昭和35年の秋の頃


★大瀧詠一監修「アキラ 1〜4」発売記念企画★
素敵な企画を実現していただいた、大瀧詠一氏に感謝を込めて

2月21日に待望のアルバムが発売されました。 この機会に、当時の雑誌記事から
アキラさんの歌に関する記事を引用します。(別冊「近代映画」より・
S35.11上旬号)

アキラさんは、初めからアルバムでデビュー
だったって、知ってました?


「恵まれた素質、貫いた不屈の斗志」と題された、音楽評論家・小倉友昭氏の文より抜粋

      ●コロムビアの邦楽部長が『ズンドコ節』はもうそろそろ20万枚になる。
       考えてみるとこわいようなヒットで・・・」といっていた。
       「ズンドコ節」一曲で、6000万円の膨大なゼニを上げるわけなのである。
       一枚300円が20万枚。小林旭は“ゼニのとれる歌手”なのである。

       :当時は現在のように誰もが手軽に自分好みの曲を聴けたわけではない。一般的にはラジオ
          から流れる曲を聴くか、街頭やパチンコ店などで流れるBGMを聴くのがあたりまえ。
          レコードプレーヤーなどは誰もが持っていたわけではない。そうした中での20万枚は驚
          
的な記録といえる。

    

      ●日本中のレコード売り上げのバロメーターとして注目されている名古屋で
       最近の流行歌のベストセラーを見ると、
       1.「ズンドコ節」2.「月影のナポリ」3.「ダンチョネ節」4.「アキラのツー
       レロ節」といった順になっている。名古屋は映画でいえば浅草と同様な位置
       を占めるレコード市場、それだけにここの動向が注目される。
       その証拠に福岡では、3.「ズンドコ節」4.「アキラのツーレロ節」6.「ダン
       チョネ節」と十位以内に、小林の歌が三曲も入っている。

      *注:「月影のナポリ」は、この年の8月にデビューした森山加代子の曲。「ダンチョネ節」
          は『海から来た流れ者』(2.28公開)の主題歌として3月に発売され、5月に大ヒット
          した。「ズンドコ節」は『海を渡る波止場の風』(5.28公開)の挿入歌として6月に

        発売され、7月に大ヒットした。この頃の他のヒット曲は「潮来笠」など。


      
●映画『南海の狼火』の主題歌「さすらい」は、かつて、ニューギニア方面で
       兵士たちによって歌われた歌をもとにして作ってある。いわば望郷の歌のひ
       とつである。
これを小林は、力をこめて歌う。この気概が、聴く者の心に何
       かを訴える。この訴えが強いところが、彼の歌のひとつの特色だ、とぃって
       も差し支えないだろう。歌は声よりハートだ、とよくいわれる。
       『心から歌う』ということがもっとも大切だ。(中略)
       小林旭の歌には、その「心」がある。技術も声もいらない。心で歌のだ、と
       いう気迫がある。この気迫が聴き手を納得させる。
       彼の「さすらい」には、そんな気迫が込められているのである。巧拙を超越
       した小林旭の心が聴き手をうつのである。

 

      ●だが、彼の歌がまずいというのではない。
       ここで一つのエピソードを紹介しよう。
       一昨年のことだ(*昭和33年)。日活関係のパーティがさるところで行わ
       れた。この席上、売り出したばかりの小林が、余興にポピュラー・ソング
       や民謡などを歌った。この席上、いあわせたコロムビアのNディレクター
       (当時の邦楽部長)が彼の歌に「声もよいし、歌のスジがよい」といった
       理由で惚れ込んだ。この氏の心を見透かしたように、日活の児井プロデュ
       ーサーが「小林はのびますよ」と話しかけてきた。
       この時のことを回顧してディレクターはこういう。
       「たしかにぬきんでていた。児井さんからいわれるまでもなく、ぼくはこ
       れはイケると思ったんだ。低音から高音までムラなく伸びる声、若々しさ
       に満ちた歌い方で、これこそ次の時代をになうスターだと思ったね」

       Nディレクターは、児井プロデューサーのすすめもあって、小林旭にそれ
       となくコロムビアに遊びがてら来るように申し出た。

       

      ●小林はコロムビアに立ち寄った。この時の服装はメキシコ風な帽子ソンブ
       レロを被り、ジーパンを履いて、草履をつっかけたままという語り草にな
       っているものだった。

      
:この後、マイクテストをし、これはイケるとすぐに録音に入ったらしい。

      
      ●こうして、歌手小林旭は登場することになった。
       しかも、この登場のしかたもめざましかった。新人歌手は普通なら、まず
       シングル盤で売り出される。ところが、小林だけは違っていた。
       まず「小林旭 歌のアルバム」というのが企画された。必ず人気歌手にな
       るという確信をレコード会社が持たない限り、こういった大胆な商法はと
       れない。LPを売ることは、それほど難しいのである。
       「ダイナマイトが150トン」を作曲した船村徹は、
       「まれに見る素材だ。歌のカンどころも心得ていると、声も低いところか
       ら、高いところまでムラなく出て、将来を充分に期待できる」

      
:上のアルバムの曲のリストは、SONGSを参照して下さい。
          デビューが、いきなりアルバム企画とは、さすがにアキラさんですね。
          船村さんの後日談として、当時は演歌が嫌いでロックンロール風の曲を作りたかったと
          仰ってました。あのイントロの爆発音はピアノを壊してできた迫力です。
          しかし、デビュー後、すぐに人気は出なかった。すでに10曲を吹きこんでいた。
          大ヒットのきっかけは「ダンチョネ節」だった。

      
      ●まず「ダンチョネ節」が伸びてきた。そして、これはヒットするなと思って
       いたら「ズンドコ節」がぐんと出てきた。ついで「ツーレロ節」「ノーチヨ
       サン節」・・・あとは、あれよあれよと、いう間にぐんぐん伸びて。
       
      
:「ダンチョネ節」は、当初、映画『俺は港の半端者』の主題歌だったらしい(*ねこや
        さんからの情報-証拠写真−クリック)。つまり、
『海から来た流れ者』は企画段階では、
        
『俺は港の半端者』のタイトルだったようです。

      

      ●彼の歌は、初めから終わりまで、まったく息を抜くということがない。
       終始はりつめた歌を歌うのである。これは彼の熱意を感じさせる。気を抜い
       て、要領よく歌をまとめる、といったことが出来ないのだろう。
       彼は自分のすべてを歌に投げ入れようとしているように思える。



★何事にも熱いアキラさん、これからも色々な歌で我々を楽しませてください★

 アキラさんの一連の歌の歴史は、確実に日本の歌謡曲の歴史でもあると思います(大瀧詠一氏談)。



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