※後に「東映チャンネル」で放映され、DVDでも発売されました。

  • 『ターゲットメン』の第一回放送分について、小林信彦・著「日本の喜劇人」「第六章 醒めた道化師の世界」
    • の中で小林信彦氏が宍戸錠さんの邸宅でテレビ放送を見ていた、として宍戸錠さんを採り上げた章に登場しているので引用します。
  •  小林旭のテレビ映画『ターゲットメン』の第一回が始まる夜だったので、それを見物しようということにもなっていたのである。
  • 「アキラは、日活でいちばんの芸人ですよ」
  •  むかし、彼がそう言ったとき、不覚にも私はそのイミがわからなかった。それがわかるようになってきたのは、ずっとあとである。
  •  少し肥ったが、いぜん、変わらぬアキラが、画面にあらわれる。ボウリングの玉の穴から秘密指令の紙が出てくる。アキラの目が光る。まさに、往年の日活活劇である。
  •  「いいぞ……」
  • と宍戸錠が呟いた。
  •  悪玉は近藤宏、そのボスが菅井一郎であ
  • アキラは、悪の巣に乗り込んでゆく。悪い奴らはビリアードをしている。アキラの二挺拳銃が火を吹き、玉は正確にぶつかり合ってゆく。(弾丸で、玉突きをして見せたのであります。)
  • 「いい、いい」
  •  宍戸錠が笑った。
  • だが、このナンセンスの味を、テレビを見ている人の何人が共有しうるだろうか、と私は考えた。
  • <渡り鳥>の前座とでもいうべきヒット映画『南国土佐を後にして』(これがアキラを一級スターにした)のクライマックス・シーンで、アキラは、悪玉相手に、大金を賭けたダイスの勝負に出る。
  •  ……やがて、カップを伏せたアキラは、黙って札束をつかんで、立ち上がり、出てゆく。呆然とした悪玉側はおそるおそるカップをとって、サイの目の凄さに仰天する。こういった、コミック・ストリップすれすれのシーンが、いったい、いくつあったことだろう!
  •  宍戸錠の映画でも、わざと違う方向に拳銃を発射し、弾丸がワン・クッションして目的物にあたる、という撃ち方をするのがあった。
  •  活劇の手というのは、使い方で、そのままギャグになるというのが私の持論だが、宍戸錠のアクションは、そのすれすれのところをさ迷っていたのである。
  •  アキラの活躍を眺めながら、宍戸錠と私は会話をつづけた。
  • 「活劇は、四十五歳まで、できると思うんですよ」
  • と彼は言った。
  • 「もっとできるんじゃないですか。鶴田浩二は四十六でしょう。バート・ランカスターが六十近いですからね」
  • と私。
  • 「そうだ。できますね」
  • 彼は答えた。
  • 過去のことを考えても仕方がないのだが、もし赤木圭一郎がゴーカートをいたずらしなかったら……ということを、私は、しばしば考えるのだ。
  • 赤木圭一郎の名は大きく残ったが、彼の映画は、遺作『紅の拳銃』までアタらないことで知られていたのである。
  • 『紅の拳銃』が最初のヒットであり、すぐに彼はゴーカートに乗って天国へ行ってしまった。そのために、日活は、一人のスターだけで、一作を支えるというローテーションになった。
  • (中略)
  • 日活では、主演スターとしてのアキラ=ジョーの共演は、物理的に不可能であった。宍戸の主演ものと並行して、アキラとの共演物をやるようにすれば、<黄金時代>は、もっと続いたはずである。
  •  それは今さら言い出したわけではない。当時から私は日活にいる知人に言っていたのだが、日活内部でも、わかっていて、どうにも仕方がなかったのである。とくに、宍戸錠は、小林旭の対立物として、旭のゆとりのない正義感ぶりにたいする、醒めた評論家、ときにはヒューマニズムそのものをせせら笑う存在として、大きな価値があったので、この二人を別にするというのは(それこそ今にして思えば)エンタツとアチャコをバラ売りした吉本興行のやり方に似ている。
  • (中略)
  • 「パパ、向こうのテレビは、ラドンが出たよ」
  • と彼の愛児が走ってきて叫んだ。
  • 「こっちのテレビは、何が出るの?」
  • 「こっちは、小林旭さんが出る…」
  • と宍戸錠は答えた。
  • 「おまえ、コバヤシ・アキラって知っているか?」



「日本の喜劇人」小林信彦(新潮文庫)
 昭和57年11月25日発行より

マイトガイ小林旭 まだ健在

 高度15メートル、時速30キロのヘリコプターから小林旭がナマ身を空中にさらし地上を走るトラックに飛び降りた。12日埼玉県・浦和市郊外で行われたNETの新番組「ターゲットメン」(10月9日スタート、土曜午後8:00)でのアクション・シーン。格闘あり、撃ち合いありの本格的アクションに、小林旭は「ヘビー級のスリルをお見せすると、胸を張って“マイトガイ復活宣言”をやってのけた。


 浦和市といっても、志木や朝霞が目と鼻の西はずれ、荒川川原にある秋ヶ瀬公園から、一機のヘリコプターが飛び上がった。操縦席の外、ソリの部分に一人の男がぶら下がっている。小林だ。 
 15メートルの低空で旋回しながら、地上に現金輸送車を発見するや、猛然と襲いかかる。みるみる接近。砂煙に包まれながらヘリから車の屋根へ、一瞬の早わざで飛び移った。NETでは5,000万円の保険をかけた。
 「私は撮影の仕事をずいぶんやってますが、度胸じゃ、あの人(小林旭)が一番。高度15メートルといえば、人間が一番恐怖を感じる高さで、ましてヘリはコクピット(操縦席)が透明で足元まで丸見えだから、カメラマンなんかたいていしりごみする。それを彼は、機体の外に平気で出ちまうんですからねえ」(パイロットの日本農林ヘリコプター、佐藤将富さん)


 この日のロケは第6話の撮影。奪われた三百六十億円入り現金輸送車を取り戻すべく、捜査官中西五郎(小林)が空から出動するシーン。“地上”での撮影が終わると、汗かきの小林はシャツごとシャワーを浴びたよう。しかし、疲れた様子もなく「さあ、今度はヘリだ」と忙しく動き回る。


 アクションの型からカメラの段取りまでテキパキ決める。かと思うと、輸送車を撮影場所まで、自分で運転して移動させる。そのペースに、付き人の方がオロオロ、「ある意味で、やりやすいんです。演技的ななことはもちろんスケジュールのことまで、なんでも小林さんに聞けばわかるんですから、めんどう見もいい人だし……」(共演の奈美悦子)


 日活であばれまわっていたころから十年たつ。「なんといってもキャリアは人に負けませんからね。自然にやっていれば“小林旭”型のアクションがにじみ出てくるはず。“キーハンター”の千葉(真一)君とよく比較されますが、彼は彼なりの華麗なアクション。からだは彼の方が軽いでしょうが、僕は、なぐれば相手が本当に倒れるような、ナマのアクションをお見せします。」自信満々なのである。


 撮影は、もう五月から始まっている。六階建てのビルからビルへロープで渡り、手の平をすりむいた。二十メートルのガケからころげ落ち、ヒザを折った。


 「僕は一日中セットの日はエネルギーが余って調子悪いんです。アクションこそ僕の武器。恐怖なんて感じません」昼休み、グイッとオレンジ・ジュースを五杯あおった。かつて、航空自衛隊の教官から「抜群の平衡神経」と折り紙を付けられた。“マイトガイ”は衰えていない。

昭和46年8月13日(新聞紙名不明)

■1971年10月9日〜1972年1月1日まで 13回放送

サブタイトルを見ると、なんとなく見覚えがあるようなものが並んでいますね。当時、リアルタイムで見た記憶はかすかにありますが、明確には憶えていません。