太平洋のかつぎ屋の頃

1961年の日活のお正月映画第2弾は『波濤を越える渡り鳥』で空前のヒットを飛ばした。それに次ぐ作品として同月27日に『太平洋のかつぎ屋』は公開された。

1961年の年明けは前年の混沌とした状況を受けて騒然としたまま明けた。人々は夢を求めて映画館に通いつめた。
巷のあちこちでは「ズンドコ節」が流れていた。

 

●イーストマンカラー・日活スコープ 87分
 
 [スタッフ]
 脚本:星川清司、熊井啓
 監督:松尾昭典
 音楽:佐藤勝

 [キャスト]
 立花哲次:小林旭
 杉江洋介:宍戸錠
 品田典子:浅丘ルリ子
 三田村くみ子:白木マリ
 アンディ・白井:岡田真澄

 主題歌「太平洋のかつぎ屋」小林旭


 


■ストーリー

(※ほぼ全ての内容が書かれてますのでご注意下さい)
日新航空のエリートパイロットの立花哲次(小林旭)は、民間航空会社パシフィック・ポーターズ社の機長ジム・ブラックと共に羽田を飛び立った。大量のウィスキーを飲みながらフライトするジムはホノルルの管制官の指示を無視したために着陸に失敗し機体は炎上した。哲次は失神したジムを助け出すことが精一杯で積荷を救えなかった。この事故は新聞に大きく採り上げられ、哲次はその腕を惜しまれながら会社を解雇された。哲次はジムを詰問するためにパシフィック・ポーターズ社を訪れた。そこで哲次は、宮崎航空大学で同期だった杉江洋介(宍戸錠)の変わり果てた姿を目にした。哲次と杉江は航空大学学長の娘である典子を密かに愛していた。しかし、航空機事故で顔に傷を負い行方不明のままであったのだ。宮崎航空大学学長の品田は哲次の状況を知り、彼を地上勤務の教官として迎えた。典子と学長・品田の気遣いが哲次には心苦しかった。そして、一年が過ぎ学生の卒業式がやってきた。哲次は巣立っていく若者と自分の立場の違いを思い寂しさがよぎる。練習機に飛び乗った哲次は久々に大空を自由に飛び回った。地上に降り立つと待っていたのは学長の厳しい叱責だった。空を飛びたい哲次は再び東京へと旅立つ。しかし、事故の前科がある哲次に就職先はなかった。ビラまきの飛行機にまで売り込むほど空を飛びたいという気持ちは抑えられなかった。そんな哲次にパシフィック・ポーターズ社の支配人は哲次に声をかけた。哲次は意を決してパシフィック・ポーターズに入社し、荒っぽい連中の仲間入りをした。一方、典子は航空雑誌「航空界」の記者として、パシフィック・ポーターズを訪れ、哲次と杉江に遭遇。金になるなら密輸まで手を出すジムは杉江を仲間に抱き込んでいた。そんなある日、仲間のパイロットが違法フライトの途中で事故死する。その不正を暴こうとした哲次は杉江とぶつかり激しい殴り合いとなる。男と男の怒りがぶつかりあう、延々と続く殴り合い・・・そんな中で沖縄が津波被害に遭い緊急救援物資が必要となり男たちは輸送機に乗る。次々と飛び出す輸送機の中で杉江の機がエンジントラブルで海上に不時着。台風が近づく中を哲次はジムを乗せて水上機で救難に向かう。現場でライフボートの杉江を見つけるが激しい波浪で近づけず着水もできない。引き留めるジムを無視して着水を強行した哲次は杉江を無事に救い出した。哲次の度胸を認めたジムは以前の非を認めた。日新航空は社に復帰するように哲次に求めたが、俺には空の仲間がいるとパシフィックポーターズへと帰って行った。。

■みどころ

この 作品で特筆すべきは旭さんと錠さんの約3分間にわたる格闘シーン。
連続したアクションの3分間は結構長いですよ。

「案外、お前も古いな」と錠さんに言った途端、
強烈なボディが旭さんに、吹っ跳ぶ旭さん。
殴り返し 階段の下と上で殴り合い、階段下に転げ落ちる旭さん。
それにおっかぶせるようにする錠さん。
ソファにとばされ、フロアで殴り合い、イスで殴りかかり、
壁にぶつかり、ガラスが破れ、机の上に転がる。
もう一方の机にとばされると、机に跳び乗りそのまま窓から外へ
デッキに跳ばされもつれあう二人。
デッキの柵が壊れて二人はクルマが走る車道へ転げ出す。
なおも上や下になって殴り合う。
周りで外人たちが喜んで声援をおくる。
やがて、仕事の依頼が入りストップ・・・。

カット割りがあるとはいえ、凄い長まわしの撮影。
日本映画界で当時はもちろんのこと、今もこれだけのアクションができる人はいません。

<この撮影風景を当時の雑誌「近代映画・太平洋のかつぎ屋特集号」から抜粋>

ふっとんだ錠さんは、起きあがると同時に、アキラくんの右頬に、左フックの強打を打つ、アキラくんの体は部屋の隅にぶつかる! これでセットの板が二枚破損。撮影はしばらく中止して大道具さんがすぐさまこれを直して撮影再開。起きあがったアキラくんは、ボディーを錠さんに打ち、錠さんがかがみこんだところを右アッパーにきめる。錠さんの体は事務所の窓の硝子をぶち破って外に飛び出した。
さっとキャメラは、錠さんのアップをとらえる。錠さんの顔からタラタラと血が流れる。錠さんの突いた右腕は、アキラくんのボディに、二つの体がセットいっぱいに暴れる。
激闘二時間、アキラくんの首も肩もジェット機御難よりも(※横田基地でのジェット機試乗)更に苦しい格闘シーン。

<アクションシーンの迫力>
これは後の話になりますが、東映映画『修羅の伝説』でのこぼれ話。
敵役の西岡徳馬さんが旭さんに殴られてバスタブに沈められるシーン。

スタッフが西岡さんにクッション入りのボディサポーターを巻くことを勧めたそうです。
ところが西岡さんは、そんなものをすると窮屈で演技が出来ないから要らないと断ったそうです。
ところがスタッフが本当にまともにボディに入ったらどうするのだと心配だったそうです。
通常のアクションシーンは殺陣師が予めアクションの段取りをつけますが、旭さんの場合は
いきなり、ぶっつけ本番のアクションが始まりました。
その上、西岡さんのマネージャーから後の仕事があるので手加減してくださいと言われたものだから却ってファイトを燃やした旭さんだったようです。

その上、バスタブに投げ飛ばされるカットも段取りなしで旭さんの加減次第。下手すれば後頭部をバスタブの縁で打つという危険が伴うも、さすがに旭さんはアクションのベテランですから見事に本番をキメて西岡さんは無事にバスタブの中。

(TV番組「ダウンタウンDX」より)

■シリーズ映画の転機を狙った作品

渡り鳥シリーズ、流れ者シリーズで圧倒的な人気を得ていた当時、企画側でも少し違う面を打ち出したいと考えられていたらしい。そんな折りの渡り鳥シリーズの人気の頂点ともいえる『波濤を越える渡り鳥』の公開後に出された作品である。シリーズ以外の新味を出すことを狙いとして作られた作品だろう。

前年にはヘリを使った航空もの『都会の空の用心棒』(12.7.1960)があり、高原や山、海から都会の空に帰ってきた。これもヘリのパイロットという定職を持つ(銀座旋風児も装飾業であり探偵ではあるが、フリーの匂いが濃い)が、決してエリートではない。本作は珍しくエリートとして登場する。ところが、事件に巻き込まれて転落して行く。しかし、燃える情熱と正義感は鬱屈していたパシフィック・ポーターズの仲間にも良い影響を与えて明日へのエネルギーの牽引役となる。こうしたキャラクターはここで初めて登場する。
後には同種のキャラクターが『太陽、海を染めるとき』(7.15.1961)に登場する。

松尾昭典監督のインタビューからもそれが伺える。
アキラの魅力は渡り鳥、流れ者だ。アクション映画とアキラ節、この二つが彼の大きな魅力だ。
かといって、人気スタアの彼が、こうした魅力だけに限定されるのは可哀想だと思う。
彼は、もっと幅広い芸域を持っているスタアだ。
(「近代映画・太平洋のかつぎ屋特集号」から引用)

■こんなカット発見

この映画にキャストとして、まだクレジットされない松原智恵子さんが出演されています。
始まって間もない頃に星ナオミさん扮するスチュワーデスが「立花さん、ロサンジェルスへ飛ぶんですって」と、カウンター越しに立花に話しかけます。その隣にいるスチュワーデスが松原さんです。
この前年、1960年9月17日公開の「裸の谷間」(菅原文太主演・富士映画)に出演されています。
「明日に向かって突っ走れ」(小高雄二主演・日活)1961.4.17 に日活作品では初めてクレジットされているようです。

■撮影こぼれ話

この作品は出演者に外国人が多い、それに飛行機なので英語力が求められる。
『波濤を越える渡り鳥』でも英語づいていた旭さん、
撮影の休憩中に外国人の出演者に囲まれ「アキラの英語は東南アジアなまりがあるね」と言われ、
「だから世界共通の英語だよ」と答えたとか。
それは何故かと訊かれて「だから、万国(バンコク)共通」ってアキラさんらしいかな?
(「近代映画・太平洋のかつぎ屋特集号」から引用)


■管理人のおもいで

この映画の公開当時、私は11才。誰かに連れて行ってもらったのか、この映画を観ている。このタイトルが不思議な魅力で私を惹きつけたらしい。子供の無邪気さで父親に「大きくなったら『かつぎ屋』になるんや」と訳もわからずに言ったら、こっぴどく叱られた記憶がある。内容についての記憶は無く、ただ上記のアクションシーンと錠さんがゴムボートで海に浮いているところを旭さんが救出する場面のみを憶えている。それに「パシフィック・ポーターズ」の怪しげな世界が妙に魅力的に見えていたらしい。それは今思えば、組織よりも自由な気風に憧れていたのかも知れない。

 

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