俺には何がある?「日暮れ・行き暮れ」
2003/02/26
この曲の題名「日暮れ・行き暮れ」から反射的に思い浮かぶのは、私にも幼児体験のある 芥川龍之介の短編小説「トロッコ」である。無謀にも一口で例えれば、一緒に出かけた
連れ合いが当然一緒に戻って来てくれると思っていた旅先で「じゃあ、これで失礼」と 何処かに消えた時の「驚愕を伴う孤立感」を描いた、彼の精神の原点を成す傑作だ。
自分の甘さもさることながら、行き暮れた道を一人で戻らねばならぬ自分の情けなさ。
大人ですらこんな帰路に突然出くわせばうろたえるものを、物語の主人公は少年である。 言いしれぬ恐怖感に家にたどり着いたものの、ただ声を出して泣くより他はない心情は
そんな極端な幼少の体験が無い者には解らないよと思いきや今、現実はもっと深刻だった。
俺には「夢がある」「友がいる」「唄がある」と力を込めて歌う旭だが、翻って私達に
何となくではなく本当に「夢」が、本当の「友」が、本当といえる「歌」があるかと真に 問うた時、実は確信が持てる何物もないと知ったらあなたは「トロッコ少年」です。
今や現実は小説を越えたといわれるように現代にこんな状況はごろごろしているはずだ。 まがりなりにも光さえ見えればそちらの方向へ歩いてゆくことはできる。しかし
「夢が無い」「友が無い」「唄が無い」ならばこれは例えば「金が無い」というレベル
とは異次元の世界だ。全く光のない世界は自分で灯を点しながらでないと歩けない。
「夢」が「友」が「唄」が無いと知った時、そして自分自身で点した灯はいずれは消える と悟った時、仮にまだその灯は残っていても人が自ら命を絶つことになるのは想像に難く
ない。難解なことはなにもない「なんであの人は死んだんだろう」の答えがこれである。
自殺は究極の悪だと考える私も、その苦しみと絶望を思えば避難などできはしない、
命を絶つ人の多くは、暗闇の中を頑張って自分で明かりをともし歩いて来た人だ。
しかし真っ暗な状況でも光に向かって歩いている人は決して自殺することはない。
「日暮れ・行き暮れ」という状況に必要なものは「光」であるのは自明であろう。
たとえかりそめでもそれが見えるなら幻想でも「夢」「友」「唄」は光である。
ついにこの三つを持てなかった龍之介は(享年35)毒を飲み闇の中で死んだ。
彼の小説は彼自らが闇の中で灯した光の跡である。
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