■♪忘れろ忘れろ・・・

小林旭さんの映画には、主題歌・挿入歌が欠かせなかった。歌があることで本編の魅力が増した。映画館の前では宣伝用に主題歌が流れ、巷の商店街やパチンコ店ではヒット曲が流れる(1968年に騒音規制法が施行されるまでは自由だった)。未だに古い日活映画を見ると(小林旭さん主演以外の)当時の街中で「ズンドコ節」が流れていたりする。
では、そうした魅力ある歌の数々の原点は・・・?


デビュー曲は『女を忘れろ』。映画『女を忘れろ』の主題歌でもある。しかし、この曲は主題歌にはならなかったかも知れないエピソードがある。映画の編集中のこと、孤児院建設の資金のために特務機関員となり、慕情を振りきって旅立つラストシーンに流れる主題歌。
脳天を突き破るような甲高い高音に舛田利雄監督は「あちゃー!」と悲鳴をあげた。当時はフランク永井や石原裕次郎などの低音の魅力の歌がヒットしていた。夜明けが近い編集室で舛田監督は撮影所長の山崎に直接電話をして主題歌をカットする意向を伝えた。しかし、返ってきた答えは「馬鹿者!あの歌を入れるために映画を作ったんだ」。レコード会社のコロムビアとは、そうしたタイアップの約束ができていたらしい。それでも納得できない監督は、歌声を小さくしぼって、その上にセリフを重ねて聞こえにくくした。石原裕次郎の歌声を聞いていた舛田監督は、まだ小林旭さんの歌の魅力を理解していなかった。

■魅力の歌声は、こうして生まれた。

小林旭さんの歌の魅力のルーツは、ファンならば既にご存じでしょうが、ここで改めて紹介しておきます。映画で旭さんの歌が流れたのは『孤独の人』です。
その撮影中、教室でモップがけをする小林旭さんに、西河克巳監督が「黙って掃除をしてると、お葬式みたいだね。なんか鼻歌でも歌いながらやるってのないかね」これを聞いた旭さんは、「流行歌は知らないんですよ。民謡なら覚えてて歌えるのがありますけどね。童謡ってのも、おかしいでしょ」
「じゃ、民謡でいくか。何がいいかね」「そうですね、『真室川音頭』ってのも調子よすぎますよね・・・」この作品は、当時の皇太子明仁殿下(現・天皇陛下)をモデルにした学習院を舞台にした映画です。「学習院で掃除してるのに『真室川音頭』ってのはないですね。じゃ、ちょっと品のいいとこで『相馬盆唄』くらいですかね」・・・というやりとりがあり、旭さんの甲高い歌声が響き渡った。「♪はぁ〜いよ〜 今年ゃ豊年だぁよ」スーイスイって感じでモップ掃除をする。
果たして、その歌声を西河監督のそばで聞いていたのコロムビアレコードの文芸部長・目黒賢太郎だった。「おもしろい声を出す役者ですね、誰ですか」訊ねられた西河監督は旭さんの名前を告げ、後のレコーディングへとつながることになる。
コロムビアを訪ねた旭さんは、作曲家の船村徹氏の前で当時のヒット曲『別れの一本杉』『おんな船頭歌』などを歌った。
船村徹氏は演歌のイメージが強いが『ダイナマイトが百五十屯』の作曲者でもある。当時、流行していたロカビリーの影響で爆発的なイメージの音を求めていた船村氏は、イントロの爆発音にピアノの弦をハンマーで叩くという衝撃的なことをしたことがある。それくらいにエネルギッシュな楽曲を求めていた。それだけに『ダイナマイトが百五十屯』は未だに古さを感じさせない。


*「みんな日活アクションが好きだった」大下英治著を参考にさせて頂きました。



以後、つづけたいと思います。