昭和35年11月の新聞記事の画像をいただきました。その内容を以下に掲載致します。当時の小林旭さんの人気の沸騰ぶりがうかがえるかと思います。まさに「アキラ節」が巷にあふれかえっていた頃ですね。私も子供の頃に商店街のスピーカーから「ズンドコ節」や「ダンチョネ節」が流れていたのをハッキリと憶えています。また、パチンコ屋のドアが開くと中からは「ノーチヨサン節」が流れていました。まさに「アキラ節」に席巻されていた頃でした。

破竹の"ズンドコ"  若い世代が嵐の声援



 歌えるスターというのは数いるが、本職の歌手をさしおいて歌謡界でもトップを占めているのが日活小林旭だ。十月のベストテン歌謡曲彼の歌った「ズンドコ節」は三十万枚を売ってNo.1。同じく「ダンチョネ節」が二十万枚と大ヒット。昨今のレコード界では一万枚も売れればヒットなのにアキラ節はその三十杯を売っているのだからまさしく珍事といえよう。

サラリと歌うのが魅力
 さる十月三十日午後、有楽町ビデオ・ホールは、若い女性の黄色い声で埋まった。小林旭の東南アジア・ロケの歓送会をかねた「アキラの集い」だ。旭が舞台に出て、少しでも体を動かせば無条件にワーッとくる騒ぎ。
 得意の歌もうたいまくった。ハナ歌まじりで、ふざけ歌らしい、いとも軽い雰囲気でファンを喜ばしている。「アキラちゃん、こっち向いて・・・」「十七歳に気をつけてエー」とお祭り騒ぎ。
 「ダンチョネ節」を歌っているアキラの声は、よっぱらいのようなうわずったダミ声。かと思うと「ソーラン節」では脳天を突き抜けるような奇声を発する。しかしファンは手拍子をとり、身をせり出して"アッキラちゃん"である。
 ある十七歳の少女は「レコードは全部買っている。すぐに覚えられて気軽に歌えるから好きよ。ほかの歌手の歌はむずかしいんだもの・・・」といい、都内小石川に住む二十歳のBGはサラリと歌っているから好き」といっていたが、高校性らしいツメエリの学生は「アキラの映画は好きだが、歌はきらいだ。ウワッ面で歌っているようで親しめない」と同じアキラファンでもさまざまだ。
 "アキラ節"は事実売れている。浅草のレコード店ヨーロー堂では「ことしの三月ごろ"ダンチョネ節"が出たのが皮切りに平均してよく出ました。いまはズンドコ、ツーレロ、ノーチヨサンと各節物にLPもよく出ている。お客さんは若い男女が多く、うまいへたはともかくとして歌いやすいというのでしょう。一日平均十五、六枚は売れていますね」とホクホク顔。
 彼が歌うスターとしてコロムビアからデビューしたのは三十三年の九月「女を忘れろ」だった。続けて十月には「ダイナマイトが百五十トン」で荒けずりな唱法が、映画のアクションものと並行して"マイト・ガイ歌手"が誕生した。
 その後はあまりパッとしたものがなく、約一年のブランクが続いたが、初め日活が彼を主演にした"渡り鳥シリーズ"を企画コロムビアでさっそく「何かぶつける歌を」という意図で、戦前から商船学校生徒間に愛唱された「ダンチョネ節」を二月に、六月には作者不明の俗謡「ズンドコ節」七月に「ツーレロ節」「赤い夕陽の渡り鳥」八月には「ノーチヨサン節」といったように矢つぎばやに、書生節やら俗謡などを主題歌とした。もちろん新しい調で、曲も現代風にアレンジして仕立て直した。だからどれも古き時代の若者たちの歌がいまよそおいも新たに、アキラ節で歌われているという奇妙な現象なのである。


「小林旭読本」からの「アキラ節」についての考察

  • ●「流れ者シリーズ」からヒット曲は生まれた
    • ●若者にうけた新しいスタイルの民謡"マンボ民謡"のアキラ節
    • ●哀調のある声にこそ新民謡「アキラ節」は魅力にあふれている
    •  ・・・などなど、「小林旭読本」から抜粋して制作予定。