似ているようで微妙に違っている。それは旭さん自身がそれぞれの役づくりについて語っている。歩き方ひとつにも気を使い、"渡り鳥"の時は体の力を抜いてフラッフラッとやる。"流れ者"は、もうちょっとピリッと歩くというぐあい。「僕のふだんの歩き方は、渡り鳥の方に似てるでしょ・・・」
渡り鳥・流れ者・旋風児の各作品を改めて観る
■こうした制作ウラ話を読んで、改めて各作品を観る上記は、昭和36年8月27日号の「週刊明星」の記事から抜粋したものです。『高原児』が公開されて、渡り鳥シリーズが終焉を迎える直前の頃の話。こうしたウラ話を知って改めて各作品を観ると、やはりアクションや、演技の素晴らしさや歌の魅力が倍加しますね。(2009.4.8 管理人)

渡り鳥・流れ者・銀座旋風児DVD

発売元・販売元 日活株式会社

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日活 http://www.nikkatsu.com/

ギターを持った渡り鳥ギターを持った渡り鳥
口笛が流れる港町口笛が流れる港町
渡り鳥いつまた帰る渡り鳥いつまた帰る
赤い夕陽の渡り鳥赤い夕陽の渡り鳥
大草原の渡り鳥大草原の渡り鳥
波濤を越える渡り鳥波濤を越える渡り鳥
大海原を行く渡り鳥大海原を行く渡り鳥
渡り鳥北へ帰る渡り鳥北へ帰る
sf1-3.jpg海から来た流れ者
sf4-1.jpg海を渡る波止場の風
sf1-4.jpg南海の狼火
sf5-1.jpg大暴れ風来坊
風に逆らう流れ者風に逆らう流れ者
銀座旋風児銀座旋風児
銀座旋風児・嵐が俺を呼んでいる銀座旋風児・嵐が俺を呼んでいる
南国土佐を後にして南国土佐を後にして
アキラ・ファンの声(昭和36年夏当時)
男女4人のファンが語ったマイトガイの魅力(A,B,C,Dさんの4人):"渡り鳥"と"流れ者"が似すぎているという難はあるけど、僕は三つのシリーズともそれぞれに好きだな。:むろん私も、小林さんの作品は全部好き。2回見るのはふつうで、『大草原の渡り鳥』なんか三度以上だワ。(「私もよ」「僕もだ」との声がひとしきりあがって・・・):私なんか『絶唱』は五、六回見たかしら・・・。でも今は、すっかりアクションのファンよ、中途半端な文芸物をやるより、ずっと"渡り鳥"などの線で進んでもらいたい。:私生活でもそうだと思うけど、画面での小林さんの魅力は顔よりも性格ね。短気で「バッカヤロ」と怒鳴ったりしても、すぐサッパリしちゃう感じでしょ。:でも、あの童顔の魅力もたまんないわ。特に上目使いになったときの色気ときたら・・・。:眼の演技がすばらしいものね。とくに"渡り鳥"のときなんか、うっとりしちゃう。:眼をつぶって声だけ聞いても「イイナァー」と思うじゃない。俗っぽい歌でも、小林さんが歌うとちっともイヤラシクなくなるし・・・。:旋風児シリーズは銀座が舞台だから、どうしてもキザな服装になりがちだけど、小林さんがやると、ちっとも不自然でないのね。:旋風児はスリルがあるし、あの二階堂卓也(役の名)は本当に強そうに見える。欲をいえば、拳銃(ガン)さばきを全身ばかりで見せず、素早い指先の動きをアップで写して欲しいな。:小林さんの作品で私がただひとつイヤだなと思うのは、ストーリーに関係ないのにはストリッパーがよく出てくるでしょう、あれだけはちょっと・・・。反対に伸次("渡り鳥"の主人公)が子供を可愛がるシーンになると、胸がホッとするわ。:小林さんの雰囲気には、なんとなく人間味があふれているのね。"銀座旋風児"で彼の助手役とのやりとりにそれを感じられる。:ところが女性に対しては妙にんだ。(笑)ツメタイというと適当ではないかも知れないけど・・・。伸次は「僕はふつうの結婚ができない男」と決め込んで、いつも恋人に背を向けて行っちゃうでしょ。:伸次には、恋さえできない孤独の影があるのね。"流れ者"の浩次はもっと明るいけれど、やっぱり女性にはツメタイ・・・。:たまらには恋を成就してもらいたいわぁ。(笑):スーパーマンに恋は禁物、といったジンクスがあるせいだろうけど、今のファンはスターに対してけっして夢みたいな浮ついた憧れはもっていないと思うな。もっとリアルな人間味にひかれるんだよ。:そうね、もっと小林さんの人間味を強調してもらいたいわね。まだ若いんだから、最後にとびきり人間的な役をやってもらいたいという欲もあるけれど・・・。:外国の西部劇のように、伸次や浩次一家の親子団らんの図も見たいねえ・・・。小林さんの場合は、きっと姉さん女房が似合うと思うナ。
以上が、昭和36年当時の雑誌に掲載されたファンの座談会です。