「にっぽん無宿」「ダイナマイトが百五十屯」
2002/12/03
「さんざ遊んだむなしさは 他人にゃとうてい判るまい」
このフレーズに共感出来る人はいる。が実感できる人は多くはないと思う。
だからこんな境地に達することのない極道は多分偽物である。
一般的には満足するまで目一杯遊ぶという健全コースをたどる私たち。
しかし、遊び尽くした果てのむなしさとは一体いかようのものだろう。
「とうてい判るまい」とは、理解して欲しいなどという甘えを越えて
もはや説明不可能ということだから、これは「遊び人」というより修行僧
「行」に近い境地だ。飲む打つ買うもここまで行けば求道めいてくる。
「他人にゃとうてい判るまい」はともかく「さんざ遊んだむなしさ」という
虚無感はやはり旭のものであって優等生的な裕ちゃんには似合わない。
裕ちゃんの良さもそこにある、裕ちゃんには悲壮感のほうが似合うだろうな。
(軍団という連(つる)みかたは私の性には合わないが。}
トップとしての責任感、慕われる者の苦労や心労はさぞやと思うし
やはり裕ちゃんには「夕陽」ではなく「太陽」でなきゃ、
というのは当たり前だから同様に「シャワーと石けんもよく似合う」と言いたい。
思い切り遊んだ(仕事した)後はサッパリしなければいけない。
ずぶ濡れのままじっと乾くのを待つことはない。
健康的に暴れまくるので「くすぶる」ようなこともない。
終われば豪快にビールで乾杯だ。
仲間の面倒をよくみる裕ちゃんだが、ダイナマイトに点火する時、とんびや
カラスに気を遣う旭のようなデリカシーはない。
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