待ちに待った「小林旭 コンプリートシングルズ」が発売された。これはかつて、70年代に発売された「帰ってきた小林旭全曲集」にも匹敵、いやそれ以上だろう。個人的には前者は家の近くのレコード屋(当時はアナログレコード)で、ふらっと入ったら思わず目を疑ったものだった。シリーズでの5枚のアルバムは少し忘れかけていたマイトガイ魂を甦らせてくれるのに充分な力があった。手持ちの金が無くて急いで家に帰つたものの売れてしまわないかと気が気ではなかった。親父に無理矢理に借金をして5枚とも買ったのを思い出した(笑)。
今回は、それ以上に中身が濃い。いや、恋かな?特にコロムビア時代のシングル曲の中には耳にすることが無いものが多く含まれている。これは人によって違うだろうが、私にとっては「季節風航路」「アキラの伊奈節」「船頭子守唄」「黒いシグナル」である。初めて聴く曲はもちろんのこと、こうして順に聴いてみると聴き慣れていたはずの曲も凄く新鮮にきこえる。以下は、このコロムビア時代の曲が当時、如何に受けていたかを当時の雑誌記事から抜粋引用してご紹介したい。
●コロムビアのMプロデューサー(※故馬淵玄三氏)、「とにかく『女を忘れろ』『ダイナマイトが一五〇トン』でアキラをデビューさせた時は、ちょっと冒険でしたねえ。マイト・ガイのニックネームそのまま、たたきつけるような彼の歌。つやもないし、今までの流行歌の感じとは、あんまり違っていたもんですから…」
ところがこの二曲、は非常なヒットとなった。
「アキラが成功した原因は、まず、あの高い声の魅力。それからいささかぶっきらぼうな独特の節回し。全然飾りっ気のないぶつつけたような感じ。それらが低音ムードになれていた大衆の耳を新鮮に打ったのですね。とにかく、今までの流行歌のふやけた感じを破った点が大きいと思います」
とつづけるMプロデューサーは、
「しかし、本当に味が出るようになったのは、やっぱり“民謡ぶし”からでしょうね」
その馬淵氏の文章から…
●私がアキラ君を知ったのは、彼が歌手としてデビューする二ヶ月ほど前で、そのとき私は日活のプロデューサーの児井(英生)さんに呼び出されてこんなことをいわれました。“我が社に小林旭という有望な役者がいます。彼は歌もなかなかいけるので、一度機会があったら聴いて欲しい”という依頼を受けたのでした。
話に聞くとなんでもある宴会場でアキラ君が歌った“都々逸”が大変上手だったという評判を耳にした児井さんが、さっそく私のところへ知らせてくれたわけでした。
●「女を忘れろ」でデビューすることになりました。当時、フランク(永井)調の甘いムードの曲が全盛期で、やれ低音ブームだとか、ムード・スタイルとか、この種の歌がレコード界をにぎわしていました。アキラ君のデビュー曲は一応成功したのですが、やっぱりフランク調の全盛には太刀打ちできなかったようです。
しかし、アキラ君はそんなことに頓着無くいつも楽しそうに歌っていました。
●「ダイナマイトが百五十屯」ですが、この曲は予想以上のヒットを放ってくれました。アキラ君自身もこういう曲が好きだったようで、体当たり的な吹き込みでした。彼の場合、声だけハリあげてリズムに乗るということよりも、体全体でリズム感を表現して行く方なので一曲歌うと汗ぐっしょり。スタジオの中は熱気でムンムンしています。