ありがたや、アキラ・クラシック「旅の灯り」Part-1
2003/04/12
さて、どこから語ろうこのビューティフルソングを。実はこの曲は語りたくないのだ。
一言「ここにこういう歌がある」、だけで充分。語ればこの曲の命がダメになる。
「非凡中の非凡」「水の流れ」「人知れぬ深山で、ひっそり流れる川のせせらぎ」。
歌全体がキラキラ輝いているとしか云いようがない。
もう名曲という表現すら埃っぽい。
なにも付いていないのに、不足というものがない真円のような奇跡的歌曲であります。
不足があるとすれば、「Made by GOD」という署名だけだろう。この曲の前では、
「鬼がおとなしくなる」といえば少し近いだろうか。そして邪念も失せる天上の旋律。
ヴァンパイヤに対する「聖なる水」、存在自体がもったいなくて他人に教えられない
できることなら誰にも聞かせたくない至宝だ。俗曲や雑音に汚れた耳には尊すぎる。
ご本尊、モナリザ、それとも円空の一刀彫、一つなのに全てであるような代物である。
人為の限りを尽くして作ってあるにもかかわらずそこに一点のテクニックも見えない
自然物のような姿をしている「利休の湯飲茶碗」に似て、ナンバーワンとか「上中下」
「松竹梅」「優良可」という人の世の卑しい序列の外にある空気のようなメロディ。
聞きながらいつも私はこの曲に「小林旭という歌い手がいて、ほんとによかったね」と
云ってあげている。「ねっ!やっぱりいたでしょうこの世にはこういう歌手が」と。
私には、たとえストラディバリウスの音色だってこの旭の声には白けるばかりだ。
どんな至上の楽器でも人の声はだせないうえに、まして旭の声は旭にしか出せない。
旭にしか歌えない曲は数々あれど、この歌はアキラ以外の歌手が歌ってはいけない。
この歌を俗人が汚してはならない。演奏、歌、声、メロディー、歌詞、全て超絶。
聴く前と後には、居住まいを正し脱帽して最敬礼だ。
こうまで書くと知らぬ者は、一体この曲がどんな曲なのか否が応でも知りたくなるだろう。 しかし残念ながらここにはそんなあなたが「期待するようなものは何もない」だろう。
この曲が通俗を喜ばせるようなものではないからだ、図らずもその期待があなたの俗人で ある事を証明してしまう。「なんだ、なんの変哲もないただの歌謡曲じゃないか」と。
しかし、考えてみるがいい「何の変哲もないただの石ころ」をあなたは作れるだろうか? 言い換えれば子どもは男と女が造るものではない、「できちゃう」から尊いのだ。
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