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あの頃、くちずさんだのは流行歌。

極私的歌謡曲考(昭和34年〜36年) もっとも歌謡曲らしい時代…かな?

昭和34年から昭和36年。私自身は小学生の時代です。
そんな子供のごく私的な視点で、この時代の歌を捉えてみました。
昭和37年に入ると俄然、洋楽のカバーがヒットしはじめます。ツイストが現れるのもこの頃でしょう。一時は熱狂的だった、いわゆる「ロカビリー」音楽も衰退し新たな洋楽ブームにとって代わられる時代だったのでしょう。そうしたことからでも最もウェットな時代だったとも言えるのではないでしょうか?

そこで、未だに口をついて出るのは小林旭さんのこの頃の曲です。そんな思いを当時の歌謡曲の話題と、その他雑多な話題と共に書いてみます。
当時の歌謡曲の話題も書きたいのですが、そこは渡り鳥サイトということでお許し下さい。左の各曲の歌のリンクでお茶を濁します。

■昭和34年の主な出来事

・ソ連(※ロシア等)、宇宙ロケット発射に成功
・皇太子ご成婚(※現天皇陛下)、ミッチーブーム
・岩戸景気始まる
・緑のおばさん誕生
・安保反対デモ
・カミナリ族
・少年マガジン、少年サンデー創刊

■昭和35年の主な出来事

・全学連デモ多発
・カラーテレビ放送開始
・ダッコちゃんブーム
・インスタント食品次々発売
・炭鉱事故・労働闘争多発
・社会党浅沼委員長刺殺さる
・コカ・コーラ日本で発売

■昭和36年の主な出来事

・赤木圭一郎事故死
・ソ連人間衛星打ち上げ成功
・無責任時代
・外国テレビ映画西部劇ブーム
・貸本マンガアクションもの全盛
・レジャーブーム
・ジャズ喫茶・うたごえ喫茶隆盛
・少年少女に睡民薬遊び流行

小学生の私にとっての身近な日活アクションだった劇画本

私が小学生時代に渡り鳥シリーズ第2弾の『口笛が流れる港町』に遭遇して以来、しばらくは渡り鳥スタイルが頭から離れませんでした。小学生の身で毎回、映画館に行けるわけではないので一番身近な渡り鳥スタイルというのは当時、貸本マンガでは全盛のアクション劇画でした。その中でもズバリ「渡り鳥シリーズ」と名うった劇画ありました。作者の名前は「旭丘光志」まるで旭さんと浅丘さんの一文字ずつをとってペンネームにしたような名前です(ペンネームだと思うのですが、違ったらごめんなさい)。
このシリーズが映画の本編より長い40冊を越えたほどのシリーズだったと記憶しています。

asaoka.jpg劇画の「渡り鳥シリーズ」

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くだん書房
画像を拝借しました古書店様のリンクです。興味がある方は是非、在庫をお問い合わせ下さい。

そうした環境の中で、貸本劇画とともに身近だったのがラジオや街角で流れる歌謡曲です。もちろん小林旭さんの歌はいつも最優先で耳にしてました。とにかく、この頃の旭さんの曲の多さにも驚きです。この時期の旭さんのシングル曲を以下にあげてみました。

昭和34年〜昭和36年 小林旭さんのシングルレコード発売曲

[昭和34年]
・パパの歩いた道(『嵐を呼ぶ友情』主題歌)/いとしの恋人(『嵐を呼ぶ友情』挿入歌)
・B面:ホロホロ東京 ( A面 島倉千代子さん)
・俺に逆らうな/ひとりぼっちの歌(『俺は挑戦する』主題歌)
・地獄船/出前追分(『二連銃の鉄』主題歌)
・十字路/ハイウェイの男
・銀座旋風児/銀座の波止場(『二階堂卓也 銀座無頼帖 銀座旋風児』主題歌)
・ギターを持った渡り鳥/地獄のキラー(『ギターを持った渡り鳥』主題歌)
・波止場の無法者(『波止場の無法者』主題歌)/いとしあの娘の涙雨
・口笛が流れる港町(『口笛が流れる港町』主題歌)/泣きたい街角
 <年間全17曲発売>

[昭和35年]
・やくざの詩(うた)(『やくざの詩』主題歌)/(B 面 別の歌手)
・ダンチョネ節(『海から来た流れ者』主題歌)/おけさ数え唄(『渡り鳥いつまた帰る』主題歌)
・炭坑もぐら/(B 面 別の歌手)
・鹿児島おはら節/ズンドコ節(『海を渡る波止場の風』主題歌)
・アキラの会津磐梯山/アキラのツーレロ節(『赤い夕陽の渡り鳥』主題歌)
・ノーチヨサン節/東京かっぽれ(『東京の暴れん坊』主題歌)
・さすらい/アキラのホイホイ節(『南海の狼火』主題歌)
・アキラのホイホイ節/アキラのチョンコ節(SP盤)
・アキラのソーラン節(『大草原の渡り鳥』主題歌)/アキラのチョンコ節(『でかんしょ風来坊』挿入歌)
・アキラのおてもやん/アキラの炭坑節(『大暴れ風来坊』主題歌)
・アキラのブンガワンソロ(『波濤を越える渡り鳥』主題歌)/アキラの北海盆唄
 <年間全21曲発売>

[昭和36年]
・アキラのデカンショ(『でかんしょ風来坊』挿入歌)/太陽はねむっている
・黒い傷痕のブルース(『黒い傷あとのブルース』主題歌)/続さすらい
・アキラのまっくろけ節/アキラのおいとこ節(『風に逆らう流れ者』主題歌)
・山の渡り鳥/アキラのチンチロリン
・アキラのラバさん/アキラのノーエ節
・思い出した思い出した(『太陽、海を染めるとき』主題歌)/季節風航路
・チュンガを躍ろう/恋のチュンガ
・流れもの/アキラの伊那節(『大森林に向かって立つ』主題歌)
・北帰行(『渡り鳥北へ帰る』主題歌)/惜別の唄(『惜別の歌』主題歌)
・アキラの奴さん(『夢いっぱい暴れん坊』挿入歌)/アキラのさのさ
・落日のシャイアン/夕焼けは赤い幌馬車(『高原児』主題歌)
 <年間全22曲発売>

いかがでしょう、ほぼ毎月に1枚のペースで楽曲がリリースされています。また、それがレコード店の売り上げの上位に位置していたというのも凄いです。これは何らかの記録といえるのではないでしょうか?私の場合は歌詞カードがなくとも主要曲はほとんどソラで歌えます。

昭和歌謡パラダイス

2003年1月号の「小説新潮」の特集に『昭和歌謡パラダイス』があります。この特集の冒頭は、小林旭さんのロングインタビュー「アキラ節のすべてを語ろう」から始まります。インタビュー形式の記事をみてみると「芸能生活もあと三年で五十周年を迎えるんだが・・・」とあります。インタビュー時が2002年で2005年には50周年記念でステージでアキラ節がメドレーで復活した記憶も新しいような気がします。しかし、あれからまた5年以上が経過したんですね。

インタビューの内容は、日活での「歌う映画俳優」として企画された話やレコードデビューのきっかけとなった話、アキラ節誕生の話など。興味深いのは「星影のワルツ」や「みちのくひとり旅」などが旭さんのために企画されていた曲だったが、旭さん自身が忙しくてオクラ入りのままだったこと。そうしたものが何曲もあるとか。

「惚れた女が死んだ夜は」は多くの方が様々な思い入れで聞いておられるようです。一般的には、美空ひばりさんのことといわれますが、実際作詞された石本美由起(故人)さんが美空ひばりさんをイメージして書かれたそうで、「ひばりさんに歌って欲しかった」と旭さんの前で仰っておられたそうです。ところが馬淵さん(故人)に口説かれて歌うようになったそうです。やはり、この曲は旭さん以外には考えられないですね。この歌を聴くたびに涙される男性や女性が多いようですよ。かくいう私もその一人です。

ラジオの前で歌詞をメモしたあの頃

あの頃はラジオからの音楽を聴くのが中心で、好きな歌が始まるとラジオの前に座り一所懸命その歌詞をノートにメモしたものです。
もちろん「平凡」や「明星」の付録の歌詞ブックもありましたが、それらが出る前の新曲や歌詞が掲載されてない曲などは必死になってラジオに耳を傾けました。
そうした中で繰り返しあちこちの局から流れるさまざまなアキラ節は子供心には意味不明な歌詞もあり不思議な思いをしたものです。「♪コ〜イという字をヤッコラヤノヤ〜 ブンセキすればノーチヨサン」小学校で歌ってると先生に注意されたものです。「キミワドウイウ ウタヲウタッテルンダ? ア〜ン」注意されてもおかまいなし。学校帰りにある渡り鳥の映画ポスターを見てうっとりしたものです。

昭和30年代中期の頃の歌謡曲に話しを戻しましょう。

昭和34年といえば、私は小学3年生です。この時代は当時皇太子であられた現天皇陛下のご成婚により、その中継映像を観るためにテレビ受像機(白黒)の売上が拡大したい時です。しかし我が家にはテレビがなかったので、もっぱらラジオを歌を聴くのことになります。しかし、この頃は特に意識もなく耳にする流行歌をなんとなく憶えている程度です。この頃の流行歌は一度ヒットすると長い期間その歌が流れる傾向にありましたね。今のようにパッと出て消えてしまうようなものではなかったですね。当時よく流れていたのが「お富さん(春日八郎/1954)」であり「船方さんよ(三波春夫/1957)」が流れていました。

当時は騒音防止法などの法律が無かったので、街角のあちこちで流行歌が流れていたように思います。商店街のスピーカーから、まんじゅう屋の店先のラジオから、パチンコ屋の中から、そして映画館の宣伝歌など。そのうえ、上空にはビラまきのセスナ機が音楽と共に宣伝アナウンスと共に通り過ぎる。その見上げた空にはアドバルーンも上がっている・・・まあ、のどかな時代だったのですね。

そんな子供時代ですが、はっきり憶えているのは「黒い花びら」です。子供ですから低音の魅力なんてわからず口先だけで歌って粋がっていたのを思い出します。確か変な替え歌も子供たちの間で流行ったこともありました。

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昭和35年の幕開けは、私にとって思い出深いお正月映画『口笛が流れる港町』を観ることになるのです。
この映画の上映館は自分の家からはかなり離れた場所にあったので日々入り浸れる所では無かった。
ただ、家に近い映画館では幼稚園の頃から日々の遊び場だったので映画という文化は身近にとらえてました。事実、小学生に上がってからは近所の駄菓子屋のおばさんに可愛がられて毎週、映画館に足を運んでいました。ただ、配給の映画は東映・大映・洋画を中心とした3番館です。これが小学2年生までは毎週続いていました。但し、夜なので自分が興味のない映画はほとんど睡ってましたね。

また、映画館の前が日々の遊び場だったので、たまにはもぎりのお姉さんにこっそり入れてもらったりしました。こうした映画館の休憩時間に流れる流行歌も好きでしたね。また、脱線・・・

「僕は泣いちっち」は初めて東京という土地を意識した歌でもあります。
「どうして東京がそんなにいいんだろ」・・・私は小学5年生の頃ですね。夏祭りの後で不思議な切なさをこの歌に感じた記憶があります。

「銀座旋風児」は、イントロの口笛も魅力で口笛が吹けなかった子供が一所懸命に口笛が吹けるように練習した記憶があります。それに長兄のソフト帽とコートをコッソリ借りて、手製のステッキで旋風児になりきっていたのは少し後のことでしょうか?(『帰って来た旋風児』の頃?)

「黄色いさくらんぼ」は、子供心に変にムズムズした感じがありましたね。口ずさんだことはなかったように思います。男っぽさに憧れてましたから。

「浅草姉妹」は、何か哀しい切ない響きがあって、自分の中では美空ひばりさんの「越後獅子の唄」と同列に捉えてましたね。特にオヤジに叱られた時などには、こうした歌が頭をよぎってました。

<2012.4.20追加> この項目は続く予定です。

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★曲名の前に星印があるのはYouTubeにリンクしています。

昭和34年のヒット曲

あれから十年たったかなァ
春日八郎
★夜霧に消えたチャコ
フランク永井
★人生劇場
村田英雄
★南国土佐を後にして
ペギー葉山
★可愛い花
ザ・ピーナッツ
★古城
三橋美智也
★東京ナイトクラブ
フランク永井・松尾和子
★銀座旋風児 (ギンザマイトガイ)
小林旭
★黄色いさくらんぼ
スリー・キャッツ
★ギターを持った渡り鳥
小林旭
★黒い花びら
水原弘
★僕は泣いちっち
守屋浩
★浅草姉妹
こまどり姉妹

昭和35年のヒット曲

★誰よりも君を愛す
和田弘とマヒナスターズ 
松尾和子
★アカシヤの雨が止む時
西田佐知子
★潮来花嫁さん
花村菊江
★月の法善寺横丁
藤島恒夫
★お百度こいさん
和田弘とマヒナスターズ 
★ダンチョネ節
小林旭
★あいつ
旗照夫
★哀愁波止場
美空ひばり
★雨に咲く花
井上ひろし
★ズンドコ節
小林旭
★潮来笠
橋幸夫
★流転
赤木圭一郎
★月影のナポリ
森山加代子
★再会
松尾和子
★霧笛が俺を呼んでいる
赤木圭一郎
★さすらい
小林旭
★死ぬまで一緒に
西田佐知子
★達者でナ
三橋美智也
★メロンの気持
森山加代子
★おけさ唄えば
橋幸夫
★東京カチート
フランク永井
無情の夢
佐川ミツオ
★有難や節
守屋浩
★一本刀土俵入
三橋美智也
★月影のキューバ
森山加代子

昭和36年のヒット曲

★パイナップル・プリンセス
田代みどり
★硝子のジョニー
アイ・ジョージ
★G.I.ブルース
佐々木功
★じんじろげ
森山加代子
★東京ドドンパ娘
渡辺マリ
★銀座の恋の物語
石原裕次郎・牧村旬子
★車屋さん
美空ひばり
★おひまなら来てね
五月みどり
★ソーラン渡り鳥
こまどり姉妹
★襟裳岬
島倉千代子
★黒い傷痕のブルース
小林旭
★長良川旅情
春日八郎
★南海の美少年
橋幸夫
★北上夜曲
和田弘とマヒナスターズ
多摩幸子
★24000回のキッス
藤木孝
★君恋し
フランク永井
★月のエレジー
守屋浩
★山のロザリア
スリー・グレイセス
★コーヒー・ルンバ
西田佐知子
★湖愁
松島アキラ
★石狩川悲歌(エレジー)
三橋美智也
★川は流れる
中曾根美樹
★北帰行
小林旭
★スーダラ節
植木等
★惜別の歌
小林旭
★十国峠の白い花
島倉千代子
★上を向いて歩こう
坂本九
★王将
村田英雄
★恋しているんだもん
島倉千代子
★子供ぢゃないの
弘田三枝子
★ラストダンスは私に
越路吹雪